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むつみさんが大好き黄ハート [2016年09月05日(Mon)]
大好きな永野むつみさん。
今まで何度も繰り返しお話を聞いてきました。
http://hipopotaamu.com/

いつも言葉のチョイスが文化的で、いちいちカッコいい。
それは歯の浮くようなカッコよさではなく
むっちゃん自身の体験からくるものであることと
むっちゃんの飾らない素直さと
文化的な表現が
人の心を動かすんだと思う。

一人一人を見守るまなざしは
とても深くて、
なぜそこまで思いを馳せれるのか?と思うほど。
それはむっちゃんが小さな人を尊敬し
その思いや、行動をちゃんと受け止めているから。

自分の意思で母胎を傷つけないように
自分の力で生まれてきた赤ちゃん。
そんな出産のお話は
私たちが日々伝えていることと同じ。

生きる力を持って生まれてきたのに
その芽を摘む大人たち。
そんな大人に気付きをくれる、むっちゃんのワーク!
昨日のワークショップの感想を聞きながら感じたこと。

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ああ、このワークはプレーパークそのものだと思った。
https://blog.canpan.info/manacafe/category_6/1

プレパでいう教育ではなく遊育は
むつみさんのいう、
教育的アプローチではなく芸術的アプローチ!

文化人のむっちゃんならではの手法ですが、
プレーパークで日々大切にしている思いと全く同じなんだよね。
むつみさんが仰ってた、そこで起こるドラマを観る力。
プレーパークに関わって頂けたら、自然に養われていく。
もっと皆に関わって欲しいと思った。

子どもの選んだことが
大人から見るとなぜ?と思う選択であっても
子どもなりに理由や思いがちゃんとある。
自分にとって、気持ちもいいことを選んだだけ。
気持ちでチョイスすることは全うな行為。
これって自分軸だと思った。
これは気持ちいい。気持ち悪い。
その感性はその人固有の物。
その感性を潰さない親でありたいな。

むっちゃんが伝えてくれたメッセージの中にはいくつかのヒントがあった。
命の危険を感じながら生きているパレスチナの子ども達のワークと
今すぐ命の危険がある訳ではない日本の子ども達が受けてるワークが同じだったことがショックだったそうです。
これってどういうことか、深めて話したいと思った人はどれくらいいただろうか?

待機児童の問題・・・
病児保育、長時間保育を訴えてきたけれど、間違っていたなぁ〜と感じている。
女も平等に働ける、これは男たちが作った理論。
子どもを産んだ女たちだからこそ守られる時期があっていい。
子どもが病気になったときくらい、母か父が休んでいいよって言える国が文化的。
子どもを産み育てることが保障される国であることを訴えてこればよかった。
人生の中の後悔だなぁ〜と仰っていました。

治安維持法が通ってしまった国(秘密保護法)
無批判で通ってしまう事が常になると、何も考えない動く必要がなくなる。
葛藤っていうものを取っちゃたらどうなるのか?
日本の未来についてビジョンもっている人がいるのか?
高尚な話題、政治的な話題も、日常の話題もつながっている。
つなげる力を劇場は育てるところ。
何でもない文化から学ぶ力。
すべての物を自分の学ぶ力にする。

むっちゃんのメッセージ胸に響きます。

考えない子どもを育てる学校。
子どもに与えられる豊かな物は
子どもにとって良い悪いではなく営利が目的で子どもはターゲット。
そんな社会の中で流されて生きている人が多い中
何が大切なのか?を考えられる場所が子ども劇場だと私は思っています。
でも、劇場の中にも自由に語れない空気がある。

そんな私の寂しさや葛藤に、いつもさりげなく寄り添ってくれるむっちゃん。
今日会えたことも必然・・・
むっちゃん、ありがとうございます。
例会楽しみにしています黄ハート
大好きなむっちゃんの講演会「受けとめる力を信じて」 [2016年06月18日(Sat)]
大好きな永野むつみさんの講演会「受けとめる力を信じて」
何度も何度も聞いているむっちゃんの講演会。
なのに、いつ聞いても最後は泣いてしまう私です。
今日は可愛いお嫁さんと孫と一緒に、むっちゃんのお話を聞くことができて本当に嬉しかった。

お友達が若いママにいっぱい声をかけてくれて、託児はパンパン!
そんな小さい人たちを一手に引き受けて、託児して下さった劇場のお母さん達に心から感謝です。

1日むっちゃんと過ごした贅沢な日。
むっちゃんの言葉が頭の中をグルグル回っています。
う〜溢れてくるぅ〜

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小さな人は、自分で食べること、住むとこなどを決める権利はなくて、大人に従うしかない。理不尽な別れや、仕打ちなども受け入れるしかなかったりする。
これ、いきなりガツンときた。
昨日、職場の学童室で理不尽なルールが子ども達に課せられました。
「プールにボールを入れてしまったらボール遊びは禁止」(わざと入れる子はいません)
これには凍りついた・・・かくれんぼ禁止の時も心折れたけどね。

「あ〜辛すぎる。この職場、もう辞めたいな・・・」って一瞬思ってしまった。
そんな現状を変えられない、自分の無力さが情けなくなるのです。
でもむっちゃんの言葉に恥ずかしくなった。
だって子どもは何を言われても学童に来るしかなくて、決まりを守るしかないのです。
なのにね、つい逃げたくなってしまった自分が恥ずかしくなりました。

子どもは「ね」の力を持って生まれてきます。
「おいしいね」
「楽しいね」
「うれしいね」
「ね」がつくことで喜びが何倍にもなります。
子どもは分かち合うことの喜びを知っているのです。
そして人の痛みが分かり、自分より小さい人に優しくする心をもっている。
でも小さな人は、自分の思いを上手く語る十分な言語を持っていません。
言語を多く獲得するために、文化に触れることはとても有効。
そして受け入れることの前提は理解です。
大人が変わることが彼らの生きやすさを保障するのです。

むっちゃんのお話は 絵本や物語の中から想像し読み取るような伝え方・・・
それは、より子ども達の目線や心情を想像しやすくて、とてもイメージしやすい。
そうなんです、講演会そのものが文化的なのです。

2歳の子ども達に「こめんなさい」を言う競争をさせてるように感じる場面ありませんか?
心から沸いてくる「ごめんなさい」ではなく
とりあえず言う「ごめんなさい」
まさに私の職場はそうです。
言えない子はダメな子。「ごめんなさい」をいう事で解決。
こんな儀式が繰り返されます。

私たちの子どもの頃は 毎日がプレーパークでした。
自然と関わり、退屈なくらいたっぷりとした時間があった。
その中で、異年齢で群れて遊び、喧嘩と仲直りを繰り返してきた。
喧嘩の後の後味の悪さ・・・「ごめんね」を言うまでの葛藤。
この時間がとても大切なのに、大人が介入することで、すぐに「ごめんなさい」で解決を強いられる。
言葉が成熟される時間が保障されるってとても大切。

この時間が保障されない今だからこそ、文化芸術の力を子育てに取り入れて欲しい。
観守る(見守る)とは、信じること。
そして芝居を観るってことは観守ることそのもの。
小さな人達は、ありったけの体験と経験と知識を使って舞台を受け止めています。
受止め方も皆違います。違って大丈夫です。
舞台の中の人形を観守り、どんどん当事者に近づいていく。
ドラマに吸い込まれ、主人公と共に共感したり感じたりしていく。
文化芸術は人の人生に触れること。
そして観続けることは、受止める力を育てること。

私たちは、たっぷりとあった時間と自然の中で、たくさん遊び、その中で多くのドラマを体験してきました。
その中で育まれた「肉体の記憶」は生きる力の土台となっていく。
この「肉体の記憶」がとても大切なのです。
今は情報が溢れています。
でもパソコンなどで、知識として知ることは「肉体の記憶」にはなりません。
「快」の感覚を体験として少しづつ感じ、「肉体の記憶」となっていくのです。
指先1つで、「冒険した気分」「空を飛んだ気分」になっていくことの多い今の子ども達は、とても怖いなぁ〜と感じました。

赤ちゃんにとってお母さんのお腹の中は、絶対的に安心な場所。
赤ちゃんはお腹の中で、お母さんの匂いや声を認識します。
その「肉体の記憶」を持って赤ちゃんは生まれてきます。
赤ちゃんは、自分で頭を小さくして顎を引いて、頭の一番小さな部分から、うまく通り抜けられるように、頭と体を回しながら、ゆっくりおりてくるのです。
それは自分の為だけではなく、母体を傷つけないため。
これから母乳をもらって生きていく。
生きていくために自分と母を守りながら生まれてくる。
そして、お母さんの声色や表情を「おしはかる」読み取る力を持って生まれてくるのです。
もうこの時点で、子どもの優しさや心の広さと生きる力を感じません?
でも子どもを、ただの未熟な生き物として、大人の「お供」くらいにしか感じていない大人が多いのが現実です。
私たちの「いのちの授業」にも通じるお話で、とても共感しました。

たっぷりとあった時間と自然が失われ、必要な「肉体の記憶」を持ちにくくなっている子ども達。
今こそ文化芸術の力を借りて子育てをして欲しいと思います。
そして、私たち大人も芝居を観て何を思い、何に感動したかを語りあうことで
自分が何を大切に生きているかが見えてくる。
それは自分の軸となるものだったりする。
文化芸術にはそれを引出す力があるんです。
絵本も芝居もね、素材、テーマ、思想を考えることでグッと深くなる。
「よかったね」「感動したね」とサラッと過ぎてしまうのではなく、そこをグッと深めることができるのが「子ども劇場」
仲間と観ることの魅力。観続けることの力をいっぱい感じることができました。
私は我が子達と数えきれない程の作品を観てきました。
共通の言語、共通の感動を重ねてきたことが私たち親子のかけがえのない「肉体の記憶」になっていると思いました。

同時に子ども達が、当たり前に「文化芸術」に触れられる環境を作る大人の責任を感じました。

子どもの権利条約 第31条に書かれていること、本気で伝えないとね!

「子どもの自由時間の保証、そして自由時間には、あそびと年齢に適した活動、
文化的かつ芸術的活動に参加できる環境を子どもに提供する必要がある」

書ききれない程、素敵なメッセージがいっぱいのむっちゃんの講演会。
その後の交流会は、続々と残る人が増えてびっくり。
お話聞くと、みんな喋りたくなるんだよね。

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ファンクラブメンバー佳代ママのおもてなしは愛がいっぱい!
美味しいパンとお菓子、そして酵素ドリンクに皆が癒やされました。

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そしてファンクラブ特権?夜の交流会は「永野むつみ講演会 熟女会?」
ふふ・・・ここでも深いお話がいっぱい!
社会のこと、今の政治のこともしっかりと語って下さるむっちゃん。
そして、男と女のことも・・・赤裸々に自分の人生を語るむっちゃん。
自分の弱さも、ズルさも、欠落している部分も、恥とせずにさらけ出し、全てをひっくるめての自分が生きている。
それが当たり前で素敵であることを、自然に感じさせてくれる、むっちゃん。
その魅力にはまり、虜になっていく私たち・・・

10年務めた理事長を退任し、新たなステージに向かう今、
このタイミングでむっちゃんと出逢えたことは必然。
そんな私の気持ちを十分に察し、伝えてくれたメッセージは

感じることは出来ても、変えられない人が多い。変えていこうと思い行動できることは才能。
饒舌な言葉だけに惑わされず、その人が何をしているのかをちゃんと見ること。
そして、自分の体験を信じること。体験は知識を越える。

いつも心配し気にかけて下さってること、そして遠くから見守って下さっていることを感じています。

ありがとう黄ハート むっちゃん大好きです。
そして、関わって下さった全ての方に心から感謝です。

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最後のメッセージ [2016年05月10日(Tue)]
1年の活動や思いがギッシリ詰まった総会資料が完成しました。
10年理事長として、1年を振り返った思いを冒頭に書かせて頂いてきました。

今回で最後のメッセージ・・・

10年たってやっと見えてきたこと気づいたこと
私が思う大切にしたい事を贈る言葉として綴りました。

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14年度を振り返って 理事長 古川 明美

戦後70年を迎え、日本は大きな岐路に立っています。
平和な時代を生きてこられたことを感謝すると同時に、戦争を知る世代が少なくなっていく中、私たち世代の大人がそのバトンを引き継ぎ伝えていく責任を強く感じています。
「伝えなければ、なかったことになっていく」戦争の記憶も震災の記憶もどんどん薄れ、日々起こる悲しい事件やニュースも次から次へと上書きされ薄れていく。
人々が鈍感になりつつある感覚に大きな危機感を覚えています。
それは日々の暮らしや文化も同じです。

大切なことを大切な人に私たちはどれだけ伝えているのでしょうか?

私がNPO法人各務原子ども劇場の理事長となり10年が経ちました。
ただただ「子ども劇場」が大好きというだけで、何も分からない私が理事長となり、多くの人に支えられ、私は活動を通してたくさんの気づきをもらいながら育ててもらいました。
10年務めさせて頂いた理事長を退任するにあたり、私が大切に思う事をお伝えしたいと思います。

子どもにとって大切なもの、それは、遊びと文化と大人のまなざし。

まずは子どもの成長に欠かせない遊びと文化の「遊び」について。
私は様々な活動を通して子ども達と遊んできましたが、
プレーパークを初めて2年、日々の活動の中に疑問が沸くようになりました。
大人がお膳立てして集団遊びを企画した時「え〜やりたくない!」という子ども達がいると「そんなこと言わないで、1回だけやってみようよ」「せっかくだから」と言って促したりする場面があります。
ノープログラムのプレーパークで「自ら遊ぶ」を見ていると、「遊ばせる」という行為に違和感を覚えるようになったのです。
大人がそれをさせようと思って「さぁおいで」と、引っ張りこもうとしてもシブシブ参加する子にとっては、それはもはや遊びではないのではないか?
自分が「やってみたい」「やりたい」と思う心が遊びの本質。
では、お膳立てした企画はしていけないのか?と問われたら「誰のために何をする」かが明確でないなら止めた方がいいと私は考えます。
誰かに何かをしてもらうではなく、たっぷりとした時間と空間と仲間がいれば子ども達の遊びの世界は自由に広がっていくことをプレーパークの子どもたちが教えてくれました。
自分たちで考え、感じ、自分で決め工夫する。
遊びを通して自ら体得し学び育っていく。
プレーパークを作った団体としては天野さんが仰っていた「遊育(あそびで育つ)の価値を感じた大人の集団」でありたいと思います。

次に生の舞台に触れる「文化」について。
生まれたばかりの5か月の孫が今年「ぴーかーぶー」でシアターデビューをしました。
舞台が始まる前はグズグズしていたのに芝居が始まると、
ずっと動きを目で追い音に反応し見入っていました。
私はすっかり「ばば馬鹿」うちの子凄い!
こんなに小さいのに感じる力、受け止める力がしっかりある。
きっと私たち大人には見えなくなったものが見えているのではないかと思いました。
生の舞台って本当に素敵・・・今の子ども達は、機械の中で、創られた物の中で過ごすことが多い。でもやはり機械は機械。布が小鳥や風に見えたり感じたり、わらべうたに心も体もゆれる。
心の目を使ってたくさん想像し形のないものが見えてくる。
そんな感覚こそが生。
機械は生に適わない。だって温かさが違う。
小さな孫が改めて私に気づかせてくれた。
芝居を観る日は特別な日だけど、日々日常はママの声で十分。
いっぱい歌って、いっぱいお話してあげて欲しい。
機械の中に命はない。
人は命を感じ人の中で育っていくのです。
ふじたあさやさん(日本の劇作家)の言葉
「演劇には正解はありません。10人いれば10通りの表現があるのです。
それは点数のつけようのないものです。ですから演劇に点数はありません。
点数で有頂天になったり、落ち込んだりすることもありません。
だから演劇は人を育てます。
演劇を見て、登場人物を自分と同じだと思ったり、自分だったらどうするだろうと考えたり、ハラハラドキドキする。観終わった時、子どもの中には、他人の身になれる自分が育っている。」生の文化の持つ力を自分の言葉で語っていける「生の舞台を観続けることの価値を感じた大人の集団」でありたいと思います。

そして「子どもを信じて待つ」大人のまなざしについて。
子どもキャンプの中で私たちは子ども達と共に育ってきました。
中高生に「子どもキャンプ」はこうあるべきを押し付けていた頃のキャンプの中で「大人の目が怖い」と呟いた子どもの言葉に、私たち大人はハッとしました。
そして徹底的に観守る=子どもを信じるということの大切さに気付かせてもらいました。
「大人の出る幕は無い。ただそこに居るだけ。子どもの力を信じきる。
失敗も貴重な体験だと楽しんで失敗させる。全てを受け止める事ができた時、子どもが変わる。
いや子どもは何も変わっていないのかもしれない。
起こる現象は同じで、大人のとらえ方で変わっていったのかもしれない。」
これは、共に悩みながらアクティブKを観守ってきた中高青部長の佳代ちゃんの言葉です。
要は大人なのです。大人のまなざしを育んでいくことがとても大切なのです。
「信じて待つ」とは、こうあるべき姿に育つことを「信じて待つ」程度のことではなく、その子自身が、受精卵になったその時から持っている「生き抜く力」そのものを信じること。
その生き抜く力を信じて、その子が自分らしく、自分の力で育っていくことを信じて待つということ。これは、かなりの覚悟と忍耐がいります。
なかなか難しいことだからこそ、仲間と共に繰り返し考え、深めていかないといけないと思います。
そして信じて待つということは、大人にも言えること。
若いお母さん達の「やりたい」を観守り、育ってないと非難するのではなく共に学び、寄り添いっていきたいと思っています。
そんな大人のまなざしを育んでいくうえで、天野さんの言葉が心に強く残っています。
「教育したがる大人の中、遊ばない、遊べない幼少期を過ごしてきた子ども達が思春期を迎え、自分が生きていると実感できないことが多い。
子どもが生きる環境を、どうつくるかは大人しかない。
親が親だけの価値観で育てる事はやめよう!とても狭い!
親の世界に閉じ込めず、子どもの世界を広げるために親の世界を広げよう。
親のやれないことは、親だけで背負わない。
その為には、大人の人間関係が豊かであることが大切。
社会化されていくために、社会と出逢う。それは、たくさんの大人に出逢う事。」まさに、これは子ども劇場そのものだと思いました。

私は性教育「いのちの授業」と出逢い、命が生まれてきたことが奇跡であり、
受精卵になった時から生きる力を持っていたこと、一人一人が違っていいこと、
成長もそれぞれであること、ありのままを受け止めることの大切さを学びました。
母親は誰もが命がけで出産し、その誕生を無条件で喜んだはずなのに、
いつしかあれもこれも出来たらと欲張りになり、人と比べて焦ったり・・・現代社会に翻弄されてしまいがち。
人間の赤ちゃんは、誰かにお世話してもらわないと生きていけません。
どんな人も、誰かがお世話してくれたから生きています。
今、辛い状況であっても、とりあえず死なない程度のお世話だったとしても、
誰かがいたから生きていられた。
食べ物をもらい生きることはできても、愛をもらっていないと心の土台は育たない。
人間は愛を重ねながら、人を信じる心の土台を作っていくのです。
愛は何かができるからの条件付の愛ではなく無償の愛。
何をしても何があっても受止めてくれる無償の愛があれば何でも越えられる。
そう私は信じています。
子どもにとって正しさよりも、温かいまなざしの中で育つことが大切。
子ども達は、命になった瞬間から生きる力を持っている。
「子ども達を信じて待つ大人の集団」でありたいです。

「こうしなさい、こうあるべき」を求められる父性性の社会の中、子ども劇場は「安らぎを与え、ありのままを受け止める」母性性だけでよいと私は考えるようになりました。
10年たってやっと見えてきたこと気づいたこと、これらを伝えながら、何気ない日々を重ねることを大切に子ども達、親達と関わっていきたい。
長い間至らぬ私を支え共に歩んで下さった会員の皆さまありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
今年は40周年!新しい「各務原子ども劇場」が楽しみです。
次男からのプレゼント [2016年04月29日(Fri)]
わが家の次男は映画好き!
高校の部活は英語部。
活動は映画鑑賞わーい(嬉しい顔)
ひたすら映画を観るだけのユル過ぎる部活です。
そこで観たのか?よくわからないけど

時々「おかあと観たい映画があるんやて・・・」とゲオで映画を借りてくる。
今夜もやることいっぱいなのに、一緒に観よう!とお誘いが・・・

日頃好き勝手している母なので、誘われたら断れない。
そして母をよく理解している彼のチョイスは悪くない。

前回の『タイタンズを忘れない』も感動号泣!

人種差別が渦巻く中、白人黒人混合の高校フットボールチームの選手達が、スポーツを通じて徐々に分かり合い、周囲の人々をも巻き込みながら、奇跡を起こしていくお話でした。

そして今日は『ライフ・イズ・ビューティフル』
http://movie.walkerplus.com/mv30946/
収容所に送られたユダヤ人の父親が、幼い息子を生きながらえさせるために意外な作戦を実行していく、愛情たっぷりのお話。

親の愛の深さと
ホロコーストの恐怖。
感動したけど、苦しさも残る。
くぅ〜寝る前に観るもんじゃないって思った。

今、このタイミングでこの映画を「おかあと観たい」という次男。
彼は、今の国のあり方に怒りと不安を抱いている。
でも周りの友達は無関心・・・
自分の活動も誰にも言えない。

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きっといろんなこと考えて悩んでいるんだと思った。
葛藤して、見えてくるといいな。
誰と何をしたいかを・・・
じっくり悩んでいいからね。

忙しさに追われ、自分からは映画鑑賞の時間を作る余裕のない私。
思いがけずもらった、次男からのプレゼントに感謝揺れるハート

いい時間をありがとう。
いつまでも親バカですハート(トランプ) [2016年04月29日(Fri)]
私を一番悩ませて、
私に一番気付きをくれた長男。
彼が理解できず
受け入れられなくて
彼を苦手に感じ
そんな自分を責め
苦しかった日々。

性教育との出逢い
様々な人との出逢いや体験
それらを通して私自身が変わることで彼との関係がよくなってきた。

ありのままの彼を受け止めること。

信じて見守ること。

それだけ...

不思議と争いはなくなり
彼を苦手とするのではなく
面白い奴と思えるようになってきた。

それくらい奔放な生き方の長男。

高校を半年で自ら卒業。
アイドル目指して上京。
挫折後、非行に走る。
あっという間にヤンキーになった。
数々の悪さをして、あちこちの警察のお世話になり家裁いき。

そしてヤンキーも早々に卒業。
働きながら、高卒とって
子どもができて結婚ハート
仕事も建設業の会社を転々とし
とっとと一人親方で独立!

本当に自分の思いのままに生きる彼に、
正直ハラハラさせられるけど、
最近はカッコいいなぁ〜って思う。

めっちゃ幸せそうで生き生きしてる。

そんな長男と今日久しぶりに話したの。

工場を借りて、夜中まで必死で溶接練習して、
ようやく職人の足元?にたどり着けたくらいだけど、
そんな自分が心地よく思ってたぴかぴか(新しい)

そして仕事を請けるよう営業に回る日々の中、お客さんに
「古川くん、これからは機械の時代だよ、どれだけ溶接の腕を磨いても、その倍の精密さで何倍もの数作れるんだよ。」って言われて悲しくなったそうです。

でも、そこでめげないのが彼のいいところ!
「でもね、機械には出来ないこと、図面通りじゃない仕事、ここだけ作って!みたいな仕事絶対あると思う。俺は機械に負けない。人間にしかできない、そんな職人になりたいんやて。そこを求めるお客さんも絶対にいる!」
そう語る長男の言葉に涙が出てきた。

最近は忙しくて、嫁も子どももほったらかし...
そんな自分に寄り添い頑張ってる優しいお嫁さんへの感謝の気持ちも忘れてない。
優しい過ぎる長男揺れるハート

そんな長男がますます大好きになってしまった。
私を親にしてくれてありがとう。
私をばーちゃんにしてくれてありがとう。
いつまでも親バカです。

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評価のない世界 [2016年03月27日(Sun)]
最近「いのちの授業」で障がいのある子ども達と関わる機会が増えてきた。
https://blog.canpan.info/manacafe/archive/119

今までの生活の中では、ほとんど関わることがなく、正直戸惑う自分もいました。
でも実際に施設の先生や保護者の方、そして子ども達と直接関わり感じたこと・・・
伝え方は違うけど、人として大切なことは、
障がいがあるない関係なくて、みんな同じなんだよね。
そして、つい支援する側、支援される側って思いがちだけど
お互いにもらうものが沢山あるってこと。

発達・知的障がいのある人達のための美術教室「風の芸術村」主催の「ゆっくりつくる展」の最終日。
ワークショップの様子を見学させてもらって、それを凄く感じた。

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なんかね、子ども達にも作品にも、めっちゃ癒された!
とにかく自由。
そして無心に集中して自分の世界を表現する子ども達が凄いって思った。
評価のない世界。
だからこんなに自由で開放的。
学校の廊下に並ぶ子ども達の作品とはまるで違う。(学校は、ほぼ同じに見えるのよ)
私の周りの子ども達は、常に評価の中で生きている。

なんだかなぁ〜って思っちゃった。

障がいがあってもなくても
表現することって本当に楽しいことなのにね。

風の芸術村では障害がある・ないにかかわらず
みんなが生き生きと一緒に生きていける共生社会に
少しでも近づくことを願いながら活動しています。

私の知らない世界が、まだまだたくさんあります。
でも、大切なことは皆つながっている。
あれもこれもは出来ないけど、
知らない世界も知っていきたいと思いました。

子ども達の表情・・・思い出すだけど幸せな気持ちになる。
もらうものいっぱいだよ・・・本当にありがとう揺れるハート

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なりきりイメージあそび [2016年03月27日(Sun)]
私たち子ども劇場の会員にとっては「表現あそび」のワークショップはよくあること。
私は「表現あそび」が大好き!
でも、一般的には「なに、それ?」って感じで、それこそイメージしにくいらしい。
本来、子どもの遊びの世界はほとんどが表現あそび。
幼児期はなおさら、毎日何かをイメージしてなりきって遊んでいるはず。

「表現あそび」のワークショップに親子で一緒に参加すると
イメージいっぱいの子どもの世界を共有し、
その想像の世界の大切さ、子どもの力をリアルに感じることができる。

今日は劇団風の子中部の皆さんと一緒に「なりきりイメージあそび」
めっちゃ楽しかったぁ〜
何がはじまる?ってドキドキは大人も子どもも同じ。
手遊びやわらべうたの自己紹介で少しづつ心を開放し
劇団のゆうなちゃんと共に子ども達が世界を作っていく。
何もないのに、
ゆうなちゃんの手がカタツムリ、ヤドカリ、鳥に見えてくる。
子ども達の声を拾いながら、ゆうなちゃんが物語をつなげていく。
まさにライブ・・・世界にひとつだけのお話がひろがる・・・

お弁当を落として泣いてる、ゾウさんやカニさんにお弁当を作って届けるお話は皆が主役。
あっという間に冒険が始まる。
ままごとセットも、なぁ〜んにもないけど「でっかいお弁当が完成」
みんなには見えてるのよね。
からあげ、かまぼこ、ミートボール、さくらんぼを詰めて運んだよ。

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お母さん達も、ゴロゴロ道になったり、トンネル作ったり、風になったり・・・

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日々日常はおもちゃに囲まれ、形ある物、作られた世界で遊ぶことが多い子ども達。
でも何にもなくても、こんなにイメージして遊ぶことが出来るんだよね。
これプレパでも日々感じていること・・・

おもいっきり遊んだあと、お母さん達と交流。

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「子どもが初めは躊躇していた。様子を見ながら段々輪に入れるようになった。」
「こういう時間が大切。もっとこういう機会があるといい。」
そんな感想が多い中、劇団の西川さんの言葉が胸に響いた。
「初めは入れない・・・そんなの当たり前!
大人だって一緒じゃん。
いきなり知らない人の中で遊べる?
時間が必要なんだよ。興味が沸いたらやるだけ。
遊びに評価はいらない。
輪に入って思いっきり表現できる子がいいの?
出来ない子はダメなの?
遊びに評価はいらないよ。
人と比較して、競争していく社会の中で子ども達は生きてるけど、それがどれだけ苦しいことか・・・
こうして想像して表現して仲間と創っていくことが生きる力になっていく。
こういう時間が大切と思ったら、皆で、自分たちで作っていこうよ!
子育て支援事業はサービスを提供する場になりがち。
でもねサービスにはクレームがつきもの。
皆でつくる活動からはクレームは出ないよ。
子どもには主体的に生きて欲しいって思ってるでしょ。
だったらお母さん達も、動こうよ。」

各務原子ども劇場も活動がイベント化することが多い。
そうなると受身の人が増えちゃう。
こうして活動を通して大切なこと確認しあう時間大切だね。
プレパの後にも出来るといいなぁ〜って思ったよ。

以前、劇団そらのゆめの川村ミチルさんが言ってた言葉を思い出した。
今、表現力は生きる力として求められています。
でも観ていないと表現出来ないのです。
鑑賞と表現は呼吸のようなもの。
吸っったり吐いたりの関係。
表現することは、表に表すこと。
表があれば、内側もある訳で、内面がないと表現ができない。
生の舞台鑑賞、感動体験の積み重ねは、内側が育っていく。
表現するためには鑑賞が必要。

4月17日の幼児例会「いろはにこんぺいと」たくさんの幼児親子に観て欲しい。
心からそう思いました。
http://www12.plala.or.jp/npokkg/2miru/2miru.html
佐々木正美先生のお話 [2016年03月20日(Sun)]
毎日ハードで濃すぎる日々・・・

今日はみんなで苅谷市まで電車でGO!
ずっとずっと会いたかった児童精神科医・佐々木正美先生。
今日が最後の講演と聞き、その場に多くの仲間と共に参加できたことに心から感謝。

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今日は主催者の日本知育玩具協会の藤田さんと佐々木先生の対談。
「放課後に落ちこぼれない子になるために」
「お友達と仲良くなれる子どもの育て方」
この二つのテーマで対談。

たっちゃんが伝えてくれた、佐々木先生の教えがベースにあって聞く今日の対談は
その再確認となる時間でした。

先生の優しく穏やかな語り口にただただ癒され、
もっと早くに出逢ってみたかったなぁ〜と思いました。

昭和10年生まれ、戦争中も今も子どもは変わらない。
不自由な時代でもいっぱい遊んだ。
身近な物を玩具に見立て、自分で考え工夫しイメージし遊ぶ。
想像力と創造力をいっぱい使う。
子どもに遊びは絶対に必要不可欠。
「放課後に落ちこぼれない子」ってどういうことか?
勉強より遊び時間に落ちこぼれることがよくない。
お友達と遊べないと社会性が身に付きにくい。

人間の生きがいは、相手に喜びを与えること。
でも、人より優れたことをする事を喜びに感じる人が増えている。
そうすると人が他人の成功を喜べなかったり、人の不幸を喜んだり・・・

遊びの中でルールを頭に思い描き
役割を分担し演じ合う。責任を果たす。
そして喜びや感動を分かち合う。
倫理や道徳は言われて身に付くのではなく
仲間と遊ぶ中で獲得していく。

そんな経験をしないまま大人になってしまう。
人と比べる競争社会。消耗使い捨ての社会。
引きこもりの子がいるのは日本だけ
子どもの精神科なんて昔はなかったのに今は満員。

弱点、欠点は指摘しても、よいことにならない。
全ての短所と長所はつながっている。
みんな違う者同士。
片付けが苦手な子は、たえず前を向いているから(先生ご自身だそうです)
苦手なこともあるけど、できることもある。
先生の奥さまが「佐々木先生はいい先生だけど100点じゃない」って優しく伝えて下さいました。

相手を大切にすることは
自分がどれだけ大切にされているかということ。
それは夫、子ども、仲間・・・みんな同じ
人は支え合い、よりかかり、人の間で生きていく。
まさに人間は人間関係の中で生きる。

そんな素敵なメッセージをたくさん伝えて下さいました。
今日は本当にありがとうございました。
先生のお話を自分の言葉で伝えていきたいと思います。

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子どもにとっての放課後 [2016年03月08日(Tue)]
子どもにとっての放課後って何だろう?
一日学校で過ごすって結構疲れる。
終わりの会の後ランドセルを背負った瞬間は、ふぅ〜と一息ついたもんだ。
そして下校時間はドラマチックで楽しかった。
道草は当たり前、溝にハマったり、いたずらしたり、喧嘩や仲直りもいっぱい。
大人の監視下を離れた子どもの世界は、まさに自由だった。

今、学童室で仕事をしています。
そこには自由はありません。
大人の監視の目の中で子ども達は過ごしています。
そして今年から6年生までとなりました。
6年間、1日中大人の監視下の中で過ごすことが
子どもにとってどんな影響を与えるのか?
大人はもっと子どもの育ちに大切な事は何かを学ばなくてはいけない。

「あれはダメ、これはダメ、危ないからやめなさい、おりこうにしてなさい」
こんな言葉がずっと飛び交っている。
「働く保護者の代わりに、時間まで安全に預ること」が目的の学童保育。
「遊びの大切さ」子どもの自主性を重んじることは求められていない。
日々悶々とすることが多いけど、
どんな不自由な中でも、どん欲に遊び楽しみをうみ出す子ども達の姿に勇気をもらっています。
そして私がここにいることに意味がある・・・そう信じて子ども達と関わっています。

けーちんのブログのレポートが素敵だったのでシェアします。
https://blog.canpan.info/sec/blog/article/regist/input

けーちんの言うように
「大人の価値観を押し付けられて良い子で有り続けないといけないけれど、学童で友だちと遊ぶことができる子ども」と
「家に帰っても誰もおらず口うるさいことも言われないが、遊ぶ友だちも遊ぶ場所もなくてメディアに頼らざるを得ない子ども」の、どっちがマシなんだろう?
これも悩みどころ・・・

「プレーパーク」や「冒険遊び場」を作っても、1つの市に1つの場所ではたくさんの子どもが遊ぶことができない。
子どもには「自分の足で遊びに行くことができるところ」「日常的に遊べる場所」が必要。
レポートにある福岡市では、学校の校庭を解放したプレパのような遊び場、子どもの自由な遊びを尊重する取り組みをしているらしい。しかも、65%を超える小学校が実施。

それぞれの地域に「子どもの遊び」を理解する親が一気に増え、
田舎の子もまちなかの子も、遊ぶ仲間と遊ぶ場所が確保される!
プレーパークを各地で作るよりも一気に広められるのではないか?
という内容・・・
これ、ちょっと各務原でも広めれないか?
いろんな場で話題にしていこうと思う。

そして最近ずっと思っていること・・・
プレーパークや子ども劇場、森のようちえんやフリースクール。
そうした居場所作りも、とても大切なんだけど
そんな場所と出逢う事が、夢のまた夢のような子ども達が私の周りにはいっぱいいます。
圧倒的多数の子ども達が地域の幼稚園、学校に通う現実。
以前観た、映画「みんなの学校」のような学校が当たり前に増えていくこと
やっぱ幼稚園、学校が変わることが一番なんだよね。

https://blog.canpan.info/manacafe/archive/89

勿論、家庭や地域も共に変わるよう・・・大人たちが共に学ぶことが大切なんだと思う。
愛だね・・・ [2016年02月07日(Sun)]
今日は息子夫婦お出掛けということで、初の孫お預かり!
可愛いらーちゃんと過ごせるのは嬉しいけど、
めっちゃドキドキでした。

ママがいなくて慣れない我が家で、
どうなることやらと不安だったけど、
一番不安なのはらーちゃんだよね。
笑顔でいたのは最初の20分くらい。
あれ?なんで愛しのママがいない?
そこからはずっとグズグズ、大泣き、ウトウトの繰り返し。
お気に入り玩具も気に入らない。
おやつも投げちゃう!
離乳食も食べれるか〜と大暴れ。
ミルクもイヤイヤ!
芽依に抱っこされ泣きつかれて眠っても15分ですぐ起きちゃう。

ヘルプに駆けつけてくれた友達に状況説明すると
「当たり前やん!大好きなママがいないんだもん」
離乳食が先?ミルクが先?なんてオロオロしてたら
「何でもいいよ。欲しがるもんあげればいいから、今日はそんでいい!」
そんな当たり前のことを言われて、そうだよねって納得。
すっかりお嫁さんに任された、新米ばーちゃんになってましたわーい(嬉しい顔)

友達や家族みんなと過ごしたらーちゃん、今日は頑張ったね。

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ママとパパが帰ってきたらキャッキャと笑い、離乳食をペロリと食べた。

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スゲ〜 ママは偉大だ!
ママがいるだけで、らーちゃんは安心して元気になれるんだよね。
今日らーちゃんが頑張ってお留守番してくれたから、ママもいっぱい充電できた。

人間の赤ちゃんて、誰かにお世話してもらわないと死んじゃう。
どんな人も、誰かがお世話してくれたから生きている。
今、辛い状況であっても
とりあえず死なない程度のお世話だったとしても、
誰かがいたから生きていられた。
でも人間は、ママとらーちゃんのように愛を重ねながら、
人を信じる心の土台を作っていく。
生きていても、愛をもらっていないと心の土台は育たない。
愛だね・・・無償の愛。
これさえあれば何でも越えられる。
らーちゃん、愛してるよ!
泣いてもいいからまた来てね!
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