お知らせ
[2012年03月28日(Wed)]
伊藤紳一郎先生から,3月例会の概略を送っていただきました。
記録が全くなかったので大変助かりました。
以下,PDFです。
3月例会で学んだこと
実践校の先生方にお願い
学びの共同体研究会事務局(稲葉先生)に
スーパーバイザーが来校する期日と名前をメールでお知らせください。
hpに一覧で掲載しています。
学びの共同体ネットワークづくりにご協力をお願いします。
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お知らせ
伊藤紳一郎先生から,3月例会の概略を送っていただきました。 記録が全くなかったので大変助かりました。 以下,PDFです。 3月例会で学んだこと 実践校の先生方にお願い 学びの共同体研究会事務局(稲葉先生)に スーパーバイザーが来校する期日と名前をメールでお知らせください。 hpに一覧で掲載しています。 学びの共同体ネットワークづくりにご協力をお願いします。
例会案内
TOMOへのたより NO,5
「学び合うTOMOへ」NO5 2012.3.26 茨城・学びの会代表 岩本泰則 1 どんな卒業式をしましたか。 どこの学校でも行う卒業式、今年はどんな式になっただろうか、否、その卒業式にどんな意味をもたせたであろうか。卒業式とは、中学校であるならば「中学校生活3年間の集大成」であり、これからの人生の節目となる「飛躍の場」である。3年間の教育の結果がここに集約される。だからこだわるのである。この3月、2つの小中学校に、そして希望して睦中学校へ、あれだけの内容を創った学校であるからとワクワクしての卒業式に参列させてもらった。睦中学校の卒業式はさすがに内容のある見事な卒業式であった。とりわけ「答辞」や全校合唱「大地讃頌」には感動した。3年間の学びの集大成が具体的に語られその一つ一つが目に浮かんでくるようであった。美辞麗句を並べたありきたりの答辞ではない。「最高の内容を最高の形式に盛る」という言葉が今でも心にずっしりと残っている。そういう卒業式であった。前者の2つの卒業式には何の感動もなく、50年前の卒業式と殆ど変わらない。この違いはどこから来るのだろうか。その大きな要因は校長にあるといっても過言ではあるまい。校長の教育に対する夢やビジョンあるいは教養にあるのかもしれない。 2 外部講師招聘を学校改革に100パーセント生かしていますか。 今年度も外部講師として多くの学校から招聘を頂いた。その中で共通していることは、「学びの共同体」にほれこみ、学校を改革しようと取り組んでいる学校の校長はどこへ行ってもすばらしいということである。しかし、招聘した外部講師を学校の改革にどう生かすかについては、上手な校長と下手な校長では、学校改革に歴然とした差が出てくる。 3 外部講師を見事に活用している校長がいる。 I小学校へは今年度からだが3回お伺いした。お伺いするたびに内容が深まり、先生方が豊かに成長していている。それは、校長の力量に寄るところが大きい。校長がしっかりしたビジョンや哲学そして方略を持っている。職員の思いをとことん聞き、引き受け、その思いに寄り添い「道案内」をしている。そして、外部講師の活用も実にうまい、見事な経営者でもある。 先日、A先生が「大造じいさんとがん」の提案授業をした。それまでの経緯には学ぶことが沢山あった。研修部はもちろん校長もまた、陰に陽に提案授業者に関わっている。提案授業までの経緯は次の通りである。 同僚が浜之郷小学校へ、国語の授業に感動、同僚が職員室で先生方に報告、「教師が引っ張っていく授業でない、言葉少し、子どもが活躍、文学を味わう授業、こんな授業をしてみたいね。」 それを聞いたA先生、「今度の提案授業ではそういう授業をしてみたい」、そこで浜之郷小学校へ自分も参観、まっ先に向かった教室は同僚が絶賛した教室、自分も感動、私もこんな授業をしてみたい。憧れが芽生えたという。 これまで提案授業は算数、3学期は国語に挑戦してみようという計画になっていた。校長は、1月例会で前元吉原中学校の田中由美子先生の「 私の国語教室−学び合う学びをめざして」で学んだことを本人に直接伝えたり、校長室通信「学びの窓」で提案授業への適切なアドバイスを送る。 そうして提案授業日を迎える。私が学校へ到着すると、提案授業者が校長室に入ってきて今日の授業「私の挑戦」について説明。「校長先生にお聞きしたことをもとに、テキストづくりから始めました。行間をあけて、そこに自分の考えを書き入れられるようにしました。一人読みに十分時間をとって、テキストに書き込み、みんなで話し合う、こういうパターンでやりました。この書き込み、いいですね、初めてです。ここまで3時間やりましたが、とにかく子どもの考えを聴くことに専念しました。私の胸に落ちるまで聴く。すると子どもも教師も読み味わうようになりました。『読み味わう授業』挑戦してみたいと思っています。よろしくお願いします。…」 A先生は40代、つい最近までいわゆる「教える」授業を何年もやってきた。これまで大事にしてきたものを多かれ少なかれ壊さなければいけない授業に挑戦するわけである。私は感動しながら聞いていた。「うまくいかなくてもいいからね」と一言。 そして提案授業、読みから始まる。夢中になって読み浸っている。テキストにはぎっしり自分の読みが書かれている。授業終了後、子どもたちは「5時間目があっというまに終わってしまった」「疲れたー」と発していたように、集中と緊張がみなぎっていた。授業の途中には、シーンとした場面がり、教師は困惑し焦り子どもを待ちきれずしゃべってしまった場面もあったが、『読み味わう』授業をつくろうとしていた。 授業後の協議では、A先生の挑戦にすべての先生方が共感し称賛、語りながら涙する教師も、最後に「やってよかったです」と涙を浮かべながら語る提案授業者、もらい泣きする先生、校長先生も涙していた。教師たちがつながった一瞬だった。全日程が終了すると、提案した教師を再び校長室へという具合である。 「A先生、続けてくださいね。続けているうちに先生らしい授業が生まれますよ。」そう願いながら学校を後にした。 第1回目の訪問後、校長先生から「本校の職員の資質向上を高め、本校で培った力を本市の別な学校において発揮するようになれば、少しは市全体の教職員の資質向上につながるのではないかと考えました。これが『学び』を始めたきっかけです。」という便りをいただいた。トップに壮大なビジョンがあり方略があり、そういうトップが引っ張り上げない限り組織は動き出さない。学校も同じである。そう思った。 以下,PDF版 TOMOへのたよりNO,5
3月18日の幹事会に参加されるみなさんへ
シンポジウム参加報告
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