森から始まったのだ[2020年02月25日(Tue)]
森から始まったのだ
誘われ訪れた��なかだの森であそぼう��は当たり前のように毎週通う場になってしまった。顔見知りが増えて、声をかけてもらうのが心地よく温かくて、体を心を開かれるのだ。
感じのよい森の人々に、ここなら私も子育てを通して仲間になれるかな、息子にとってはまるごと遊び尽くす時間を重ねることができるだろうな、と流れに乗るように「まめのめ」に入れていただいた。
多摩市在住、仕事を続けたままの私に心よく力を貸してくれた母たちがいてやっと通うことができたものの、段々助けてもらうばかりの身に心苦しくもあったのだが、
「いつかできる時にできる人にお返しして廻していけばいいのよ」と言ってもらえて納得したり、「手助けする事で逆にがんばらなければならない状況に追い込んでしまったかも」と想いを共有してもらえて楽になった。
毎週の話し合いでは、初めのうちは特にみんなの前で短時間で自分の事を話すのは難しくて、どう伝わったのかなと不安になったけれど、何日かして「この前のこと、もっと詳しく聞かせて」と、知ろうとしてくれているのがわかると一方通行ではなくてよかった、とほっとしたのだった。
反対に軽やかな気持ちで声をかけたつもりがよくわかってあげられずに嫌な気持ちにさせてしまったり、きちんと伝えきれずに傷つけてしまうこともあった。そんな時にそっと寄り添ってくれているのが感じられる言葉や何気ない雰囲気に、ふいに救われたり「まめのめの人々」の心に触れながら精進の日々。
ふとしたきっかけで話をしてみると全く違和感がなく何でも話せる様になったり、一緒に作業をすると自然に出てくるその人らしさを知って親しみが湧いたり、思いきって伝えたありがとうを喜んでもらえた時、口に出すことの大切さを実感したのだった。
何度もやりとりを繰り返しながらあれやこれやたくさんの言葉を交わして、すんなりとはいかなくてもお互いを受け止め会える関係をつくっていけたらいいな。
「あせらずにそれぞれの人と、少しずつ関わりを深めてゆけばいい」と言われた時に、はっとしたのだろうけれど、そうなのだろうな。
森を通して出会えた人とこれから又いろいろな形でつながりながら喜怒哀楽と共に育ちながら仲間になっていけたなら、そんな風に思っております。
卒園母 Fっすぅ

