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国道118号線(水戸―会津若松市間)を走り、矢祭町に行く [2018年08月30日(Thu)]
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この国道は会津若松市までの国道であるが、今回は久慈川沿いの大子―矢祭町まで走った。隣接して鉄道が走っていて水郡線という名で水戸と郡山駅を結んでいる。

この鉄道は全線単線で駅数は45あり、久慈川に沿って走っている。奥久慈清流ラインと言われているが1時間に1本という運行数であるそうだ。

この旅は、高野時家の歴史を探訪するために、矢祭町の高野を訪ねるものであった。

その高野は今は東白川郡と言われているが、鎌倉時代には高野郡と言われていた地域である。

昔は常陸の国という範囲は広く、東電福島原発あたりまでが常陸の国と言われていたそうで南福島は常陸の国ということもあったようだ。

その高野郡には、矢祭町高野,依上保大子が含まれていたようである。

矢祭町には高野という地名が残っているが、現在も豊かな自然が残っている田園地帯であった。

小田川が久慈川に流れ込んでいるので、その周辺は鎌倉時代から水田が広がっていたのであろう。高野郡という郡名は矢祭町高野に由来しているのかもしれない。
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高野時家の役宅がおそらく高野にあったであろうが、役人を置いていたのではなかろうかと思う。
現在の矢祭町は、茨木街道という349号線と118号線が交差し、そこから1本になり棚倉につながっている要衝である。茨木街道は棚倉道ともいわれている。

水郡線の駅は東舘駅というが、1時間に1本しかない駅なので静かなたたずまいであった。駅前の食堂が閉められていたから乗降客は限られるのであろう。

人口は約7000人で町並みは118号線に沿って街道型の長細い街のつくりであった。

久慈川の両岸に水田が広がりそれに沿って鉄道と国道118号線が走っているが、その先が福島空港につながっているのであるがこのルートを利用する人は少ないようだ。
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矢祭町の手前に大子町がある。ここは近くに温泉もあり、道の駅もあり鉄道駅も広く使われていた。水戸への通勤圏の北限に当たるのであろうか。駅前に汽車が展示されていた。

大子はしゃも料理が有名であるが、現在は2件だけになっているそうだ。当日は休みで翌日出直して、昼食を食した。有名なだけにうまいと思った。

しゃもを飼育している人が少なくそれだけ店も少なくなったということのようである。

久慈郡大子町は、昔は依上保と呼ばれ、独立した地域であった。金を産出するから要衝の地であった。

鎌倉時代、初期は八田知家とその8男時家(高野時家)所領であったが、のちに北条氏が抑え、白川結城氏と佐竹氏との争奪の土地で、最後は佐竹氏が八溝山の金山を押さえた。

佐竹氏が強かったのはこの金山により財政的に豊かであったということであった。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 09:53 | 旅のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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