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モンベル辰野会長 [2011年03月18日(Fri)]
▼本吉から志津川を回って22時過ぎのモンベル仙台店に戻った。
辰野会長も合流。いよいよ本格的に始動する。


▼雄勝の高橋家の双子の姉妹をしばらくの間くりこま高原自然学校で預かることになったので二人を連れてきた。
モンベルで打ち合わせをした後栗駒へ戻った。日付が変わって深夜2時近くになった。


Toyoshi Sasaki 〓
白米でした [2011年03月18日(Fri)]
▼この日は本吉から歌津、志津川へ向かった。
米を一袋積んできたが途中で携帯がなった・・・・「コメは玄米だ」。
コイン精米で精米しないと持って行けないということで、しばらくコイン精米機を探した。
やっと見つけ惠今しようと思ったら・・・・・このコメはもう精米されていた。


▼本吉の南小泉中学校の避難所へ向かった。
あべパパ一家が住んでいる。
避難所であべママ、あべジジと3人の子どもたちに再会。
避難所生活は長期戦になりそうだ。

▼あべママに近くにあるもう一つの避難所に案内してくれた。
ここは高齢者施設、多くの支援物資が必要だ。
ちょうど民間団体がヘリコプターで支援物資を運んできた。
様々な団体が様々な方法で支援を行っている。

Toyoshi Sasaki 〓
緊急車両の役割 [2011年03月18日(Fri)]
三陸道の終点、登米大和で下りた。登米市米谷から県道202号線、国道346号線を通って本吉に向かいます。本吉から海岸線を南下して避難所の状況をリサーチします。
支援物資を随時支給して行きます。
緊急車両登録して入るので三陸道を通行してきたがここまで来ると支援車両がほとんど見ない。
今から津波の被災地へ入るので携帯の電波が届かない。
本吉から南下して、昨日通った雄勝に行く。
高橋一家の姉妹をしばらくはくりこま高原自然学校で預かることになった。
仙台に戻るのは夜になる。
Toyoshi Sasaki 〓
モンベル仙台店 [2011年03月18日(Fri)]
▼支援物資が動き出した。
アウトドア義援隊<Aウトドアメーカーのモンベルと日本エコツーリズムが中心となって支援の体制を整えつつある。
石川県羽咋市にあるモンベルの流通基地から物資が届いた。


Toyoshi Sasaki 〓
おはよう [2011年03月18日(Fri)]
おはよう・・・・・みんな
きょうは仙台のど真ん中、モンベル仙台店の店の中で寝袋からの目ざめだ。
1週間が過ぎた・・・・
昨日まわった、雄勝、女川。おととい回った名取、亘理、山元、新地・・・・
夢のような惨状ををみて言葉を失った。
災害支援のために必死に情報収集してきたが、実は自然学校のキャンプや多くのプログラムに参加してくれている子どもたちや家族が心配で必死だったんだ。
無事を知り涙が出る。再会して抱き合う。
今回津波に飲まれ、被災した地域に住む方々が自然学校のプログラムに参加していただいて、私たちの事業を支えてくれての方々なのだ。
この人たちが大丈夫でなければ自然学校も大丈夫ではないのだ。
皆で元気になりたい。もう一度キャンプをしたい・・・

3年前に比べたら栗駒は大丈夫だ。
トップページに掲げたようにくりこま高原自然学校は、しばらくの間、くりこま高原支援学校として活動することにした。

時間がたつにつれて安否がわかってきた。
無事を知って涙ししているが、亡くなった、行方不明だという知らせも入り始めた・・・・・
何でだ。・・・・涙が止まらない。
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