CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2021年03月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
鉄砲鍛冶師研究 11 司馬遼太郎 街道をゆく。近江奈良散歩   びわ湖、長浜市のふしぎな町 [2016年10月23日(Sun)]
びわ湖、長浜市のふしぎな町

 現 滋賀県長浜市國友町
近江国 國友では、江戸末期の化政期ころから、 能楽、華道、書道などの芸能が盛んで、多くの人材を輩出した。 小さな村から数多くの人材が出たのは驚きである。
現在も、鉄砲鍛冶師の屋敷群と鉄砲資料館がある。

科学者・鉄砲師としての國友一貫斎、彫金師の臨川堂充昌を初め、 茶道では小堀遠州流を再興した、辻宗範、古学弁疑を著した 儒学者の富永蒼浪、医師の辻村修や三角有裕など、 多くの学者や文人が活躍した。
その理由の一つは、國友は、小村ではあるが、江戸に鉄砲会所を設け、 年寄りたちが交代で江戸詰めをして、幕府との交渉をするなど、 江戸との交流があったことがあげられよう。 一貫斎は7年間、江戸に滞在している。
それにしても、たった722人強(男性だけならば382人)の國友からで、 しかも全て鉄砲師から優秀な人材が出ていることである。

*能筆の茶人 辻宗範は、遠州流の中興の祖といわれ、 宝暦8年(1809)に國友で生まれた。52歳の時、江戸に出て、 将軍家の茶道師範を務める。茶道、華道、書道、礼法、 和歌、俳句、絵画、園芸と多方面にわたり、 多くの門人を育てる。國友鉄砲師の一族。

*金工師 國友充昌(臨川堂)は國友で1721年生まれである。 金工細工の名手としてしられ、刀の彫刻や曳山の錺金具, 香炉などの細工をした。45歳の時10代将軍徳川家治に命ぜられ 刀の目貫一対と3匁玉筒[鉄砲]に龍門の図を彫刻した。國友鉄砲師

*儒学者 富永蒼浪は1733年國友で生まれた。 富永家は代々荘兵衛を名乗る鉄砲鍛冶師で、年寄脇の名門であった。
天才儒者と言われ、"幼にして"てんご"(すこぶる賢い)、 才識卓絶、良師益友の資無きも、自習深く聖経賢伝に通じー"、と伝えられた。
水戸藩の國友与五郎、肥後藩の國友古照軒も優れた儒学者であった。

*御典医 三角有裕は國友の医業・辻村養玄の三男として1789年生まれる。 辻村家は元々は優秀な鍛冶師で幕府秘庫の工人 [徳川幕府の直轄地・國友を治めてきた十人衆の一人]であった。
光格天皇の侍医だった京都の医者三角了敬の養子となり、 召されて仁孝天皇の侍医となり、宮中に奉仕し典薬大冗の位に就く。

國友村の規模
1727年に大和郡山藩が作成した村明細帳による
坂田 國友村  石高 886石8斗6升5合
家数      254軒 内239件本百姓 15件水呑百姓
人数      722人 内382人 男  340人 女
医師 7人  職人 77人  内、御鉄砲鍛冶 44人、 金具師 4人 台師 6人
酢屋4人紺屋 1人 さし物屋 1名 油屋 3人 木こり2人  大工2人 桶や 1人
酒屋 4人 商人 12人
鉄砲鍛冶諸役免除 176石 

注、國友村の規模を視るため記載したもの。 鉄砲鍛冶 44名と表記されている。

また、900年代には”國友庄”の名が文書に出てきている。 相当古くから鍛冶が住んでいた と推測される。鍛冶師は、まずは、鍛冶師同士で婚姻を 結んできたであろうから、 広くみても村内での婚姻が多かったであろうから、 500-1000年の年月のうちに、 血統的には、ほぼ、遺伝子は均一になったのかもしれない。
例えば、辻宗範と兄弟の辻ミワは國友一貫斎の母である。
江戸時代末期に集中して人材が出てきている。 現在は静かなようだ。笑

<付記>
司馬遼太郎 街道をゆく。近江奈良散歩より引用
”しかも、注文の年月まで出ている。天文18年(1549)7月18日で、 鉄砲伝来からわずか6年後である。 信長の機敏さに目をみはらざるえない。
新奇な兵器を多く整え、軍制に鉄砲隊を創設したのは、 おそらく信長が最初だったろう。信長は鉄砲隊の用兵も独創した。
若い信長の注文によって、國友村は生産の基礎ができ、さらに継続して 注文してきたため、大いに繁昌した。北近江の國友村の国主は、初めは 京極家で、ついで浅井家だったが、この村は経済的には織田家に 結びついていた。
鉄砲の出現と普及が、戦国の群雄割拠の状態から、歴史を統一にむかわせた ということは、だれもが異存がない。
ただ、大量に鉄砲による戦法を考えたのが信長であり、その供給をした のが國友鍛冶であったことを思うと、田園にのこる小村のふしぎさ を思わざるえない。”

鉄砲鍛冶師研究は 11号をもっておしまいです。
今まで我慢して読んでいただいた方々に感謝いたします。


Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:49 | 湘南鎌倉 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
この記事のURL
https://blog.canpan.info/medicalyou/archive/138
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント
検索
検索語句
タグクラウド
プロフィール

ゆう東洋医学研究所さんの画像
https://blog.canpan.info/medicalyou/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/medicalyou/index2_0.xml