柴又100Kが休止(涙) [2025年02月26日(Wed)]
■ウルトラマラソン「柴又100K」
ウルトラマラソンとはフルマラソン(42.195q)より長い道のりのレースの事で、ウルトラマラソンを走った人のことを業界では’ウルトラマン’と呼ぶらしい。短い(?)ものでは50q位から、長いものでは数千qにも及ぶ。プロ・アマ問わず完走後のダメージが大きく、果たして健康的なのかどうかすらは走った者にも分からないが、間違いなく言えるのは並大抵の所業ではないという事だろう。その意味では確かにウルトラマンなのかも知れません。 § フルマラソンに飽き足らない私に、その約2.5倍の距離を一度に走るという、狂気の沙汰とも思われる未知の経験をさせてくれたのがこの「柴又100K」でした。陸上部でもなく、足が速いわけでもなく(むしろ遅いわけだが)、社会人になってからランニングを始めた(と胸張って言えるほども走っていない)ズブの素人の私に、今後おそらくもう2度と味わう事のない体力の限界の先にある世界を見せてくれました。 それは、コツコツ頑張れば弱い者でも到達できるといった(今日の風潮では忘れ去られつつある努力の価値がもつ)人間の普遍的な真価や、思い通りに行かなくて涙をのんだ悔しい体験からの気づきや教訓などがまるごと濃縮された異世界体験ツアーとも言えました。 とにかく、経験した本人にしか分からない感覚を真っ先に挙げろと言われたら、このウルトラの50キロを超えてからの自分じゅうに蔓延するよく分からない痛みと同居しながらひたすら走り続けるなんともいえない恍惚感を私は真っ先に挙げると思います。 ■リタイアしてもまた走りたくなる不思議 3回の参加中、2回完走、1回は80.8q地点でリタイア(制限時間切れで回収)。 後にも先にもこの時が、私の人生で唯一のリタイアです。 これまでどんなに体調が悪くともエントリーした大会は完走していましたが、この大会だけは体調も悪くなく普段通りのコンディションで臨み、実力で負けました。 悔しさがこみ上げる一方で、時間と共に自分の実力不足を真正面から突き付けられたことに対する清々しさを覚えた初めての体験でした。普段通りでは到底不十分なのだという当たり前のことに気付かなかった普段の私の不甲斐なさを思い知りました。 年齢・性別・人種・出自・貧富・信仰・・・何も問われない。 ただ、自分の意思と足で走る。 そこには一分の嘘の入る隙もなく、正直な自分の姿だけが残る。 ーまた走りたいー 2年前からそれを励みに年1〜2回のフルマラソン出走をベースに初参加を目指す仲間と体力作りをしてきました。選挙のない年がチャンスだとひそかに狙っていたのですが・・・運営側の条件が色々と厳しいようで、先日中止が決まったと公式HPに発表されていました。更に今後の再開のめどが立たず、HPも閉鎖するようです。 § 朝6時台に柴又公園を出発して見慣れた江戸川の風景を眺め、自宅近くのジョギングルートの流山を横目に埼玉〜茨城と踏みしめ走る(そして時折歩く)この大会。終盤にはすっかり夜で提灯の明かりを頼りにして幻想的なゴールを切る。 ・・・ あの体験はかけがえがなかったなあ。 50q付近の応援ソングはもう一度聴きたかった。 トップレベルのランナーが6時間台でフィニッシュする中、半日以上かけて'別の闘い'をしている多くの市民ランナーの1人として、身体と心に深く沁み込んで消えない記憶を想う。 ・・・ありがとう、柴又100K。 (参考)自己ベスト:13時間50分25秒(2017年大会) https://blog.canpan.info/matsudo/daily/201706/05 PS.もし未来にやるなら参加します、きっと。 |