鉄砲鍛冶師研究 8 江戸時代の科学技術−1 鉄砲は当時のハイテク技術 [2016年10月20日(Thu)]
江戸時代の科学技術−1
明治維新において、日本は急激に西洋化すなわち近代化に向けて進みだし、 その技術の習得と具体化が急速に実現していったわけであるが、 それが何故可能になったのだろうか。 結論を言えば、それは、江戸時代に基礎的な近代化への土壌が創られて いたからである。江戸時代は鎖国してはいたが閉鎖的な社会であった のではなく、その時代に既に近代化出来きる土台の準備を 整えていたということである。 鉄砲は当時のハイテク技術 1543年の種子島の漂着したポルトガル人から鉄砲が伝承したと伝えられ ているが、武器という側面だけでなく、技術の伝来という側面から とらえ直してみたいと思う。 確かに、弓矢と刀だけの日本が、急速に鉄砲を実用化したことが、 日本を植民地にしようと狙う、宗教の布教と一体化した欧州人の侵略から、 日本を守ったといえる。 そして、鉄砲という最新鋭の武器の量産に成功して いたこと(数十万挺といわれる)、また、鉄砲を使う軍事力 (集団的、集中的運用)にあったと思う。 しかしそれだけでなく、鉄砲がもたらした 当時でいえばハイテクの技術に注目したい。 ねじの概念 この鉄砲製作での問題点は、鉄砲が伝わるまで、日本に"ねじ"という概念 とねじというものがなかった事であった。銃身の尾部を塞ぐ雌ねじを創る のが難しく、それもやすりなどの道具しかない時代であったので、 このねじの製作が鉄砲の一番のポイントであった。 ばねの概念 鉄砲の製作で、その発射ための重要な部品はばねであり、 ばねを実用化したことも大きい。 鉄砲という新しい武器の製造から多くの技術が付随して 実用化されていくのである。 からくりという鉄砲の引き金の部分におけるばねが実用化され、 さらにそれが錠前のゼンマイなどの技術の発展になっていく。 火薬の概念 火薬の調合の技術と、その具体的な活用で、これも鉄砲の生産に 付帯して、発展してきている。鉄砲以前の日本には、鉄の球を飛ばす という概念がなく、火薬の爆発力によることは革命的であったろう。 日本では生産されない硝石の代替物の発見と繋がっていく。 余談であるが、軍事的集団化の概念 織田信長が考え出したという鉄砲の集団的運用は、軍事的には革命的な 兵術の創設と言われている。兵団として集団的、集中的運用により 信長が軍事の天才と言われる所以である。 近江国 國友 現在の滋賀県長浜市國友町が、織田・豊臣時代、江戸時代を通じて、 鉄砲の生産拠点であった。江戸時代前期は幕府天領となり奉行が おかれて、幕府の直轄地であった。 そして、多くの技術者を生み出し、全国にその当時のハイテクの技術者 を派遣して行くのである。続く <追記> 1、現代ではなんでもないことであっても、”ねじ”のない時代での新しい概念と いうものを理解し実用化するのは、 当時の人にとっては大変なことであったろうと思う。 新しい発見に驚きと感嘆と興奮を覚えたにちがいない。 2、歴史に もしも ということはタブーであるが、もし鉄砲が日本に 伝わらなかったならば、もし日本が、鉄砲の量産化が出来なかったならば 或いは、しなかったならば、 現在の日本はあり得たのであろうか?と考えると、怖いものがある。 もしも、刀と弓と槍だけならば、 多分、西欧のどこかの国の植民地とされていたかもしれない。 <データ> 江戸時代の科学技術 長浜市長浜城歴史博物館 |