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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


綾部市に拍手を! [2006年11月27日(Mon)]
YOMIURI ONLINEから

消滅寸前の集落、京都・綾部市が異例の「救済」条例

65歳以上の住民が半数を超え、共同体としての存続が危ぶまれる「限界集落」について、京都府綾部(あやべ)市は、山間部の5集落の振興を目指す「水源の里条例」の制定を決めた。
 公共交通の確保や移住者向けの補助制度の新設などを行う。消滅か存続かの岐路にある集落を切り捨てず、支えて元気にすることで、市全体の活性化を目指す。限界集落に限った振興条例は異例で、この10年間に全国で5000集落が消える中、過疎に悩む自治体から注目を集めそうだ。

 福井県境に近い由良川水系上流の5集落(計95人)を対象に指定する。5集落の人口は、ピーク時(1965年)の4分の1にまで落ち込んだ。最小集落は7人だけで、2集落は全員が65歳以上。大半は農家だが、出荷などの重労働はできず、自給のための野菜作りをしており、「主力産業は年金」とさえ言われる。市の調査では、8割に後継者の見通しがなかった。
(以上)
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以前から京都府綾部市の様々な取り組みには注目していました。
この綾部市の目先だけに捉われない素晴らしい取り組みに、どこぞの中山間地切捨て主義の自治体に大いに学んでいただきたいものです。
21世紀の生き方、暮らし方を考える里山ねっとあやべ
も好きなサイトです。

街頭募金? [2006年11月26日(Sun)]
以前、上野近辺で「中越地震被災者のために募金をお願いしま〜す!」と声を掛けながら街頭募金をしている人達がいた。団体名は「日本ボランティア会」という名前だった。後日、横浜でまた同じ団体が募金活動をしているのを見た。そして、いくつか質問をしてみた。

Qお金はどこに行くのですか?
A長岡市役所です
Q義捐金ですか?
Aそうです
Qその新聞いただけませんか?
A募金した方にだけお上げしています

中越ではあまり聞く事のなかった名前なので、インターネットで検索してみたら同団体に関するいくつかのサイトがありました。
http://www.s-driver.tv/turbo_sk/t441_470/tubo0465.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=612440
http://d.hatena.ne.jp/carrythezero/20061005

◆参考:ウィキペディア(Wikipedia):募金詐欺
避難訓練 [2006年11月24日(Fri)]
来週、ビルの入居者全員による避難訓練が予定されており、この機会にひとり一人に防災意識を持っていただけるようビルに備蓄している資材等の一部の展示を1階ホールにて行っています。併せて救援チームの活動写真も掲示しています。

また当日は首都圏大規模災害時の帰宅難民者の支援ステーション(食料と水の供給拠点)として活動ができるよう炊き出しの訓練も行います。

Posted by KURO/TNF at 17:30 | 災害全般 | この記事のURL
災害用湯沸機 [2006年11月23日(Thu)]
被災地で蛇口からお湯が!災害時の湯沸機です。
多人数炊き出し用のお釜を製作している富山県高岡市のヤマヤさんの製品です。緊急医療活動を行う医療系NGOには特にお役に立てそうです。

左が炊き出し用のお釜、右が湯沸しコイルを内蔵したお釜



災害時はいち早く被災地に掛けつけ炊き出しの支援を行っているヤマヤさん。
商品のお釜を積んで社長自ら全国行脚。
村の鎮守 [2006年11月20日(Mon)]
小千谷市塩谷の鎮守「仙龍宮」の鳥居も漸く完成しました。


地震によって粉々になった鳥居さま


05年春「芒種の陣」にて片付け作業を行う塩谷復興隊
橇に乗って、そして・・・ [2006年11月19日(Sun)]
小千谷総合病院で院長を務められた先生ご夫婦にお会いすることができました。先生は豪雪で有名になったあの津南、そして奥様は十日町のご出身とのこと。

自給自足の中山間地、その冬の暮らしは食料を蓄えじっと春を待つ。深く雪に閉ざされても特に困る事はないが、しかし急病だけはどうにもならない。ですから昔は手当てが遅れ、幼い子がなくなることも少なくなかったと聞きます。
 
除雪もなく冬は車も使えない時代、急患がでると玄関先に人が引く橇が迎えに来たそうです。山をいくつもいくつも越え、幾度となく古志へもいかれたそうです。じっとして乗っているはもとても寒く、橇を引く年配の人夫を橇に乗せ代わりに引く事もあったそうです。

先生ご夫婦に今は失いかけている地域医療の原点をみることができました。

お茶とお華の先生の奥さん、庭もとても素敵でした

医師になられた息子さん二人も中越地震の折、被災地に駆けつけ緊急医療活動にご活躍されたそうです。
秋の収穫 [2006年11月18日(Sat)]
小千谷塩谷で秋の収穫。
武次郎さんの大根堀りの手伝いをさせていただきました。

慣れない大根堀りに二日酔いも手伝い悪戦苦闘の新人サワタリくん
(昨夜は千谷おやじ庵にてかなり呑まされ・・・・)
大根の葉はタカマサくんのご飯になります

この大根はこんな美味しい料理に(星野オキさん作)
大根、椎茸、人参、蒟蒻と買ったものはありません
すべてMADE IN SHIODANI

いつもニコニコのオキさん、いつもご馳走様です。


カメラ 晩秋の小千谷の画像集
時ちゃんのこと [2006年11月16日(Thu)]
草津の国立療養所で絵を描きながら暮らしていた時ちゃんの油彩展が東京で開催されます。画家の宇野マサシさんがどうしても時ちゃんの絵の素晴らしさを沢山の人に観ていただきたい、知っていただきたいと相談に見え実現しました。
時ちゃんが暮らしていた草津は、その温泉の湯がハンセン病(らい病)に効くと、草津湯ノ沢地区には昔から沢山のハンセン病の患者さんたちが療養を目的に集って来ていました。そのような背景を受け、草津に療養所がつくられました。しかし昔は療養所とは名ばかりで、牢獄などもあり、悲惨極まりない中での生活でした。

時ちゃんが利根川を描いたときに詠んだ詩を紹介します。

おれが死んだら
遺骨を粉にして、故郷を流れる利根川にながしてほしい
死んでまで、「納骨堂」や「墓」に閉じ込められているのは
嫌だ!
昼はお日さまの光とキラキラ戯れ
夜は川面に映る星に見守れて---海に行く
そこでおれは本当に解放されるのだ


生きるあかし  鈴木時治油彩展 −遺作−

2006年11月22日(水)〜12月4日(月)
11:00〜19:00
墨田区吾妻橋1-23-30-101
ギャラリーアビアント
電話:03-3621-0278

2006年11月27日(月)〜12月4日(月)
アート・紀元
中央区京橋2-8-5 トキワビルU
電話:03-5250-1870


タイトル:赤い服の少女
自殺した妹をイメージした作品が多いといわれます
団体紹介【1】 [2006年11月16日(Thu)]

中越地震においてパワフルな活動を行っている静岡隊ですが、中でもアクティブなチームに沼津ボランティアコーディネーター協会があります。地域防災にも余念がなく頑張っておられる団体です。
その協会の会報「VCはまゆう」が出ましたのでご紹介させていただきます。

津波警報解除 [2006年11月16日(Thu)]
大事に至らなく、本当によかったです。
避難して夜を明かした皆様にはお疲れ様でした。
Posted by KURO/TNF at 07:12 | 災害情報 | この記事のURL
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