北京到着なのだ!
[2008年06月30日(Mon)]
慢慢走、再見!
今回の四川大地震の被災地での活動。本当に多くのことを学ばせていただいた。折に触れ、また機会があるごとに書いていきたいと思います。
この歳になってこんな目にあるとは残念で残念でと。でも頑張れるような気がしてきたと話し、涙を浮かべ何度も何度も強く握手をしてくれた高さん。復興は長い道のりです。ゆっくりゆっくりいきましょう! 復興是很長途的路、慢慢走!慢慢走! 多くの日本の若者が日中友好の懸け橋となって被災地で活動している。このような若者がいる限り日本と中国の関係は一衣帯水であり続けると確信できた。 ありがとうございました。
強く生きようとしている人々
このような災害がなかったらあなた達とも会うことはなかった、と笑って話してくれた村人たち。むしろ災害に負けないたくましさと優しさをいただいたように思う。富士山を見てみたい。東京に行ってみたい。と会話が弾む。今の中国では全くの夢物語でもない。
村の男性陣は日本から持っていった道具類に興味津々 一人っ子政策で子供は「小皇帝」と言われている。 日本人が救援活動を行っていることをどこからか聞きつけ多くの人たちが集まってくる。英語を勉強している中学生が恥ずかしそうに話しかけてくる。やさしい英語で会話をしてあげる日本人の若者ボランティア。彼は自転車でラサに向かう旅の途中にチベット問題で足止めを受け、しばしの間救援ボランティアとして活動している。
未来に対する不安
四川大地震を起こした活断層沿いに多くの村々(鎮・郷・村)が点在する。地震に乗じて街の開発が進められるところもある。これまで住んでいたところにまた家を建てられるわけではない。一旦は今建設中の仮設住宅に入り、その後の話はあまり聞かされていないようだ。この国ではすべてが政府(地方政府?)の指示に従うしかないのだろう。
街には人影がまるでない。ゴーストタウンと化している。 この地域では大切な観光資源の道教のお寺も壊滅的な打撃を受けた。地震直後に人民解放軍がやって来て、落ちた大量の瓦や壁の片付けを行ってくれたと。
今日北京へ
断層に揺れた町4
断層に揺れた町1
麻風医院の記載
成都で買った四川省全体の地図に震源地文川から直線で30キロ足らず、理県から山あいに奥深く入った山中に「麻風医院」の記載がある。四川省全体の地図なので○○鎮や○○郷といった村がようやく載っている地図に、なぜハンセン病だけの医療施設の表記があるのだろうか?かなり大規模なハンセン病の回復者村なのだろうか。 壊滅的な激甚地区文川市から30キロでしかも山あいの村ではかなりの被害だったことが予想される。 出発前四川省にもハンセン病回復者村が数ヵ所あるとは聞いていたが、文川からこれほど近い所にあるとは。 そもそも貧困と差別の村だけに、救援活動どころか物資さえも届けられていないのかもしれない。 (文川の文はさんずいに文)
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