懐かしい写真。 [2017年04月08日(Sat)]
■昔の写真 今から十数年前の写真を政経塾時代の同期に手渡されました。
北京にあるBMCC(北京市と松下の合弁会社)にて。 今や殆ど見なくなったブラウン管の14インチTVですが当時の中国ではまだまだ売れており、現地の工場ではバンバン生産していました。 私はそのラインに入って働かせてもらっていましたが、真空管を圧縮するため数百度の炉から出てくるブラウン管を次の工程のレーンに移すという至極単純な肉体労働です。ブラウン管はズッシリ重くて熱いですが、一定の周期で次々に運ばれてくるため、どんどん捌かなければなりません。冬で外は空っ風が吹いて寒いのに工場の中は常に蒸し暑く、開始10分くらいで汗だくになり、徐々に肩腰や背中がやられてきました。三交代制なので勝手に休むことはおろかトイレも余程でないと許されません。休みたくても自分のペースではなく機械のペースに合わせ続ける事が求められる仕事でした。当然、長くブラウン管を持っていると疲れるので早く所定の場所に移して手を離したいのですが、万一落とすと割れてしまうので単純作業の割にそれなりに注意が必要でした。たまに遠くのレーンで誰かが手を滑らせて落としてしまい「ガシャーン」とブラウン管の割れた音がした直後、監督者に厳しく怒られている声が聞こえてくるのが辛かったです…中国語なので詳しい内容は分からずとも、十分そのニュアンスは伝わってくるものです。 そもそも5秒以上持ってると高熱で軍手が溶けてきて火傷してしまうので、長くは持っていられないのですが…。 幸いなことにこの職場には熱中症予防の為か、生温いですが水を持ち込む事が許されていました。また、体に良いのか分かりませんが大きな扇風機(ダクト?)のようなものも近くについていて(右上の写真の私の頭上あたり)、クラッときたら数秒ですがその風にあたりに行く事もできました。 そんな現場でしたが私より若い、地方から出てきたと思われる中国人労働者の若者達は文句1つ言わず仕事をしています。日本人と話すのが珍しいのか、私に笑顔で気さくに話しかけてくれて、『熱いから軍手を二枚重ねにしろ』と言って私に自分の軍手をくれたりしました。本人は年季の入ったぺらっぺらの軍手を使っているのです…。
・・・このハングリー精神には驚きと共に、今の日本人に欠けているなぁと大変感化され、奮起したものです。 * 仕事を欲しがる若者はいくらでもいるので、身体が資本です。自分が壊れたら簡単に解雇されます。 日本では学生のブラックバイトが問題視されていますが(決してブラックを肯定する気は無いですが)彼等に恐らくブラックなどという概念すらなく、純粋に食べるため・生きるために働いていました。周りにいた同僚の多くが慎ましい生活をしながら田舎の実家にも仕送りをしていました。 私がラインにいたのは1ヶ月程でしたので、当時はとても辛かったですが、今になって振り返れば、何物にも代えがたい貴重な経験をさせてもらったのだと心底思っています。 辛いけど、辛いと素直には言えません。彼等は働けるまで働いているのですから。辞めたい?ならやめれば(その1人分働き口が増えるから)、と言われそうで。身体も心も考えさせられる経験でした。 * すぐそばの国では、今も似たような現実があると思います。いやまだまだ過酷な仕事も山ほどあると思います。口で言うのは簡単ですが、自ら実感することとは比べ物になりません。それからは極力、現場に飛び込む事が許される限りは中に入らせてもらい、実状を自分で体感するように心がけています。
こんな機会を与えてもらえたのも、松下幸之助塾主のお陰です。政治家として語る時、誰か上の人や組織の意見に縛られた言葉を発するのではなく、自ら人間に寄り添い、自分の心で感じた事に素直であろうと意を強くし、自ら紡いだ言葉を大切に届けようと強く思いました。
ps.撮られている事に気付く余裕もなかったため、殆どピントが合っている写真がない…でも、懐かしいです。 次々に色んなことが思い出箱から溢れてきますが、長くなりましたのでこの辺で。お付き合い頂き有難うございました。謝々。
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Posted by
山中 啓之
at 23:59 |
大事なこと |
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