
子ども時代が助けてくれる[2020年09月10日(Thu)]
ほめて、のびる。
みとめて、そだつ。
確かに正しい。
でも、それだけでは、子どももおとなもちょっと苦しいんだ。
私がまめのめ、いいなって思うのは、できた・できない、合ってる・間違ってる、とはちがう「それおもしろいね」っていうまなざしで溢れているところです。
「ねぇ、みてみてー!」
子どもはおとなによく言う。
褒めて欲しいのか、認めて欲しいのか。
そうだけど、そうじゃない。
本当はね、きっと分かち合いたい。
「ほらね、おもしろいでしょ!」ってね。
小学4年生の頃、朝露を小瓶に集めて、満月の光に当てて持ち歩くと、いい事があるらしいと聞き、葉っぱについた露をひたすら集めてまわっていた。
地味な遊びだけど、魔女になった気分で、しずくでいっぱいの瓶に達成感さえ感じるほど。
それを見た近所のおばさんが、「へぇ!おもしろいね」って言ってくれたのが忘れられない。
運動が出来たらすごいね、勉強が出来たらえらいねって言われるのとは違って、おもしろがってくれることが、まるごと私を見てくれた気がして、嬉しくて。
今でも心もとない時は立ち戻る。
私このままで大丈夫、またそこからはじめられる、小さな出来事だけど、自分らしさを取り戻す、大切な思い出となっている。
遊ぶことって、その子そのもの。
だから、遊ぶこととは生きること。
生きることを面白がってくれる大人がいることは、どれほどの安心感だろう。
そんなまなざしの中で、子どもの時間を心のままに過ごせたなら。
いつか彼らがおとなになった時、今度は小さな頃の彼らが相棒となってそばに居てくれるだろう。
困った時、くじけそうな時は、知恵を出し合えばいい。
そしてどうか、世界を楽しく、楽しく生き抜いてほしい。
やまとも