
■登米に拠点が移って3日目の朝
鱒渕小学校の体育館にはテント村ができ今ここには20名を超える人が寝ている。
■昨日はこの拠点の良さが出た。津波の被災地へのアクセスがぐんと良くなった
唐桑から志津川、北上までカバーが容易になった。
昨日は5・6台の車でエリアを分担して支援物資を運んだ。
避難所やこの地域のニーズもわかってきた。変化もしてきている。
私はここから3往復した。
■突如として出現した。支援基地・・・・・・
登米市東和町米川地区の方々にとってはとても怪しい集団でびっくりされていると思う。行政を通じてここをお借りしているが駐在のお巡りさん、区長さんや近所の方々が覗きに来ている。地域民がおにぎりや搾りたての牛乳を差し入れてくれたり、作業の手伝いをかってでたりこの地域の方々にも感謝、感謝・・・・・
このように登米市に住む私の知人に多大なバックアップをいただきスタートできた。
顔のつながりと思いが一つになって、登米市の東和総合支所の支所長さんはじめ職員の方々の協力が得られている。
昨日エコセンの広瀬さんは地元の社会福祉協議会を訪ねさらに協力関係をつないでいる。
長期戦の支援になりそうだ。
多くの方々の支え合いがあるから私たちの思いも実現できるのだろう。
■もう一つのプロジェクト・・日本の森バイオマスネットワーク
半世紀で枯渇しようとしている石油燃料の問題とCO2排出によるとされる地球温暖化の課題を解決する一つとして、バイオマスエネルギーや自然エネルギーへの転換を進めてきている。環境問題にも取り組み自然学校のもう一つの隠れたミッションだ。
まだまだ東北の春は遠い。家を失い避難生活を余儀なくされている方々にとって暖を取ることが難しくなっている。石油の流通もストップして十分に石油ストーブを稼働できない。
私たちはペレットストーブを設置し石油に代わる地元のエネルギーで支援を開始した。
燃費効率に優れたペレットストーブを製造している新潟のさいかい産業≠ニユニフレーム≠フ強力なバックアップで20台に上るペレットストーブを提供を受けた。
燃料になるペレットは栗原市にある栗駒木材が地元の森林から供給する。
東北に豊かに存在する森がエネルギー無限にエネルギーを供給できる資源であることを多くの方々に知ってもらうチャンスでもある。
石油を輸入してお金を外に払うのではなく、地元でエネルギーを生産できる産業を創出して雇用を生む・・・これが地方の元気再生になると確信をしている。
送電線で電気を運ぶ今の仕組みから、地元で電気やエネルギーを生む仕組を作ることが災害に強く、地域が元気になる一つのアイディアであると強く感じている。
■被災して10日余りが経過した。被災した地域では人々が動き始めた。
自分たちで動こうとしている人たちが目立ってきた。
支援物資のニーズに、長くつ、軍手、チェーンソーのオイル、ガソリンがほしいなど・・・自分たちが動くための物資のニーズが増した。
石油を海外から輸入する・・・このことは国内でエネルギーに関して携わる人を限定している。エネルギーを地元で生産し供給することは自立する機会を増すことになる。
■支援物資の供給とエネルギーの供給を重ね合わせて感じている。
動けば変わる℃ゥら動くことですべては変わるのだ。
被災者が動けば、被災地は変わり再生する。
エネルギーを自分たちで創ろうとすれば、地域にエネルギー産業が生まれる。