地域で育む子どもの居場所〜気遣い人となって寄り添う〜 [2016年11月21日(Mon)]
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今日は各務原市社協主催の講演会
「地域で育む子どもの居場所。〜気遣い人となって寄り添う〜」に参加。 NPO法人ゆめ・まち・ねっとのたっちゃん&みっきいのお話を聞き充電!元気もらった。 http://yumemachinet.web.fc2.com/ 私の同志、よっちゃん&だくんが営む みんなのおうち「おだやか荘」のPRもいっぱいしてくれて嬉しかった たっちゃんのお話と昨日の「子どもの権利条約」がめっちゃ重なった。 https://blog.canpan.info/manacafe/archive/327 あたり前ってなに? 目が見えるって当たり前?手が二本あるって当たり前?じゃ手が一本は? ぼくら子どもだって大人と同じ人間。 今を生きている一人の人間。 子ども自身が国や大人に対して要求する権利を持っている! 自由に遊ぶ権利、文化や余暇が与えられる権利がある。 日本は守れているのかなぁ〜 そんな台詞が思い出された。 今日は、自分の権利が奪われているような淋しさを感じる場面があったので たっちゃんの話が聞けて、本当によかった。 イベントなし プログラムなし タイムスケジュールなし いつ来ていつ帰ってもよし 遊んでも遊ばなくてもよし ただ、側にいる大人。 子どもたちと日々を重ねる。 やっぱり、これでOKだと思った。 以前に聞いた、たっちゃんの言葉をずっと覚えています。 誰でもどうその居場所つくりは 「今日もたくさん来てくれてよかったね」だけで終わる危険性がある。 ここがなくても居場所があるような子どもが ここにも来ただけに陥る危険性もある。 「みんな」が集まるような場所には 「みんな」に入れない子ども 「みんな」から排除される子どもは行かない。 なぜ居場所づくりをするのか? どんな子どもと出逢い、どんな日々を重ねたいのか? 「居場所」が「一律化、一斉、集団」化してはだめ・・・ 僕らは生きづらさを抱えた子ども、若者の「居場所」つくりをしています。 そんな居場所を作りたいと頑張っている みんなのおうち「おだやか荘」 地域の無理解。行政の無理解。 無理解が苦しくて辛い時がいっぱいある。 私もよっちゃんも、よく一緒に泣いた。 凹んでは立ち直るの繰り返しです。 でも前にすすむ。 みらいをつくる。 立ち止まっている暇はない。 今日も、そう思いました。 私には夢がある! 今を生きる子どもたちに 寄り添い続ける大人たちを支え、 共に歩む行政に変えていきたい。 |



