原点 [2011年11月10日(Thu)]
▼盛岡にきた。
▼「岩手県内青少年集団宿泊施設職員合同研究会」の講師に呼ばれ、盛岡市立区界高原少年自然の家に来た。 国立岩手山青少年交流の家、県北青少年の家、県南青少年の家、陸中海岸青少年の家、区界高原少年自然の家の岩手県内の5施設(国立・県立・市立)の合同研究会だ。 「大震災を経験して」と題して、これまで取り組んできた青少年教育の視点から見た、震災で試されている「生きる力」に関して、これまでの自然学校の理念や、教育手法が間違いななかったことを伝えた。 ▼会場の盛岡市立区界高原少年自然の家は、私の原体験の場でもあある。 昭和43年〜44年、当時小学高学年だった私は、盛岡で子ども会活動によく参加していた。 現在の自分が運営している自然学校の原点はここにある。 ■昭和44年、岩手県選出の中山吾郎参議院議員が、予算委員会で当時の坂田文部大臣へ「私が少年の家の構想をご検討願いたいとおもうのは、現実に岩手県において、盛岡地区に区界という大きな高原があり、そこで学校の先生、その他の有志が推進力となって、土曜、日曜あるいは夏休みに、その地区の少年を集め、その原始的な環境の中で生活をさせ、文明社会において人間の心身の機能が後退していくのを取り戻すため、少年諸君が冒険計画を自分で実践するという一つの興味ある計画を数年実行している・・・・・青年の家という着想を少し角度をかえ、少年の家という着想をとり、新しい政策を発展、提案されてはどうか、大臣のご意見をお聞きしたいと思います。」 この提案がきっかけに現在全国にある「国立青少年自然の家」の設置が始まった。 ▼兜明神山の裾のに広がる区界高原 ▼昭和45年、中学生の夏休みに私は、小学校の時の仲間と山田線に乗ってテントをかついでキャンプに着た記憶がある。 小さい小川の横テントを張り、子どもだけのキャンプを楽しんだ。 その日は夜に天気が崩れ雨が降って、翌朝小さな小川が増水して、冷やしていた肉などの食材を流されてひもじい思いをしたことを思いだし、その場所を探してみた。 この小川に間違いはない。もうテントをはる環境ではなくなっていた。 |