社会的背景を考える [2016年09月11日(Sun)]
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神奈川県相模原市でおきた19人の障害者を殺害事件は許しがたいことです。
でも「特異な事件」として片づけるのではなく 社会的背景を考えるポイントがたくさんあることに気付きました。 長いですけど、是非読んで頂きたい記事です。 http://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/sagamihara_b_11863594.html ●入所施設の問題。 一般の青年層・壮年層が大集団で、しかも期限なしで生活するなどということは、普通はないことです。通常の社会にはあり得ないことが、やまゆり園にはあった。 やまゆり園は高尾山の麓にあり、 いまでこそ住宅地が迫って来ていますが、もともとは何もないところでした。 地域から隔離された入所施設に150名近い利用者が在園という状況があった。 ●匿名という問題。 人の死というのは、その方の固有名詞があって、 その方の性別や年齢などがあってはじめて悼む気持ちが生まれ、 それによって手の合わせ方も変わって来るはずです。 匿名報道は遺族の意向と言われますが、 これは「この子はいないことになっている」ことの現れではないでしょうか。 20歳以下ならいざ知らず、20歳を超えた方について、 たとえ親の意向とはいえ匿名のままでいいのでしょうか。とても違和感があります。 ●事件のあった敷地内の体育館で90人の方が事件後もずっと長期に暮らしているということ。 同胞が惨殺された同じ敷地内で暮らすなどというのは、普通ないことではないでしょうか。 厚労省は、「障害者にとっては慣れた環境のほうがいい」と述べていますが、 これは本当に障害者を知っている者の発想ではありません。 詭弁です。普通の目線では考えられません。 事件そのものも問題ですが、事件後も本質的な問題が連なっています。 相模原事件は、こうした事件後のおかしさを含めて全体像をとらえることが大切です。 こうした事件を話題にみんなで考えること大切だと思います。 |



