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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


北京到着なのだ! [2008年06月30日(Mon)]

成都から北京に立ち寄り少しの仕事を終わらせ明日帰国する。気になるのは岩手・宮城内陸地震被災地である栗駒のこと。四川省のかなり田舎でも日本での内陸地震のことを話す人がいたことに驚いた。なんとかイチゴの救出作戦が成功して欲しい。

北京オリンピックを間近に控え、首都空港も新しくなったヨーダ!
慢慢走、再見! [2008年06月30日(Mon)]
今回の四川大地震の被災地での活動。本当に多くのことを学ばせていただいた。折に触れ、また機会があるごとに書いていきたいと思います。




この歳になってこんな目にあるとは残念で残念でと。でも頑張れるような気がしてきたと話し、涙を浮かべ何度も何度も強く握手をしてくれた高さん。復興は長い道のりです。ゆっくりゆっくりいきましょう! 復興是很長途的路、慢慢走!慢慢走!

多くの日本の若者が日中友好の懸け橋となって被災地で活動している。このような若者がいる限り日本と中国の関係は一衣帯水であり続けると確信できた。
ありがとうございました。
強く生きようとしている人々 [2008年06月30日(Mon)]
このような災害がなかったらあなた達とも会うことはなかった、と笑って話してくれた村人たち。むしろ災害に負けないたくましさと優しさをいただいたように思う。富士山を見てみたい。東京に行ってみたい。と会話が弾む。今の中国では全くの夢物語でもない。


村の男性陣は日本から持っていった道具類に興味津々

一人っ子政策で子供は「小皇帝」と言われている。

日本人が救援活動を行っていることをどこからか聞きつけ多くの人たちが集まってくる。英語を勉強している中学生が恥ずかしそうに話しかけてくる。やさしい英語で会話をしてあげる日本人の若者ボランティア。彼は自転車でラサに向かう旅の途中にチベット問題で足止めを受け、しばしの間救援ボランティアとして活動している。
未来に対する不安 [2008年06月30日(Mon)]
四川大地震を起こした活断層沿いに多くの村々(鎮・郷・村)が点在する。地震に乗じて街の開発が進められるところもある。これまで住んでいたところにまた家を建てられるわけではない。一旦は今建設中の仮設住宅に入り、その後の話はあまり聞かされていないようだ。この国ではすべてが政府(地方政府?)の指示に従うしかないのだろう。

街には人影がまるでない。ゴーストタウンと化している。




この地域では大切な観光資源の道教のお寺も壊滅的な打撃を受けた。地震直後に人民解放軍がやって来て、落ちた大量の瓦や壁の片付けを行ってくれたと。


今日北京へ [2008年06月30日(Mon)]

成都から500キロほどある四姑娘山の麓の村も被害があったらしい。成都に来て一緒に活動をしてきたボランティアがその村に朝出発するのを見送る。

今日は成都から北京に移動なのだ。そのヨーダ。
断層に揺れた町4 [2008年06月28日(Sat)]

大地震が起きて1か月以上が過ぎた。働き詰めで身体を労る日もなかったのだろう。
断層に揺れた町3 [2008年06月28日(Sat)]





断層に揺れた町2 [2008年06月28日(Sat)]




断層に揺れた町1 [2008年06月28日(Sat)]
地震の揺れの怖さを見せつけられた。何もしてあげられないが、少しは元気と笑顔は置いてこれたらと思う。





麻風医院の記載 [2008年06月28日(Sat)]

成都で買った四川省全体の地図に震源地文川から直線で30キロ足らず、理県から山あいに奥深く入った山中に「麻風医院」の記載がある。四川省全体の地図なので○○鎮や○○郷といった村がようやく載っている地図に、なぜハンセン病だけの医療施設の表記があるのだろうか?かなり大規模なハンセン病の回復者村なのだろうか。
壊滅的な激甚地区文川市から30キロでしかも山あいの村ではかなりの被害だったことが予想される。
出発前四川省にもハンセン病回復者村が数ヵ所あるとは聞いていたが、文川からこれほど近い所にあるとは。
そもそも貧困と差別の村だけに、救援活動どころか物資さえも届けられていないのかもしれない。
(文川の文はさんずいに文)
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