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残されている2台の車 [2008年07月30日(Wed)]
◆仮設道路の開通間近!
昨夜、伝創館で行政説明会と地区民全体集会が開催された。
地震以来道路が寸断し、陸の孤島となっていた耕英地区。
昨夜の行政説明で天気がよければ今月31日に仮設道路は完成するという。

◆耕英地区の避難民は今日も一時帰宅でヘリコプターで耕英地区に帰った。
私も自然学校に久しぶりに帰ってきた。仮設道路が開通し、陸路から入ることが出来るとぐんと復興に近づくと感じる。

◆耕英地区の避難世帯40数戸の中で2世帯は、陸路から耕英地区へ行くことが出来たとしても深刻な問題を抱えている。
それは、この2軒の自宅に通じる道が寸断され、今も自宅に入ることすら出来ず、まして車を出すことすら出来ないか現在の状況である。
自宅に通じる道は、市道からつながる私道であるけれども、被災した市民の財産を守ると言う観点から、この私道を何とかできないものかと思う。

◆中越地震の際にも同じような状況があったそうだ。
中越では、自衛隊がヘリコプターで車を吊り上げる訓練をして、道が寸断した地区から車を取り出すチャレンジをしたと聞く。実際には実施する前に道が通じて解決したそうですが・・・
今回も何とかできないのか、多くの方々にこんな現実を知っていただき、解決策を出してもらいたい。

◆幸いにも私は、自然学校に通じる敷地内の私道は問題がないので、仮設道路が開通すれば、5台の車を下ろすことが出来るので問題はないが、この2軒の地区民の方は目の前に残された車を使う事が出来ない状況だ。

◆こんな中で私は、今後の栗原市の対応に注目したい。
説明会の中での答弁では、この問題に対して対処するような返答であった。
市長が常々発言している被災者が元の生活に戻るまで支援をすると言うことが、実際に栗原市が市民の財産を守るために行政の行動としてどこまで対応するのか注目したい。

◆家の前の道が寸断され、2軒の車が残されているという事態。
このブログを毎日読んでいただいている全国の千名を超える方々も一緒にこの残された2台の車のこの先の行方にご注目ください。

同じ地区民としても何とか出来ないものかと思案している。

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コメント
公のお金で個人資産を増やすようなことはできないという基準は平時のもの。非常時はそのようなことを言っていては、住民の生活を守れない。今回の場合は、私道であっても、車が通れるような整備をすることは行政が行ってもよいと考えられます。資産価値が高まるような立派な道路にする必要はなく、土の道でよいですから車が通れるようにし、日常の暮らしを取り戻すことのお手伝いをすることではないか。道路ではなく、震災復興に必要な仮設広場の整備という位置づけでもよい。例えば、産業施策で誘致企業に税制上の優遇や地代の補助などを行うこともよく行われているが、そのような施策も結果的には、企業という私的資産を増やしていることになっていることを考えると、名目を変えれば、砂利道を少し作る程度のことは十分可能なはずです。
Posted by: 高峰博保  at 2008年08月01日(Fri) 06:49