no title [2016年02月29日(Mon)]
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先日、大事にしていた急須を壊された。
その急須は、数年前にわざわざ益子まで連れて行ってもらって あれやこれやと丸一日探して 諦めかけた時に、ようやく見つけた逸品だった。 一目見た時から気に入って そのときの出会いの感動や喜びが詰まった 思い出の一つだったのだ。 だから、扱うわたしの手は 優しかったに違いない。 何年後も使い続けたいという気持ちがあったから。 形あるもの、ないもの、 いづれも時の流れとともに朽ちていく。 平家物語の教えだ。 もちろん、陶器みたいな繊細なものほど 壊れやすくて然るべきだと思う。 ただ、モノにだって寿命はある。 よく使ったから仕方ないものや まだまだ使えたのにと若くして亡くすものがある。 不慮の事故のように壊れてしまったのが今回であるが、 その壊した相手のゾンザイな扱い方に わたしの怒りは溢れ出したのだ。 やはり、世の中にはものを大事にできる人とできない人がいる。 きっとそれは大量生産大量消費社会を経験した 日本の弊害だと思う。 壊れたらまた買い直せばいい。 そんな思いがまだまだ蔓延ってるのだと思う。 しかしそうは思わない人が、最近増えてきているのだ。 長く大事に。 お気に入りを肌身に。 自ら語り部となりたくなるものを。 価値観の相違と、言えば仕方ない。 ただ、前者の価値観を持った人に壊されたのなら わたしの大事な急須は浮かばれないのではなかろうか。 もう壊れてしまったから 元には戻らないけれど また買い直そうと単純に思えないわたしがいる。 |

