

宮城県 涌谷町の涌谷金山の周辺は鎌倉時代初期は、小田保と言われていた。小田保は涌谷町の周辺の地域を含み、主に金山の経営に当たっていた。
その地を任せられていたのが八田知家という武将で、4代くらいまでは八田姓であったが4代目からは。小田姓を名乗るようになった。
源頼朝から金山経営を任されていた八田知家はかなり権力を持っていたということであろう。
ちなみに八田知家は藤原北家を源流として宇都宮家の次男の系統となる。
4代目を継いだのが小田保にいた人物ではないかという説もある。
小田氏は、その後15代までつずく茨城県南部を地盤としていたが、戦国時代に秀吉によりつぶされた戦国大名であった。名門の大名家であった。
以後佐竹氏が茨城県南部も併合していたが、関ヶ原ののち佐竹氏は秋田へ移され、江戸時代は徳川水戸家の所領となった。
小田氏は現在のつくば市に小田城を築き、現在もその城跡は現存している。
涌谷町が小田保と鎌倉時代は称され、小田氏の所領であったことはあまり知られていない。
歴史発見というところであろう。


