鉄砲鍛冶師研究 4 大名に召し抱えられた鉄砲師 近江国・國友・鉄砲鍛冶師 [2016年10月17日(Mon)]
戦国時代から江戸時代の鉄砲生産地
近江国、國友 近江国、國友(現滋賀県長浜市國友町)は、 織田・豊臣時代から江戸時代を通じて 堺と並び鉄砲生産拠点であった。最盛期は鉄砲鍛冶、70件、職人500人 と伝えられている。 (江戸時代前期は幕府直轄地ー天領であり、幕府御用鍛冶師となった) 鉄砲鍛冶師が多数輩出した。 判明している鉄砲鍛冶師以外にも多数、関ヶ原前後に各地の大名に召し抱えられて いると思われる。特に豊臣秀吉に取り立てられた大名や、徳川時代の 譜代大名などに抱えられた鉄砲師が多いようだ。苗字・帯刀を許され 士籍(石取り武士)になっている。石高は推定。時期などにより変動。 また、大名に招聘された時期は織田豊臣時代から江戸時代までの広範囲である。 一部不正確なものもあり。(推定) 大名に召し抱えられた鉄砲師・鉄砲鍛冶師 近江国・國友 鉄砲鍛冶師名 大名名 石高・藩士 國友与作 石川康 100石 國友籐介 堀尾吉晴 300石 國友兵四朗 井伊直継 100石 彦根藩 國友籐九郎 京極忠高 150石 國友与左衛門 田中吉政 3260石 筑前柳川藩 國友式右衛門 同 250石 同 國友勘左衛門 同 460石 同 國友左内 同 1240石 同 國友半右衛門 加藤清正 600石 肥後藩(熊本藩) 國友藤一 高橋家 200石 國友興作 石川長門守 100石 國友興一兵衛 土井兵庫守 不明 國友籐四郎 松平越中守 不明 桑名藩 國友作助 松平忠直 100石 越前府中藩 國友勘左衛門 徳川幕府 不明・幕臣 幕府お抱え鉄砲師 國友大三郎 徳川幕府 不明・幕臣 同上 國友信之 徳川幕府 不明・幕臣 同上 國友尚之 水戸徳川家 不明 水戸藩 國友清兵衛 土屋家 不明 土浦藩 國友次郎助重規 前田家 不明 加賀藩 鉄砲方御用 荻野流火術師範 國友籐二郎与作 石田三成 100石 佐和山藩? <追記> 1600年の関ヶ原では従軍した武士18万人のうち、約7万人が鉄砲で武装していた と言われている。(島津藩は、武士全員が鉄砲を所持していたという。) 約半数の武士が鉄砲を持ち、銃撃戦が主体であったろうと思われる。 <追記> 鉄砲の値段は、種子島に伝来した当時金1000(約1億円)であったと伝えられている。 ポルトガル人はぼろ儲けをしたことになる。 織田信長の時代の後期の鉄砲が普及した時で1丁約1200文(60万円)程度であった。 6匁銃で9石(90万円) 30匁銃40石(400万円)と言われている。 1石=1両=10万円=4貫 1石=10斗=100升=1000合 9石は9000合 1日1合を食するとすると3年分位となる。 鉄砲鍛冶師は、扶持米のほかに1張のに火縄銃を制作するたびにその製作費が入いるから 量産する鉄砲鍛冶師はかなりの収入があったと思われる。 <追記のデータ> 國友鉄砲の歴史 湯次行孝 1996年 |