20年以上前のことだが、京都・洛東を歩いていたとき、急な雨に降られて近くにあった博物館に飛び込んだことがある。
そこで青銅器と銅鏡の展示を見たのだが、そのあまりにも充実したコレクションに圧倒された。
それが京都・鹿ケ谷(ししがたに)にある泉屋(せんおく)博古館である。
重要文化財級と思われる鏡が所狭しと並べられていたが、これらを収集したのが大坂の豪商の住友家だ。
毎日新聞 2018年7月25日 森岡浩 / 姓氏研究家
付記
住友家は早くからいわゆる番頭に任せるという、江戸時代からのよき風習を伝承していた。
優秀な社員にすべてを任せて、経営させるという風習である。住友財閥では、優秀な番頭が取り仕切り別子鉱山から初めて、日本有数の財閥に成長させた。
別子鉱山から、鉱業部門が住友金属鉱山、精錬部門が住友金属工業、機械部門が住友重機械、商業部門が住友商事となった。
そして、燃料部門が住友石炭鉱業と発展した。そのあと、住石の石油部門が住商石油となった。
また、化学品・農薬部門が住友化学工業、電気工事・電線部門が住友電気工業、のちに大阪金属が空調のダイキン工業、アルミ部門が住金から分離し住友軽金属となった。
お金の部門が住友銀行、住友信託銀行、保険が住友生命、住友海上火災、と発展し、現在は三井グループと多くの企業が合弁企業を構成している。
所有と経営の分離とでも言おうか。一つの合理的な選択である。
優秀な人材をどう生かすかという判断が合理的に、理性的にできる仕組みである。