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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


百尺竿頭進一歩 [2008年08月14日(Thu)]

今回の自分の決心に際し、ある友から「百尺竿頭進一歩(百尺竿灯に一歩を進む)」という言葉をいただいた。禅の極意を説くひとつの言葉。その彼とは10年ほど前に共に机を並べ、親の事情などで郷里に旅立っていった。いかにも母親思いの彼らしい決断と仲間みんなで送り出してやったのを思い出す。

百尺竿灯はより高い位置にあれども、そこから先へ進むには、百尺もの竿の先からさらに一歩を踏み出す(手を離す)勇気が必要だと。現状に流され、しがみついていては何も変らないという意味もある。新たな一歩を踏み出すに、必ず大切なものとの決別がある。

明日はその大切にしてきたものとの決別の日。そして俺の終戦です。
半農半○、晴耕雨○ [2008年08月13日(Wed)]

もしどこかで災害があったら、これまでのように被災地で2ストの鉄砲を回してたりするかもしれません。その時はいつものように気軽に声を掛けてください。くれぐれも後ろから石を投げたり、鉄砲撃ったり、足湯のお湯を掛けたり、掛矢でぶん殴ったり、ユンボで持ち上げたりしないよう宜しくお願いします。

しかし、そんなところで会うことがないよう祈りたいです。
繰り返さないために [2008年08月11日(Mon)]

災害に関わるようになって最初に水害を体験したのは、ちょうど今年で10年になる98年の南東北北関東水害(那須・白河エリア)、そして同年の高知98水害。初めて水害の悲惨さを見せ付けられた。地震は火事にならない限り、家の中の物はなんとか探しだせることが多い。しかし、水害は多くのものを失う。たとえ見つかっても泥に埋もれてあまりにも悲しい状態で見つかる。

98年の両水害で救援活動を開始する前に、被災の状況を把握するために地元のボランティア団体の方と被災地を回った。ある家を訪ねた。水害後数日が経過していたにも関わらず、濡れた布団で寝たり起きたりのお年寄りがいた。食事は泥水をかぶった米を洗って食べていた。こんな生活が日本にあっていいのかと悲しくなった。一方、ある家庭では新しい冷蔵庫や洗濯機が早速運び込まれている。災害を機に古い電気製品を買い換えるのだろう。経済的に余裕があれば保険も掛けられる。貧しい人はより貧しく、裕福な人はより裕福になるのが災害なんだなと改めて痛感した。

2005年九州宮崎を襲った台風14号。その規模はアメリカ東部を襲ったカトリーナ級の超大型台風だった。2004年での疲労感もあり、被害の酷かった宮崎市に他のスタッフが入ってVCの支援活動を行った。そしてそれから1ヶ月後、14号の被害を受けた中山間地の映像がニュースで流れた。水害から1ヶ月も経過しているにも関わらず、家のど真ん中に流木が突き刺さった映像や土砂が流れ込んでいる家など、水害当時となんら変わらない映像が流れていた。なぜそんなものがそのままになっているのか不思議でならなかった。地域にチェーンソーぐらい使える人間はいるだろう!しかし、機材や道具も全て流され、水や泥で使えなくなるのも水害。そして何より疲弊しきって身体を動かす元気も気力もなくなっていたのだろうと推察できた。それと画像からもわかる高齢の村。

首都圏ではそれほどニュースにはならなかったが先日、北陸で大規模な水害があった。1ヶ月後台風14号の宮崎の状況になっていないように、いつもの仲間達が戦車に乗り、鉄砲を回してる。
その現地の状況がアップされています。本当にお疲れ様でした。
https://blog.canpan.info/kizuna/
http://kuwasan.blog.so-net.ne.jp/



湘南OWS [2008年08月09日(Sat)]
夏に毎年関わってきた湘南オープンウォータースイミング大会。息子と二人ゴール付近の雑用ボランティアとして飛び入り参加。今日は長距離の10キロスイム、午後からの雷雨も心配されましたが、事故もなく無事終了しました。

我がカヌーレスキュー隊3名も無事任務を果たしました(拍手)。今年2度目の2名は昨年よりもかなり余裕の表情でゴール。腕もかなり上げました。お疲れ様でした。

この湘南OWSにグループとして深く関わるのは今年限り。来年は地元主体イベントとして、形を少し変えて継続される予定ですが、年に一度、みんなが集える大会として自分としても楽しみにしていたのですが・・・・。
強さと優しさと [2008年08月05日(Tue)]
このブログでも何度かご紹介したことのある、中越地震が切っ掛けで知り合ったボランティア仲間の棟梁。もらい火の火事で自宅も作業場も全焼し、ほとんどのものを失いました。釘から大事な鉋まで全て焼けた中で、唯一残った大工の命ともいえる棟梁の自慢の鑿です。


あの中越地震から3年以上が経過し、その間、苦労の連続だったことが容易に推察できます。そして、この夏前に完成した棟梁念願の立派な作業場です。我がことのように本当に嬉しいです。


中越地震の象徴として今や見学コースにもなっている水没した旧山古志村の木篭集落。土砂に埋まりながらも傾くことなく、凛として建っている家、実は棟梁も建築に携わった家なんです。しかし風雪にさらされ年毎に朽ちていく家を見るのはとても辛いとも言っておられました。

災害にも負けない人間の頑張りを伝えたくて、あえて棟梁の焼けてしまった家を、許可をいただきアップさせていただきました。写っているのは当時棟梁が乗っていた愛車のスカイラインです。

そして誰にでも優しい棟梁です(梶金鎮守の杜の活動にて)

そして今、水没によって移転する木篭集落の神社再興のお社を造っている棟梁。棟梁が墨を付け、唯一取り出すことのできた大切な鑿で刻んだ神社を見るのが本当に楽しみです。その完成を仲間みんなで祝ってあげたいです。

棟梁の苦労を思えば、どんなことがあっても頑張れると思ってしまう俺です。
初代04救援隊 [2008年08月05日(Tue)]

近年で最も災害の多かった2004年、災害があるごとに出会うボランティアで04救援隊というグループを結成した。学生だったり、看護師だったり、ニートだったり、OLだったり。その年、これでもかと駄目押しのように起きた中越地震。初代からのメンバーは中越ではへろへろになり、それを引き継いでいただいたのが最後の04救援隊の那須の与一隊長でした。

神戸の出張から戻ったら初代04救援隊の結成時のメンバー3人からメッセージ入りのガチャピンが届いていました。筒の中にはメッセージが入っているようだが、それを読みながら彼らとの思い出に浸るのは8月15日の最終日にしようと今は大切に飾っています。




ありがとうね!私は幸せものです(涙)
鉄砲隊の誕生 [2008年08月04日(Mon)]
災害年と言われた2004年、それぞれの被災地で活動しながらボランティアの本領である人海戦術と機動力のあるパワーツールや小型重機を組み合わせた活動が出来ないかと考えるようになった。勿論それまでも被災地でのボランティア活動の中で、同じ現場に居合わせた業者さんにお願いして重機の力を借りた例がなかったわけではないが、ボランタリーな活動として意識して重機を導入したことはなかった。
そして2005年、中越地震の翌年の支援活動でレンタル重機を手配し、ボランティアによって操作し処理を行ったりもした。
2006年、長野県諏訪岡谷地区で大規模な水害があった。ある集落の土石流の処理は中越地震被災地の小千谷からボランティアとしてやってきた重機操作のプロ達によって重機が使われ、その救援活動がなされた。その機動力を見せ付けられた。

2007年、能登半島で大きな地震があり、そのプロ達とまた活動を一緒にすることができた。そして重機を使わなくても彼らの持っているプロの技を多く学ばせていただいた。

そんな縁からパワーツールや重機を使えるボランティアの育成に力を貸していただけないかと相談を持ちかけたところ、よい感触を頂いた。そしてトントン拍子に話が進み、07年7月、災害ボランティアを対象とした日本初のパワーツールや重機を使った講習会「DRT2007」が実現したのです。

そしてその重機のプロの皆さんは、今や新潟を代表する災害ボランティア「SVTS風組」として、長野水害以降も様々な被災地で、プロの知識と技を多くの災害ボランティアにご指導いただきながら、救援活動を実施されています。

ボランティアの重機操作の訓練用にと小型重機も購入してくれたり、中越沖地震に携わるボランティアの宿泊場所の無償提供など、ボランティアに対して様々な支援を頂いています。

先の梶金鎮守の杜の支援活動での20台以上のチェーンソーを安全に操るボランティア達を見るに、災害ボランティアの成長が、戦国時代のいくさが槍・弓矢・刀から鉄砲に変わった時のようかなあと、あの時ぼーっと見ていました。
一つの夢が叶った瞬間でもありました。

多くのわがままな夢を叶えてくれた風組さんです
またどこかで! [2008年08月04日(Mon)]
財団法人や社団法人といわれる団体(組織)に対して人格を与える法律の民法34条は、明治時代の社会形態を基礎に生まれた法律で、平成10年に特定非営利活動法(NPO法)が成立するまでは「公益」を目的とする法人に対して人格を付与としては法律としては社会福祉を除き唯一のものであった。そんな時代に即さない法だけに、その法人格の取得に対しては様々なハードルがあり、許認可を与える行政としては、むしろ「公益」よりは「官益」に合ったものがその認可基準となっていた。

そのことに対して、非政府組織(NGO)や非営利組織(NPO)などのボランタリー色のある活動に対して法人格を付与し、もっと責任のある充実した活動ができるよう法整備が出来ないかと、阪神・淡路大震災が起きるほんの数年前に、その問題意識をもった個人が集まり勉強会のような場が生まれた。

そして130万人のボランティアが活動したといわれる阪神・淡路大震災。その勢いを受け、多くのメディアによって世論が形成され、政治を動かし、そして議員立法によって念願の特定非営利活動法(NPO法)が成立した。

そのNPO法のルーツであり、130万人のボランティアの子孫ともいえる神戸の団体を訪ねた。それぞれがこの13年間、自分のために使う時間があったのだろうかと思えるほど、当時と同じペースで活動されている。相変わらず頭が下がる思いだ。そしてまた多くのエネルギーを頂くことが出来た。

誰もが別れ際に言ってくれた。「またどこかで会えますね!」と。
五郎さんの帽子 [2008年08月02日(Sat)]

北海道の富良野を舞台にした「北の国から」という名作ドラマがある。主人公の黒板五郎が子供二人を連れて都会から郷里の富良野に帰り、そこでの様々な人間模様が繰り広げられる。総じて涙をよぶシーンが多い。そして、さだまさしが歌うテーマ曲は北海道のイメージソング的存在にまでになっている。
その黒板五郎のトレードマークとなっているのがニットの帽子。その帽子を同僚がプレゼントしてくれた。本人は何の気なしに洒落のつもりだったのだろうが、洒落にならないとは正にこのことだ。
コーキ、ありがとう。蔵王おろしが厳しいときは、この五郎さんのニット帽で寒さを乗り切りろと思います。

YouTubeで見つけた北の国から
http://jp.youtube.com/watch?v=0Pen5nQBQQY&feature=related
潮風にうたれて [2008年08月02日(Sat)]

潮騒と爽やかな海風をあびながら、くつろぎの一日。日差しがあっても暑さを感じない葉山の海です。これまで職場をともにしてきた同僚たちと交わす言葉も、限られた時間からかメッセージ的になってしまっているオヤジです。思い出に残る大切な一日でした。
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