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茨城・学びの会情報発信ブログ

「茨城・学びの会」月例会の報告を中心に発信しています。明日の学校づくり・授業づくりのために,会員のみなさんや授業づくり・学校づくりに関心のある方からのコメント等をいただければと思います。


4月例会のご案内 [2013年03月22日(Fri)]

以下の通り4月29日例会のご案内を掲載しました。


4月例会案内


25年度会員登録用紙


平成25年度茨城・学びの会例会計画

3月例会の報告 [2013年03月21日(Thu)]

「茨城・学びの会」3月例会の記録報告 報告者 仁平伸一

1 授業実践DVD視聴とリフレクションから
(1)授業者から
・「間の取り方」,「教師の話の長さ」,「ことば」を意識しながら取り組んだ。
・グラフ用紙は,話し合いの手段として各グループに1枚ずつ用意した。各個人用にも1枚ずつ渡しておいた。しかし,そのことでグループの意見を集約するような話し合いになってしまった 感がある。
・授業後,ビデオをしばらく見ることができなかった。
(2)各グループでのリフレクションから
・子どもたちが,皆課題によく集中している。
・「どこで休ませるか」で,子どもたちは頭をひねったのではないか。
・子どもたちが,グラフを自在に操れれば,もっと授業展開が違ったのではない か。
・子どもの話し合いの様子から,学び合いの捉えがしっかりとできていると感じ た。また,「学習課題」も質が高い。
・学習課題の中では,「秒」と「分」で表されている。ここで,子どもたちを迷わす必要があるのか疑問である。
・本時の授業では,グラフで表す有用性を実感させることをねらいにしてみてはどうだったか?
・グループ→全体にしたときに,今,この場では「何を共有しているのか」を,明確にするために,全体の後,またグループにしてみても良かったのではないか。
・授業者の先生が,子どものペースで,子どもをよく見て授業を進めている。
・先生と子どもとの様子から,学級経営と授業が一体化していると感じた。話を聴いている姿。子ども同士がサポートし合っている。その一方で,先生が答えを用意しているから,教師同士で授業が進んでしまう。
・「分からないからみんなで考えてみよう」と交わる。
・正解を共有するのではない。「分からなさを共有する。」→人間関係を育てる。
※ 授業者の先生についてのコメント
・授業後,授業についてよく分析をされている熱心な先生。
・授業中の児童指名は,教師による意図的指名ではなく,児童相互の連続指名を行っている。今まで,連続指名を導入することに,計画的に指導をしてきていらっしゃっる。
・いつまでも先生ご自身が学んでいる「教師としての姿勢」をもっていらっしゃる。



3月17日(日)に開催された例会は18名の参加人数でした。授業実践DVDは岩井第一小学校の6年生算数の授業,話題提供は今橋浩一先生でした。以下,授業DVD視聴後のリフレクションの主な内容や今橋先生の提供した話題について,岩本先生がコメントを寄せてくれましたので掲載します。

1授業実践DVDの視聴

授業DVD視聴後のリフレクション
250317例会

250317例会


算数科学びのデザイン1月(速さ)

岩井第一小学校6年1組 算数 単元名 速さ 
・グラフの表し方とか,授業のねらいを絞ることも必要か?
・なぜグループに戻したのかと,理由を明確にしていくと質が上がっていく。
・算数が好きなんだろうと思わせるような子どもたちの意欲・意見がつながっていく授業がすごい。
・学級経営と授業が一体化しているのがよく分かる。
・友達をサポートしている姿もすばらしい。
・大変な時期を乗り越えてこの時期を迎えた。来年も担任したいという思いが強い。(授業者)
・教務主任が研究授業に入れ込んでいる。まるで自分の授業のように思っている。
・教師が,子どもがどんな考えを出してくれるのかを待っている授業。その考えを元にして再構成して授業をデザインしていくすばらしさがある。
・こんな授業をやったら授業は(子どもは)駄目になるというものがある。例えば,比較検討時に解答をいくつか並べて授業を行うという旧態依然とした授業はいけない。今回の授業はそれを脱しているからすばらしい。できれば,「分からなさ」を共有できる人間関係を育ててほしい。
・この学級は連続発言ができる学級である。先生が意図的に育てているのが分かる。
・39人の学級をていねいに育ててきているのがよくわかる。


岩本先生からのコメント

3月例会で学んだこと 岩 本 泰 則 

3月17日,年度末で多忙な時期である。そういう中で,実践発表をする岩井第一小から授業者はじめ教頭先生を含め4人もの参加,初めての参加者も数名,おかげさまで濃密な研修会になりました。2つの実践から学んだことを報告します。

岩井第一小学校6年算数「速さ」大久保教諭の授業から
本校は,「協同的な学び」を取り入れて3年目になる。2月例会では1年生の授業の報告があった。今回は6年生,ビデオを見せてもらっての驚きは,子どもの学びである。課題はかなり難しい。おそらく教師自身が創った課題であろう。1時間,どの子どもも外れることなく思考し続けている。6年生にもなるとついていけなくて脱落者が必ず出てくる,そういう子がいない。連続発言が当たり前になっている。そして教師の居方,余裕がある。子どもがどんな考えを出してくるのか楽しみにしているようだ。授業のデザインもいい。状況に合わせ再構成をしている。算数の授業といえば,5段階指導にがんじがらめになっている茨城県の小学校の算数授業,課題提示⇒見通し⇒自力解決⇒比較検討⇒・・・である。これが算数指導のすべてだと信じている教師が多い。子どもを見ないでこの過程を踏んでいるだけの授業が多い。しかし,岩井第一小の授業デザインは違う。この授業では課題提示の後,グループでめいめいが課題解決に取り組んでいる。隣にも前にも友達がいるから分からなければいつでも聞けるという安心感がある。だからといってすぐには聞かない。とにかく自分の考えを作っている。子どもたちは時間が経つにつれて,隣の人と相談が始まる。ぼそぼその声が大きくなったり小さくなったりと続く。グループ学習を中断しては全体に戻す。そして共有する。「ここから先,また考えて」と,またグループに戻す。納得するまで戻していく手法をとっている。教師のまとめはしない。それぞれがノートにまとめている。もちろん教師は授業後しっかりと子どものノートを見ている。子どもの学びのペースと教師のペースが合っている大久保流の授業だと思った。
ビデオ視聴の後,4,5人グループで協議会が始まった。私たちの所には教務主任が同席した。驚いたことに,授業のこと子どものことなどを聞くと自分のことのように語る。この先生教務主任なのに,まるで担任みたいだ,授業者みたいだ。当事者意識が育っている。これだけでも本校の姿が推察できる。
勿論,気になるところもある。課題提示のあと,「ここまでで分からないこと,ある?」という教師の言葉が発せられた。(いいぞ,いいぞ,誰か出してくれ,そこから学びが始まる,分からなさが共有できる)と期待した。が,誰も言葉を発しない,次へと進む。授業の半ばにも,「〇〇さんの説明で分かんないことありますか?」という教師の言葉があったが,ここでも誰も出さない。
それから,何を「共有」するかの問題である。どうしても,「正解」になるものが対象になってしまっている。一概にまずいということではないが,「間違い」「分からなさ」,つまり「困り感」の共有ができないものか。これをやるには勇気が必要といった授業者がいた。その子を傷つけてしまうからだという。なるほどわからないわけではないが,それを克服していくのが「協同的な学び」ではないか。学びは「分からない」「間違い」「つぶやき」「発見」等から始まる。確かにこの時間,どの子も真剣に夢中に取り組んでいる授業であった。しかし,分からないまま終わってしまった子もいるのではないかと心配する。佐藤学著「学校の挑戦」P38にこのような文章がある。
『教室で一人残らず学びが成立する授業はどう組織すればいいだろうか。まず,学ぶ内容のレベルを通常の授業レベルより高いレベルに設定しなければならない。そうしないと「上」の層の学びは成立しない。それと同時に「下」の層の子どもの問いを積極的に取り込んでいかないと,一人残らず学びが成立する授業は不可能である。つまり,授業の内容レベルはより高く設定し,同時に学びの組織においては最も低いレベルの子どもの問いを授業の中に取り込むことが必要なのである。』
このような視点を授業に取り組むチャレンジを是非していただきたいと期待している。
最後に大事なことを。協議会で小林先生から,私たちへ提案があった。上述した気になることの一番目である。
T「分かんないことある。」
C 無言
このように無言で終わってしまっていいのか,なぜ無言なのか,出させるにはどうしたらよいか,このようなことをこのままにしておくのでなく月例会の中で討議していく必要性,それらを茨城・学びの会として積み上げていく必要性があるのではないかという提案があった。同感である。ビデオを視聴して終わりでなく,プラスアルファが必要であり,それが私たちの成長であると痛感した。


2話題提供 今橋浩一先生

250317例会


以下,岩本先生のコメントからです。

今橋浩一先生の講話「学校づくり・授業づくりを考える」から
今橋浩一校長の講話「学校づくり・授業づくりを考える」は圧巻だった。
講話に先立って,会員持ち回りによる話題提供としての講話を3月のこの時期に申し出た理由が述べられた。学校改革2年目の年度末までに改革の事実がどれだけ作れるか,そして,引き受けた講話で何が語れるかを目標にして3月にお願いしたという。自分へのプレッシャーである。もしかしてできないかもしれない,この日欠席するかもしれないという覚悟があったという。
講話は,プロローグとして「大先輩の言葉や姿から学ぶ」,3人の大先輩との出会いの話から始まった。若い時代に出会った共に職場を同じにした大先輩である。私は,ここに大きな興味を持った。県や県南の教育を動かしている立派な先生方ばかりだからだ。若い頃近くにいた先生でなく教育事務所時代に知り合った先生方であり,偉大な先生とは思ってはいたが私はいつも距離をおいて見ていた先生方である。今橋さんは,「魂においては頑固で,精神においては柔軟な」人間である。そういう人格の形成にこういう方々との出会いがあったのかと感慨深く聞いていた。私にはこういう出会いはない。学校経営にしても学級経営にしても教科経営にしても,私には同じ職場にこういう出会いや「モデル」がなかったなどとうらやましく思いながら聞き入っていた。
本題に入った。現在校長である今橋先生。自分にとって,学校づくり・授業づくりをしていることの前提,なぜ学びの共同体か,否,協同的な学びを取り入れた学校づくり・授業づくりをしているのか。実践上大事なことは何か。「学びの共同体」を鵜呑みにして取り組んでいないこと。2つの学校づくりのプロセスが同じでないことなど,その背景や哲学を基に自分に言い聞かせるように語り続けた。一般論でない,今橋論が展開されていた。
その中に「私は最初の学校で,方針を出さないで学校づくりを始めた。それはダメでした。でも職員から湧き上がったことを利用して経営をする,それが私の手法です」こんな話があった。全く同感である。学校経営は授業と同じように「不確実性」のものである。最初にこうしようと思ったってその通りに行くはずがない。その都度その都度再構成が必要なのである。その時,「職員から湧き上がったものを利用して」経営をするのである。学校づくりってそういうものだと思っている。追求していると,何かに触発されて次から次へとアイディアが生まれてくるものである。
講話が終わった時には月例会終了の時刻になっていた。それに気がつかないほどの1時間20分,濃密な時間であった。11月から3回,A中学校の学年研修に関わらせて頂いた。前に聞いていた様子とは信じられないほど変化している。なぜだろうか。それは,この日の講話からも十分に分かるのだが,配布された10ページに及ぶ資料をじっくり丁寧に読ませてもらうともっと明確になる。加えて,今橋校長は,日常の職場において,教師の人格を,生活を本当に大事にしている。資料熟読をお薦めする。私にはここまでの理論や実践はなかった。


※ 今橋先生の提供資料についてはアップでき次第掲載します。
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