卒業シーズン。
今、子ども達に伝えたいメッセージ。
私は、平和であることが危うくなってきた今
社会について無関心にならないでと伝えたい。
自分たちの未来は自分たちで変えていける。
諦めないで、何より命が大切であることを伝えたい。
そんな私の心に響く祝辞を紹介。
けーちんのブログより「岡崎市のあさひこ幼稚園」園長先生の 式辞
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/a2dbffb26f085300a3168f214515f605… 4月から小学校の1年生になるみんなには、楽しい出会いの日々が始まります。
楽しい夢をいっぱい持って、1年生になってください。
さて、夢といえば、あさひこ幼稚園では、いつも朝の9時半になると、この「イマジン」という歌が流れていました。
園長先生は、ジョン レノンという人が作った、この「イマジン」という素敵な歌を、みんなに聞いてもらいたいと思ったので、毎朝、幼稚園中に流すことにしたのです。
みんなのお部屋にも、遊びのお庭にも、先生たちの職員室にも、お母さんたちのお部屋にも、毎朝「イマジン」が流れました。
「イマジン」は、「想像してごらん」とか、「夢みてごらん」という意味です。
「こうなったらいいな」と想像したり、夢を見たりすることは、とても大切なことですね。
この「イマジン」という歌には、たった2つだけれど、とっても大切な、こんな夢が歌われています。
その1つ目は、この地球に住んでいる全部の人が、争って傷つけあったり、殺しあったりしないで、仲良く暮らせたらいいな、という夢です。
そして2つ目は、そのためには自分だけが欲張りにならないで、みんなでわかりあったり、分け合ったりできる仲間になることができたらいいなという夢です。
「イマジン」という歌には、この2つの素敵な夢が歌われていて、それは難しい言葉で言うと「平和」ということです。世界中が平和になったらいいですね。
残念ですが、まだ世界中には、仲良くしないで戦争をしている大人がいたり、なんでも自分のものにしてしまいたい欲張りな大人がいたりします。
仲良くできないのは、困ったことです。
欲張りは、恥ずかしいことです。
でも、みんなは大きい組になって、喧嘩になりそうになっても、話し合って仲良くすることができるようになりました。
友達が困っていたらその気持ちをわかってあげて、助け合うことだってできるようになりました。
だって、その方が、喧嘩したり、欲張ったりしているより、ずっと気持ちが良いとわかったからだよね。
だから今のみんなは、とっても素敵です。
だから、園長先生がみんなにお願いしたいのは、今、みんなが持っているその素敵な心を忘れないで、いつまでも「平和」への夢を持ち続けてほしいということです。
そして最後に、私を含めた全ての大人が、子どもたちの未来が平和であることへの責任を負い続けなければならないことを確認して、本日の式辞といたします。
もう一つは自由の森学園の校長先生の式辞
http://blog.goo.ne.jp/jiyunomori-nikki/e/4d20d0b15c6fbbd3b5a0cc91664c3b6eみなさんが3年生として過ごしたこの2015年という年は、戦後70年という日本にとっても世界にとっても大きな節目の年でした。戦争と平和の問題、そして安全保障の問題に大きく揺れた年でもありました。みなさんの中にも、こうした問題にどう向き合っていくのかということを真剣に考えていったり、行動しながら学んでいった人がいたことを知っています。
そこで、今から30年前、敗戦40年にあたる1985年5月8日に西ドイツの連邦議会で、当時西ドイツ大統領であったワイツゼッカー氏によっておこなわれた「荒れ野の40年」という演説を紹介します。
ワイツゼッカー氏はその演説の中で、ナチスの過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはいかない、われわれ全員が過去を引き受けなければならない―と訴え、そしてこう続けています。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を覆っていることになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
この強烈なメッセージは歴史を学ぶこと、歴史から学ぶことが現代を生きる私たちの使命であることを教えてくれました。
そして、戦争を知らない若い人たちへのメッセージとして、次のように続いています。
「若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、その後の歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があるのです。」
「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。」
ワイツゼッカー氏は、自分とはちがう思想や考えを持つ他者、異質な他者を、自分とはちがうものとして受け入れ、その中で相互理解を深め対立を和らげ、平和な世界をつくりたいという理想を持っていたのです。
そしてこれは、現代においても、混迷する世界情勢のみならず日本国内におけるさまざまな問題、差別や人権に関わる問題など私たち一人一人に問われているメッセージなのではないでしょうか。
この演説があった1985年は、まさに自由の森学園が開校した年です。
このメッセージを、私たちはどう受けとめたらいいのか、私は当時の生徒たちと一緒に考え合ったことを覚えています。
あれから30年たった今、また、みなさんとともに考え続けたいと思い紹介しました。
「民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい」とワイツゼッカー氏は語っています。このことにも少し触れさせてください。
2015年に改正公職選挙法が成立し、いわゆる「18歳選挙権」が実現することになりました。
イギリス在住の免疫学者 小野昌弘さんは自身のブログに「投票とは大人への階段」という記事を書いています。「誰に入れても同じだ」「「たった一票で社会が変わるわけがない」という人に向けてこのように言っています。
「いや、それでも誰に入れても同じだ、という人もいるかもしれない。本当にそうだろうか。それは違いを知らないから、知ろうとしていないからではないか。選挙の結果にしたがって社会がどう変わっているかを見ようとしたことがないからではないか。
社会での自分自身の立ち位置に一番近い候補者を選ぶためには、何より自分を理解しなきゃいけない。」
選挙にどう向き合うのか、それは自分自身と向き合うことであり、自分自身が問われていることなのでしょう。
これは、じつは「学ぶ」ということつながっているのだと私は思っています。
自由の森学園で学びは、誰かが用意した選択肢から正解を選択するというものではなく、事実や対象と向き合い、自分たちで問いを見つけ、調べたり確かめたりしながら、また、意見を交わしながら、自分自身の考えや答えを見つけていくというものであったと思います。
誰かに自分を丸投げするのではなく、自分の頭で考え、判断し行動していくこと。そして、学び続けていくこと。このことがワイツゼッカー氏のメッセージに応えることになるのではないかと私は思っています。
さあ、いよいよ卒業です。一人の市民として一人の人間として、しっかりと歩んでいってください。
みなさんのこれからに期待しています。卒業おめでとう。