わたしの大好きな「ゆめまちねっと」のたっちゃん&みっきーの娘。
さやかちゃんのメッセージをシェアします。
多くの方に知って頂きたい事実です。
さやかちゃんの言うリアリティのない場所で生きている事実と
リアリティと想像力の壁を越えて実際に行動できる事実に
深く深く考えさせられました。
私たちは沖縄、福島など、この国の出来事にも無関心になりつつあります。
私自身もリアリティのないところで生きています。
でも想像力をいっぱいつかって、思いを馳せることができるとも思っています。
何ができるかは人それぞれ違う。
想像し思いをはせ、常に知ろうとするアンテナを張り関心を持つことで
リアリティと想像力の壁を越えて実際に行動できる。
さやかちゃんが伝えてくれた事実を受け止め、
日本という国が今のままでいいのか?
いつの間にか加害者になっていないか?
考えていかないといけない時だと思う。
さやかちゃん伝えてくれてありがとう。
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1年前の昨日の早朝。
わたしの滞在していたところからバスで1時間の先住民族の村が、早朝、襲撃にあった。
66軒の家が燃やされ、なにが起きているかわからず泣く子どもを抱いて、命からがら森の中へ逃げた村人たち。戻ってきてみたら、竹の家もお米も子どもの教科書も家具もすべて灰だったと。
すぐ近くの別の村には何度も通っていたし、その襲撃された村だって、何度か前を通ったことがある、知ってる村だった。
いつもは一緒に歌ったり踊ったりお酒を飲んだりしていた先住民族の友人たちからすぐに電話があった。いや、わたしがかけたのかもしれない。もう忘れてしまったけれど。
「なにかしよう!」
たぶん、5分くらいで話はまとまった。
襲撃事件の裏にはいろいろな要因や関係がある。
ここは、先住民族たちが昔から生きてきた土地に、40万人の入植者を政府が送り込んだ地域。
軍事化も開発もその流れのなかでやってきた。
言葉・宗教・習慣の違いが生む多くの対立、差別、人権侵害、そしてなによりも土地をめぐる争いが原因で、いまもこういった襲撃事件がたまに起こる。
様々な利害関係、軍との距離、政府の意図、根本の問題・・・
頭によぎらないわけではなかったけれど、難しいことは言ってられなかった。
近所の人たちからは、お鍋や服や米が集まった。
FBの記事を見て、バングラデシュに暮らす日本人と、日本に暮らす日本人がお金を送ってくれた。それで毛布を買い、塩を買い、ロウソクを買い、小さなぼんこつトラックを借りて全部積んだ。トラックをただで貸してくれたおっちゃんがいた。マージンなしでお米を売ってくれるおばちゃんがいた。あふれる言葉はありがとうばっかりだった。
しかし、わたしの前にたちはだかったのは、
「少数民族に肩入れした活動は控えるように。一時の感情で動かないように」という言葉だった。いま冷静に考えると立場上当たり前のことだったかもしれない。
わたしは国連でインターンシップ中だった。
笑われもしたし、冷たい言葉を受ける日もあった。
けど、12月の寒い夜に食べ物も毛布もなく野ざらしで襲撃のショックと寒さの下、夜を明かす人の存在と、この言葉は、わたしの頭の中では共存しなかった。できなかった。
寝なくても平気な日々が続いた。
夜中の3時になっても、服の仕分けをしているとピンポーンと玄関がなる。
仲間のひとりが戸をあけると、寒いなか、手ぬぐいみたいなのを頭に巻いて、袋いっぱいの服とタオルをもったおじいさんがいたこともあった。
いつも、休憩時間に見る満点の星空がきれいだった。
結局132名の方のあたたかいご寄付は、これら緊急物資の支援と、行政がわたすお見舞金のように、間に入る力の強い人・偉い人にとられてしまわないように各家庭のお母さんたちに直接渡す日用品を買う一時金、被害にあった子どもたちが学びをあきらめずに学校にまた行くための教育手当、を中心に使わせていただいた。
バングラから、日本から、「チッタゴン丘陵地帯なんて、名前も聞いたことがなかったけれど」という人までが、「なにか役にたつならば」と信じてお金を託してくださった。
睡眠時間もほぼ削った状態で、耳に入ってくる日々辛い現状を受け止めながら動いていたわたしたちには、寄付と一緒に送られてくるあたたかいメッセージが、本当に心の励みで、感謝で涙が出る日もあった。
だからこそ襲撃にあった村の人たちには「あなた方は世界から忘れられてはいないんだよ」「日本から、応援してくれてる人たちがいるよ」ってことを伝えてた。
和平協定が結ばれて18年。
それなのにまだ村が焼かれる現実、先住民族の女の子が毎月レイプされる現実、約束されたはずの選挙が実施されない現実。
この事件の翌月、今度は街中で入植者たちと先住民族たちの大きな衝突があったときには、外出禁止令が5日間続いて家にじゃがいもしかなくなった。
「国際社会はぼくたちをあきらめた」と別の友達が表現してたのは、大袈裟ではない気がした。「終戦」って「平和」のスタートラインじゃなかったの?そんな根本がわからなくなる。
わたしは外国人だから、襲撃された村までは入れなかった。
カメラマンの仲間が、村へに行っては今日をギリギリ生きる人たちを映してきてくれた。
灰になった家の前に座り込み、ただただ地面を見つめる女の子の顔が忘れられなかった。
今回、寄付の収支決算報告を作るにあたって、1年前、現地で自分が書いた文章を読み返した。
そのときの文章には力があった。言葉が生きていた。
・・・今、日本で、エレベーターに乗り、電車で通学し、ICカードで改札を通り、コンビニで選び放題の商品を選び、電子レンジで一瞬であたたまる食べ物を食べ、クレジットカードで買い物をし、カフェのwifiに一瞬でつながり、こうやって電気ストーブにあたりながらパソコンの画面を通して世界のあっち側をのぞいていると、あのときあの場にいたわたしでさえも感覚が遠のいていく。
それは怖いくらいに、確実にどんどんリアリティを失っていく。
あれはいったいなんだったのだろう、と。
時間が経てばたつほど、距離が広がれば広がるほど、想像力が働かなくなってくる。
だから、お茶の間のテレビでガザの空爆が映し出されても、中東でテロで死んだ人のニュースを聞いても、これはリアリティがないわけだ。
親近感もわかない。そんなのにリアリティをもてというほうが難しいかもしれない。
だからこそ、そんな中、今回迅速な寄付をくださった132名のみなさんには、まるまる2日かかっても全員に直接お礼と報告のメールやハガキを送りたかった。
そんなリアリティと想像力の壁を越えて実際に行動に移してくださった方々だったから。
わたしにとっても、ボガチョリの村の住民たちにとっても、特別な方々だったから。みなさんがいなかったら、わたしはたちにはなにもできなかった。
襲撃当日のお米を買ったら、もうわたしの持ってたお金なんて一瞬で底をつきたから。
人は知ったことの範囲内でしか考えられない。
間接的にでも出会った人しか関われない。だから偶然の出会いを通して、こうして海を越えて共に行動にしてくれた方々に心からお礼を伝えたかったのです。
希望をありがとう。
だからこそ、リアリティも責任ももてない、想像もつかないところで行われる関係ない戦争や紛争に、無責任に首をつっこんでいくことになったらと考えるとわたしは怖い。
しかも「こちら側は傷つかない戦争」ってのが一番恐ろしい。
いつかテレビの向こうで見る空爆に使われてる爆弾が、自分の払った税金で作られてるなんてことにはなってほしくない。
紛争地にもわたしたちと変わらぬ人々がいて、家族があって、希望に満ちた子どもたちがいる。どんな国でも、どんな国籍でも、どんな民族でも、命の重みは一緒であるべきはずだし、希望をもって生きられるべきだから。
朝になってしまいました。
リアリティを失いかけた今のわたしの、長い長い独り言を読んでくださった方ありがとう。

