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岩手宮城内陸地震から5年 [2013年06月14日(Fri)]
2008年6月14日。午前8時43分「岩手・宮城内陸地震」からちょうど5年。
震源域の栗駒耕英地区にあるくりこま高原自然学校地域の方と一緒に孤立していた。
ブログを始めて間もない時だった。被災地のど真ん中から唯一外とつながったのが、このCANPANブログ。このブログのおかげでどんなに助かったのか、数限りない。発信する言葉に多くの方が反応していただき、被災地の応援,支援を頂いたことを思い起こしている。最近はFACEBOOKに書き込みコトが多くなったが・・・
連日5000アクセスを越え、本当に多くの方々とつながっているんだという実感をかんじ、sの都市のブログ大賞もいただいた。
昨年、このCANPANブログバジョンアップから仕様が変更し、ちょっとついていけなくなってしまた。
5年前の震災を思い出し、このCANPANブログも思いだし,被災ぶりに書き込んでいる。
再生へむけて歩みだします。
主催事業 [2011年12月29日(Thu)]
▼くりこま高原自然学校は、夏休み、冬休み、春休みに主催事業のキャンプを開催している。
3年前の震災、そして昨年の3.11の震災で被災して以前のように主催事業が展開できない状況が続いている。
今回の参加は6名、アットホームな3泊4日のキャンプになった。
私は最後の閉講式に顔を出すことしかできなかった。

手のひらに太陽の家プロジェクト [2011年10月01日(Sat)]
▼日本の森バイオマスネットワークのブース
3.11の震災直後、日本の森バイオマスネットワークの全国のメンバーから支援物資が届き、被災地へ運んだ。
そして、多くの避難所では、電気が止まり、灯油が無くなって震えている避難民をたくさん見た。
日本の森バイオマスネットワークでは、震災後2・3週間でペレットストーブを43台設置した。
その後、仮設住宅の様々な課題を知り、仮設住宅の建設の新しい取り組みの提案を行政にしてきた。
地元の木材と地元の大工さんを使って、地元復興予算が回るように提案をしたが、門前払いだった。日本プレハブ建築協会が独占している仮設住宅には、法的な縛りがあり我々のような立場での仮設住宅を支援する活動が現実的にできなかった。
▼こんな経緯で我々が取り組んだ提案は、2年後に取り壊されてゴミにされる仮設住宅ではなく、地元材を使い、環境に配慮した木質バイオマスエネルギーを取り入れる、災害にも強いさらに、被災者同士がコミュニケーションをとることができる復興共生住宅を提案している。
この復興共生住宅手のひらに太陽の家≠フ第一号棟がモンベルの辰野会長の絶大なる支援で進んできている。
民間の力で被災者の住環境を支援する取り組みで、多くの支援者の協力をいただいてい動き始めた。


▼被災によって家族が一緒に住めなくなった状況にある子どもたちの支援をする。
震災遺児、母子家庭など弱者を応援する施設を目指いている。
駒の湯 [2011年09月11日(Sun)]
▼3.11からちょうど6か月・・・半年が過ぎた。
この日、駒の湯に来た。
駒の湯は、今から3年3か月前の2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震≠ナ被災し7名の方が犠牲になったところだ。
久しぶりに訪ねた・・・・・・・・・変わっていた。
工事が続いていた・・・・・・

▼震災後駒の湯の源泉は失われたが、少し離れた森の中に新たに湯量が増えた源泉がみつかり、駒の湯のご夫妻はコツコツと小さな温泉を造っている。


▼どんぐりの会≠フ方が訪ねて来たので、栗駒の森を案内した。
どんぐりの会は森づくりに取り組んでいる。広葉樹の実を拾い木の苗を育てて森に植樹し森林を育てる活動をしている。
今回は東北の森を育てるために、来月中旬に栗駒の森で実を拾う予定だ。
実を拾うための母樹を探しに来たのだ。
一緒に駒の湯を見に来てこの小さな温泉の森にあるニズナラの巨木をみた。



南三陸のタコ [2011年08月12日(Fri)]
▼南三陸のタコ

6.14から1000日目 [2011年03月10日(Thu)]

▼2008年6月14日午前8時43分 
きょうは、岩手・宮城内陸地震が発生したあの日から数えてちょうど1000日目。

昨日からまた強い地震が続いている。
昨日の昼長く強い揺れがあった。栗原で震度5弱。
昨夜も揺れ、そして今朝も震度4の揺れ・・・・
今回の震源は三陸沖。津波警報が出され沿岸部に暮らす方々は気が気ではないだろう。
栗駒は震源から離れているので今回は大きな被害はない。

今朝も山では雪かきが続く、連日雪も地震も続いている。
香港、マカオから来ているWWOOFerの周くん、苗くんにとっては雪も地震も初めての体験で驚きの連続だ。



▼今日は朝から松倉へ下りてきている。
きょうが提出の期限である平成23年度の農水省に事業である田舎で働き隊≠フ申請書類を仕上げに来ている。
一昨年からこの事業を受け入れてきたが、引き続き申請をした。
助成事業はもちろん採択されるかされないかはわからない。
しかし、自然学校が持っているノウハウ、役割を考えれば、都会と田舎をつなぎ、人と人をつなぎ社会に貢献することは当然なので又手を揚げることにした。
来年度の農水省の方針は、これまでのNPO法人への助成ではなく、地域へ直接交付するという、これまでにない方針になっている。今回は地域に協議会を設置してその協議会が手を挙げるという構図になっている。


Toyoshi Sasaki 〓
栗原の記録 [2010年10月17日(Sun)]
▼栗原市が岩手・宮城内陸地震の記録集を出した。
今日の災害復興学会で知人にお借りした。
じっくり読ませてもらった。

▼ボランティアの受け入れ、耕英震災復興の会の立ち上げ、電気の復旧・・・・
違うだろ・・・・
私と認識が全く違う・・・・
冒頭、刊行に当たってで栗原市長は「・・・体験や教訓を後世に伝えるとともに・・・・」とありましたが、どこに失敗から学ぶという教訓ガあるのか?
本当に後世に残すのであれば、うまくいかなかったことを明らかにして対策を検討しなければならないでしょう。
それらしきものは一切ありませんでした。いかにも完璧な対応をしたと言っています。
自画自賛した内容で・・・違うだろう・・・と思えることばかりです。
栗原市という行政が十分その責務を果たしたという宣伝材料として外には相当数配布しているようです。
被災した我々には配布されていません。
市民はどうやれば手に入るのでしょうか?
後世に伝える教訓を揚げるならば、是非失敗事例を伝えるべきだと思います。
ボランティアの対応や、復興の根本的な方向性、義捐金の配分など問題はたくさんあったと思います。
栗原市の初動体制もそうですが、栗原市社会福祉協議会も同じです。
栗原市社会福祉協議会のトップのバカさかげんには閉口です。
震災直後あなたは、何を見て、何を考えていたのですかと聞きたい。
認識不足で、私はあきれて何も言う気も起こりません。
「ボランティアは地元だけで・・・」何をいっているのだ。
どれだけ全国の善意があったのかわたっていない。どれだけ地元以外のボランティアが活躍したのか理解していないのか?
こんな記録集はどうやって教訓が伝わるのかはなはだ疑問ばかり残ります。
知らない人はこれを信じるのでしょうね。

Toyoshi Sasaki 〓
日本震災復興学会2010神戸大会 [2010年10月16日(Sat)]
▼今日から神戸大学で日本災害復興学会の大会が開催されている。
午前中のシンポジュウムに始まり、午後は20近くの口頭発表が続いた。
限られた時間に凝縮された発表が続いた。







▼神戸大学は六甲山麓の斜面にキャンパスが広がる。
地図からは推察するとさほどの距離ではなったので阪急六甲駅から歩いてきたが、実に急な斜面だった。
学会が終わり懇親会が開かれたが、私はひまわりおじさんこと荒井さんと三宮で待ち合わせしたので懇親会は欠席した。
神戸大学から見下ろす神戸の町の夜景が綺麗だった。


Toyoshi Sasaki 〓
励ましの色紙 [2010年09月30日(Thu)]
▼2丁目のロフトに色紙を貼った。
震災で被災した私達を励ますためにいただいたものだ。
多くの方々の支援をいつまで忘れずに励んでいきたい。




Toyoshi Sasaki 〓
県道開通その2 [2010年09月17日(Fri)]
▼9月17日午前11時
2年3ヶ月ぶりに県道が通じた。耕英地区に通じていた県道は震災で土砂崩れが寸断されていたがこの日開通した。

▼懐かしい風景を見ながら登ってきた。

▼窓滝経由の柳沢へ通じる道はまだ不通だ。橋の位置が変わり、大きな橋に架け替えられている。ここを通る道が自然学校へ一番近い道だ。




Toyoshi Sasaki 〓
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