1年の活動や思いがギッシリ詰まった総会資料が完成しました。
10年理事長として、1年を振り返った思いを冒頭に書かせて頂いてきました。
今回で最後のメッセージ・・・
10年たってやっと見えてきたこと気づいたこと
私が思う大切にしたい事を贈る言葉として綴りました。

14年度を振り返って 理事長 古川 明美
戦後70年を迎え、日本は大きな岐路に立っています。
平和な時代を生きてこられたことを感謝すると同時に、戦争を知る世代が少なくなっていく中、私たち世代の大人がそのバトンを引き継ぎ伝えていく責任を強く感じています。
「伝えなければ、なかったことになっていく」戦争の記憶も震災の記憶もどんどん薄れ、日々起こる悲しい事件やニュースも次から次へと上書きされ薄れていく。
人々が鈍感になりつつある感覚に大きな危機感を覚えています。
それは日々の暮らしや文化も同じです。
大切なことを大切な人に私たちはどれだけ伝えているのでしょうか?
私がNPO法人各務原子ども劇場の理事長となり10年が経ちました。
ただただ「子ども劇場」が大好きというだけで、何も分からない私が理事長となり、多くの人に支えられ、私は活動を通してたくさんの気づきをもらいながら育ててもらいました。
10年務めさせて頂いた理事長を退任するにあたり、私が大切に思う事をお伝えしたいと思います。
子どもにとって大切なもの、それは、遊びと文化と大人のまなざし。
まずは子どもの成長に欠かせない遊びと文化の「遊び」について。
私は様々な活動を通して子ども達と遊んできましたが、
プレーパークを初めて2年、日々の活動の中に疑問が沸くようになりました。
大人がお膳立てして集団遊びを企画した時「え〜やりたくない!」という子ども達がいると「そんなこと言わないで、1回だけやってみようよ」「せっかくだから」と言って促したりする場面があります。
ノープログラムのプレーパークで「自ら遊ぶ」を見ていると、「遊ばせる」という行為に違和感を覚えるようになったのです。
大人がそれをさせようと思って「さぁおいで」と、引っ張りこもうとしてもシブシブ参加する子にとっては、それはもはや遊びではないのではないか?
自分が「やってみたい」「やりたい」と思う心が遊びの本質。
では、お膳立てした企画はしていけないのか?と問われたら「誰のために何をする」かが明確でないなら止めた方がいいと私は考えます。
誰かに何かをしてもらうではなく、たっぷりとした時間と空間と仲間がいれば子ども達の遊びの世界は自由に広がっていくことをプレーパークの子どもたちが教えてくれました。
自分たちで考え、感じ、自分で決め工夫する。
遊びを通して自ら体得し学び育っていく。
プレーパークを作った団体としては天野さんが仰っていた「遊育(あそびで育つ)の価値を感じた大人の集団」でありたいと思います。
次に生の舞台に触れる「文化」について。
生まれたばかりの5か月の孫が今年「ぴーかーぶー」でシアターデビューをしました。
舞台が始まる前はグズグズしていたのに芝居が始まると、
ずっと動きを目で追い音に反応し見入っていました。
私はすっかり「ばば馬鹿」うちの子凄い!
こんなに小さいのに感じる力、受け止める力がしっかりある。
きっと私たち大人には見えなくなったものが見えているのではないかと思いました。
生の舞台って本当に素敵・・・今の子ども達は、機械の中で、創られた物の中で過ごすことが多い。でもやはり機械は機械。布が小鳥や風に見えたり感じたり、わらべうたに心も体もゆれる。
心の目を使ってたくさん想像し形のないものが見えてくる。
そんな感覚こそが生。
機械は生に適わない。だって温かさが違う。
小さな孫が改めて私に気づかせてくれた。
芝居を観る日は特別な日だけど、日々日常はママの声で十分。
いっぱい歌って、いっぱいお話してあげて欲しい。
機械の中に命はない。
人は命を感じ人の中で育っていくのです。
ふじたあさやさん(日本の劇作家)の言葉
「演劇には正解はありません。10人いれば10通りの表現があるのです。
それは点数のつけようのないものです。ですから演劇に点数はありません。
点数で有頂天になったり、落ち込んだりすることもありません。
だから演劇は人を育てます。
演劇を見て、登場人物を自分と同じだと思ったり、自分だったらどうするだろうと考えたり、ハラハラドキドキする。観終わった時、子どもの中には、他人の身になれる自分が育っている。」生の文化の持つ力を自分の言葉で語っていける「生の舞台を観続けることの価値を感じた大人の集団」でありたいと思います。
そして「子どもを信じて待つ」大人のまなざしについて。
子どもキャンプの中で私たちは子ども達と共に育ってきました。
中高生に「子どもキャンプ」はこうあるべきを押し付けていた頃のキャンプの中で「大人の目が怖い」と呟いた子どもの言葉に、私たち大人はハッとしました。
そして徹底的に観守る=子どもを信じるということの大切さに気付かせてもらいました。
「大人の出る幕は無い。ただそこに居るだけ。子どもの力を信じきる。
失敗も貴重な体験だと楽しんで失敗させる。全てを受け止める事ができた時、子どもが変わる。
いや子どもは何も変わっていないのかもしれない。
起こる現象は同じで、大人のとらえ方で変わっていったのかもしれない。」
これは、共に悩みながらアクティブKを観守ってきた中高青部長の佳代ちゃんの言葉です。
要は大人なのです。大人のまなざしを育んでいくことがとても大切なのです。
「信じて待つ」とは、こうあるべき姿に育つことを「信じて待つ」程度のことではなく、その子自身が、受精卵になったその時から持っている「生き抜く力」そのものを信じること。
その生き抜く力を信じて、その子が自分らしく、自分の力で育っていくことを信じて待つということ。これは、かなりの覚悟と忍耐がいります。
なかなか難しいことだからこそ、仲間と共に繰り返し考え、深めていかないといけないと思います。
そして信じて待つということは、大人にも言えること。
若いお母さん達の「やりたい」を観守り、育ってないと非難するのではなく共に学び、寄り添いっていきたいと思っています。
そんな大人のまなざしを育んでいくうえで、天野さんの言葉が心に強く残っています。
「教育したがる大人の中、遊ばない、遊べない幼少期を過ごしてきた子ども達が思春期を迎え、自分が生きていると実感できないことが多い。
子どもが生きる環境を、どうつくるかは大人しかない。
親が親だけの価値観で育てる事はやめよう!とても狭い!
親の世界に閉じ込めず、子どもの世界を広げるために親の世界を広げよう。
親のやれないことは、親だけで背負わない。
その為には、大人の人間関係が豊かであることが大切。
社会化されていくために、社会と出逢う。それは、たくさんの大人に出逢う事。」まさに、これは子ども劇場そのものだと思いました。
私は性教育「いのちの授業」と出逢い、命が生まれてきたことが奇跡であり、
受精卵になった時から生きる力を持っていたこと、一人一人が違っていいこと、
成長もそれぞれであること、ありのままを受け止めることの大切さを学びました。
母親は誰もが命がけで出産し、その誕生を無条件で喜んだはずなのに、
いつしかあれもこれも出来たらと欲張りになり、人と比べて焦ったり・・・現代社会に翻弄されてしまいがち。
人間の赤ちゃんは、誰かにお世話してもらわないと生きていけません。
どんな人も、誰かがお世話してくれたから生きています。
今、辛い状況であっても、とりあえず死なない程度のお世話だったとしても、
誰かがいたから生きていられた。
食べ物をもらい生きることはできても、愛をもらっていないと心の土台は育たない。
人間は愛を重ねながら、人を信じる心の土台を作っていくのです。
愛は何かができるからの条件付の愛ではなく無償の愛。
何をしても何があっても受止めてくれる無償の愛があれば何でも越えられる。
そう私は信じています。
子どもにとって正しさよりも、温かいまなざしの中で育つことが大切。
子ども達は、命になった瞬間から生きる力を持っている。
「子ども達を信じて待つ大人の集団」でありたいです。
「こうしなさい、こうあるべき」を求められる父性性の社会の中、子ども劇場は「安らぎを与え、ありのままを受け止める」母性性だけでよいと私は考えるようになりました。
10年たってやっと見えてきたこと気づいたこと、これらを伝えながら、何気ない日々を重ねることを大切に子ども達、親達と関わっていきたい。
長い間至らぬ私を支え共に歩んで下さった会員の皆さまありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
今年は40周年!新しい「各務原子ども劇場」が楽しみです。