大好きな永野むつみさんの講演会「受けとめる力を信じて」
何度も何度も聞いているむっちゃんの講演会。
なのに、いつ聞いても最後は泣いてしまう私です。
今日は可愛いお嫁さんと孫と一緒に、むっちゃんのお話を聞くことができて本当に嬉しかった。
お友達が若いママにいっぱい声をかけてくれて、託児はパンパン!
そんな小さい人たちを一手に引き受けて、託児して下さった劇場のお母さん達に心から感謝です。
1日むっちゃんと過ごした贅沢な日。
むっちゃんの言葉が頭の中をグルグル回っています。
う〜溢れてくるぅ〜

小さな人は、自分で食べること、住むとこなどを決める権利はなくて、大人に従うしかない。理不尽な別れや、仕打ちなども受け入れるしかなかったりする。
これ、いきなりガツンときた。
昨日、職場の学童室で理不尽なルールが子ども達に課せられました。
「プールにボールを入れてしまったらボール遊びは禁止」(わざと入れる子はいません)
これには凍りついた・・・かくれんぼ禁止の時も心折れたけどね。
「あ〜辛すぎる。この職場、もう辞めたいな・・・」って一瞬思ってしまった。
そんな現状を変えられない、自分の無力さが情けなくなるのです。
でもむっちゃんの言葉に恥ずかしくなった。
だって子どもは何を言われても学童に来るしかなくて、決まりを守るしかないのです。
なのにね、つい逃げたくなってしまった自分が恥ずかしくなりました。
子どもは「ね」の力を持って生まれてきます。
「おいしいね」
「楽しいね」
「うれしいね」
「ね」がつくことで喜びが何倍にもなります。
子どもは分かち合うことの喜びを知っているのです。
そして人の痛みが分かり、自分より小さい人に優しくする心をもっている。
でも小さな人は、自分の思いを上手く語る十分な言語を持っていません。
言語を多く獲得するために、文化に触れることはとても有効。
そして受け入れることの前提は理解です。
大人が変わることが彼らの生きやすさを保障するのです。
むっちゃんのお話は 絵本や物語の中から想像し読み取るような伝え方・・・
それは、より子ども達の目線や心情を想像しやすくて、とてもイメージしやすい。
そうなんです、講演会そのものが文化的なのです。
2歳の子ども達に「こめんなさい」を言う競争をさせてるように感じる場面ありませんか?
心から沸いてくる「ごめんなさい」ではなく
とりあえず言う「ごめんなさい」
まさに私の職場はそうです。
言えない子はダメな子。「ごめんなさい」をいう事で解決。
こんな儀式が繰り返されます。
私たちの子どもの頃は 毎日がプレーパークでした。
自然と関わり、退屈なくらいたっぷりとした時間があった。
その中で、異年齢で群れて遊び、喧嘩と仲直りを繰り返してきた。
喧嘩の後の後味の悪さ・・・「ごめんね」を言うまでの葛藤。
この時間がとても大切なのに、大人が介入することで、すぐに「ごめんなさい」で解決を強いられる。
言葉が成熟される時間が保障されるってとても大切。
この時間が保障されない今だからこそ、文化芸術の力を子育てに取り入れて欲しい。
観守る(見守る)とは、信じること。
そして芝居を観るってことは観守ることそのもの。
小さな人達は、ありったけの体験と経験と知識を使って舞台を受け止めています。
受止め方も皆違います。違って大丈夫です。
舞台の中の人形を観守り、どんどん当事者に近づいていく。
ドラマに吸い込まれ、主人公と共に共感したり感じたりしていく。
文化芸術は人の人生に触れること。
そして観続けることは、受止める力を育てること。
私たちは、たっぷりとあった時間と自然の中で、たくさん遊び、その中で多くのドラマを体験してきました。
その中で育まれた「肉体の記憶」は生きる力の土台となっていく。
この「肉体の記憶」がとても大切なのです。
今は情報が溢れています。
でもパソコンなどで、知識として知ることは「肉体の記憶」にはなりません。
「快」の感覚を体験として少しづつ感じ、「肉体の記憶」となっていくのです。
指先1つで、「冒険した気分」「空を飛んだ気分」になっていくことの多い今の子ども達は、とても怖いなぁ〜と感じました。
赤ちゃんにとってお母さんのお腹の中は、絶対的に安心な場所。
赤ちゃんはお腹の中で、お母さんの匂いや声を認識します。
その「肉体の記憶」を持って赤ちゃんは生まれてきます。
赤ちゃんは、自分で頭を小さくして顎を引いて、頭の一番小さな部分から、うまく通り抜けられるように、頭と体を回しながら、ゆっくりおりてくるのです。
それは自分の為だけではなく、母体を傷つけないため。
これから母乳をもらって生きていく。
生きていくために自分と母を守りながら生まれてくる。
そして、お母さんの声色や表情を「おしはかる」読み取る力を持って生まれてくるのです。
もうこの時点で、子どもの優しさや心の広さと生きる力を感じません?
でも子どもを、ただの未熟な生き物として、大人の「お供」くらいにしか感じていない大人が多いのが現実です。
私たちの「いのちの授業」にも通じるお話で、とても共感しました。
たっぷりとあった時間と自然が失われ、必要な「肉体の記憶」を持ちにくくなっている子ども達。
今こそ文化芸術の力を借りて子育てをして欲しいと思います。
そして、私たち大人も芝居を観て何を思い、何に感動したかを語りあうことで
自分が何を大切に生きているかが見えてくる。
それは自分の軸となるものだったりする。
文化芸術にはそれを引出す力があるんです。
絵本も芝居もね、素材、テーマ、思想を考えることでグッと深くなる。
「よかったね」「感動したね」とサラッと過ぎてしまうのではなく、そこをグッと深めることができるのが「子ども劇場」
仲間と観ることの魅力。観続けることの力をいっぱい感じることができました。
私は我が子達と数えきれない程の作品を観てきました。
共通の言語、共通の感動を重ねてきたことが私たち親子のかけがえのない「肉体の記憶」になっていると思いました。
同時に子ども達が、当たり前に「文化芸術」に触れられる環境を作る大人の責任を感じました。
子どもの権利条約 第31条に書かれていること、本気で伝えないとね!
「子どもの自由時間の保証、そして自由時間には、あそびと年齢に適した活動、
文化的かつ芸術的活動に参加できる環境を子どもに提供する必要がある」
書ききれない程、素敵なメッセージがいっぱいのむっちゃんの講演会。
その後の交流会は、続々と残る人が増えてびっくり。
お話聞くと、みんな喋りたくなるんだよね。

ファンクラブメンバー佳代ママのおもてなしは愛がいっぱい!
美味しいパンとお菓子、そして酵素ドリンクに皆が癒やされました。


そしてファンクラブ特権?夜の交流会は「永野むつみ講演会 熟女会?」
ふふ・・・ここでも深いお話がいっぱい!
社会のこと、今の政治のこともしっかりと語って下さるむっちゃん。
そして、男と女のことも・・・赤裸々に自分の人生を語るむっちゃん。
自分の弱さも、ズルさも、欠落している部分も、恥とせずにさらけ出し、全てをひっくるめての自分が生きている。
それが当たり前で素敵であることを、自然に感じさせてくれる、むっちゃん。
その魅力にはまり、虜になっていく私たち・・・
10年務めた理事長を退任し、新たなステージに向かう今、
このタイミングでむっちゃんと出逢えたことは必然。
そんな私の気持ちを十分に察し、伝えてくれたメッセージは
感じることは出来ても、変えられない人が多い。変えていこうと思い行動できることは才能。
饒舌な言葉だけに惑わされず、その人が何をしているのかをちゃんと見ること。
そして、自分の体験を信じること。体験は知識を越える。
いつも心配し気にかけて下さってること、そして遠くから見守って下さっていることを感じています。
ありがとう

むっちゃん大好きです。
そして、関わって下さった全ての方に心から感謝です。
