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中世鎌倉の地震と津波 地震と津波も歴史から学ぼう。過去ー現在―未来へ [2016年10月10日(Mon)]
中世鎌倉の地震と津波
地震と津波も歴史から学ぼう。過去ー現在―未来へ

中世鎌倉の町つくりー地震と津波
このところ、日本列島のあちらこちらで、地震が起こり揺れている。 東北地方の福島県の太平洋側の沖でも地震が継続して起こっている。
大正時代に起きた関東大震災は、相模湾の沖が震源地といわれている。 万が一、同じように相模湾を震源地とする地震が発生すると、 数十分にて津波が押し寄せることになる。地震規模にもよるが、 地震発生から、津波まであまり時間がないこともありうる。
地震についても過去の歴史から学ばなければならないことが多い。 津波も1回限りではなく4回も来襲している。また、地震の直後に すぐ津波が発生していることも過去にはあったこともあるようだ 。油断大敵であろう。

以下引用
江戸時代元禄16年の地震と津波

今回は元禄16年(1703)の地震について紹介します。
元禄10年(1697)10月に相模国(北東部を除く神奈川県)で地震があり、 鶴岡八幡宮の鳥居が倒れ、堂社や民家が潰れるなどの被害が出ました。 これに引き続き、元禄16年には4月ごろから地震が群発し、 11月22日の午前2時ごろに大地震が発生しました。
 これにより、箱根山や大山が崩れて寺や道路が埋まり、 小田原城が炎上したほか、伊豆半島から相模湾・東京湾・房総半島沿岸 に津波が襲来して多くの被害がでました。津波は地震直後に押し寄せたようで、 4回あったとされています。死者の数は、小田原から品川なで15000人 (うち、特に被害が激しかった小田原では2300人), 安房(千葉県南部)は30000人、江戸は37000人余りと記録されています。 (武江年表)

津波の高さは

 津波の高さは、三浦半島先端にあった福泉寺(南下浦町) が諸堂を流されており、現状地盤が標高9、6メートルであることから、 11,6メートル以上と推定されています。
"戸塚・小田原・鎌倉溺死人限りなし"(窓の須佐美)という状況で あったようです。

鎌倉では

 鎌倉では七切通しが大規模に崩れて通行不能となり、 鶴岡八幡宮では石段が崩れ、浜の鳥居が損壊し、 大仏は台座が毀損して傾きました。  津波は二の鳥居まで至ったといいます。 一方、材木座海岸付近では、当時この辺りにあった円応寺が大破し、 津波は光明寺まで入ったと記録されています。 二つの鳥居付近の標高は6メートル、光明寺は4メートルですから 津波は滑川を遡上したということでしょうか。

<データ>

鎌倉市 文化財課 より引用

”日本民族は、豊かな黒潮の暖流により、日本近海に豊かな漁場をもち繁栄することができた。”
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 15:15 | 湘南鎌倉 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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