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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


重機ボラ [2005年11月30日(Wed)]
災害現場におけるボランティアの専門とするところの一つは人海戦術による作業がある。水害によって家の中に大量に流れ込んだ泥を土嚢袋につめる作業などは人の手を使う以外に方法はない。昨年の新潟豪雨水害により三条市や旧中之島町などに流れ込んだ土砂に延べ4万7千人のボランティアが泥まみれになった。福井豪雨では延べ6万人といわれている。最近は災害ゴミでも分別が厳しく、倒壊家屋などの瓦礫の分別作業もボランティアに頼るところが多いだろう。

一方で少しの重機や機械を使うことによりさらにボランティア活動に厚みがでる。災害現場におけるボランティア活動ではコンマ1程度のユンボでも十分威力を発揮してくれるし輸送も楽だ。重機をレンタルしてもさほど高いものでもない。昨年の台風や中越地震の被災地でも沢山の重機操作ができるボランティアさんに大活躍をいただきました。


地震で崩れた倉庫を修復する神戸から来た重機ボランティアのNさん

チェーンソーのプロたち [2005年11月29日(Tue)]
被災地における専門性を活かしたボランティア活動に森林ボランティアの活躍もありました。水害では濁流によって街中に瓦礫や大きな流木が流れ込み、台風では樹木などがなぎ倒されます。それらの処理にはチェーンソーが欠かせないからです。

また地震での倒壊家屋からの家財道具などを持ち出す際にも梁や柱を切断しなからの作業となります。加えて新潟では19年ぶりの大雪によってさらに倒壊した家屋も増え、雪害による樹木の処理などでも森林ボランティアによる大きな働きがありました。

阪神大震災でも昨年の中越地震でも、地震での緊急救援期、近所の人がチェーンソーをもっていたお陰で倒壊した家屋から人を救出できた例も多く聞かれています。

◇04-05年、災害救援活動でご協力いただいた森林ボランティア団体さんです。
 奥会津只見森づくり倶楽部(福島)
 日本森林ボランティア協会(大阪)
 地球緑化センター(東京)
 かぐや姫なごみの里竹原(栃木)
 秩父やすらぎ隊(埼玉)
 小海やすらぎ隊(長野)
 名栗さわらび隊(埼玉)
 箱根KIKORI(神奈川)
 ふれあい筑波(茨城)
 みどり情報局―東京(東京)
 浜仲間の会(東京)


雪害木を処理する、みどり情報局-東京のOさん
運転のプロたち [2005年11月28日(Mon)]
台風などで水害が起きると水没した被災地のほとんどの車両が使い物にならなくなります。障害者・高齢者が利用する施設などで所有している福祉車両も同様です。特殊な車であるため代車も少なく、普段そのような車を利用している車イス使用者の人たちはたちまち移動の手段を失ってしまいます。

昨年も多くの移送(移動)ボランティアの人たちが福祉車両を運転し被災地に駆けつけてくれました。皆様はすべて運転のプロ。ボランティアの輸送や被災者の避難所から仮設住宅への引越しなど、様々なところで大活躍をしてくれました。

移送(移動)ボランティアの皆様、お疲れ様でした。

北海道移送・移動サービス連絡会(台風23号、中越地震)
埼玉移送サービスネットワーク(中越地震)
東京ハンディキャブ連絡会(中越地震)
移動サービス市民活動全国ネットワーク(中越地震)
長野県ハンデイキャブ連絡会(中越地震)
愛知県ハンディキャブ連絡会(台風23号)
関西STS連絡会(台風21号)
兵庫県移送サービスネットワーク(台風23号)


台風23号の被災地、豊岡に集まった移送ボランティアの福祉車両

私たちの災害救援仲間の道産子のIさん、京都のSさん、ユンボオペの
埼玉のSさんも普段は移送ボランティアで活動されている皆さんです。
思わぬ車両が大活躍 [2005年11月25日(Fri)]
大規模災害が発生し、避難所生活を余儀なくされるとお風呂の問題があります。慣れない避難所生活が続く中で、入浴は体も心も癒してくれます。中越地震でも自衛隊が設置した大型のお風呂をはじめ、鯉の水槽を利用したお風呂や、ボランティアが設置した五右衛門風呂などもありました。そのようなボランティアが設置したお風呂へのお湯の供給で活躍をしていたのが、旅客機の翼に積もった雪を融かすための車両です。持ち込んだのは全日空のオペレーション統括本部の皆さん。毎分数千リットルのお湯を供給出来る外国製の大型車両です。

それがご縁で震災から一周年、川口町の田麦山小学校の全校児童43人が全日空グループの招待で札幌市の自衛隊へのお礼を兼ねた旅も実現しました。

企業が持っている技術や専門性が災害救援に活かされた素晴らしい社会貢献活動であったと感じています。


一般公道を走ったのが中越地震で始めてだったとのこと
避難所のバイオリン弾き [2005年11月24日(Thu)]
一年前の中越地震被災地は仮設住宅工事が急ピッチで進められていました。少しの間、避難所で共に暮らした違った集落の人たちも、日にちを分けて集落ごとに引越しが組まれていました。避難所からの引越し一つとっても神戸の時とは違っているなと感じていました。

その避難所で被災者の心を和ませていたバイオリン弾きのボランティアさんがいました。中越元気村のミホコン。特に唱歌「故郷」や坂本九さんの「上を向いて歩こう」は何度となくリクエストがあった曲でした。食事が済んで就寝までの間、子どもたちの歌声がいつも聞こえてきました。その子どもたちの明るい歌声もまた被災者の心を和ませてくれていました。


夜はバイオリン、昼間は被災地に入り瓦礫と格闘、
そしてボランティアの食事の世話も、大活躍のミホコンでした。
仮設の別れ [2005年11月23日(Wed)]
小千谷の塩谷地区でお貸しいただいている倉庫の雪囲い作業をするため初冬の新潟を訪れました。その塩谷の皆さんが暮らす小千谷の千谷仮設で今日引越しがありました。同じ塩谷で暮らしていた家族の方が仮設から出てとなり街の長岡に引っ越していかれました。90才過ぎた元気そうなお爺さんも一緒です。

避難所から仮設住宅に移って一年。徐々に空き家も目立ち始めました。神戸でもあった仮設住宅の宿命ともいえるシーン。その別れの風景を見ながら・・・一句。

としを聞き 長生きせよと 手を握り 
言葉なくとも 通じた絆


遥か越後三山は真っ白に雪化粧でした。


村を去ってもいつでも「芒種庵」を訪ねてください。
クリスマスの電飾 [2005年11月22日(Tue)]
今の家に引越してから毎年飾り付けをしていたクリスマスの電飾を、昨年は飾りませんでした。昨年のこの時期に丁度中越地震の被災地に行っていたことと、あまりにも災害が多く正直そのような気分にもなれなかったのも理由でした。
今年は災害が少なく、電飾も早めに飾ってあげました。


      飾ってくれてありがとうキラキラ
強い憤り [2005年11月21日(Mon)]
阪神・淡路大震災では一瞬にして数千人の人が犠牲になった。木造家屋はもとより一見頑丈そうにみえる鉄筋構造のビルやマンションも数多く倒壊した。地震による犠牲者を少しでも減らそうと、基準の見直しなど、大地震に備え各方面が一丸となって減災に取り組んでいるさなか、今回発覚した「姉歯建築設計事務所」によるマンションなどの耐震構造計算書偽造問題。なぜこのようなことが平然とできるのか、言葉では表せないほど強い憤りを感じる。いったい人の命をどのように感じているのか。ビルを設計をする者なら当然あの10年前の神戸を見ただろう。

トルコやパキスタンなどの被災地の映像を見ると鉄筋の量など明らかに日本とは違った基準でたてられていることが素人目にもわかる。しかし今回の計算書偽造は日本でも同じようなことが起きることになる。彼はこのようなことは氷山一角のようなことも語っている。もしそれが本当ならばすべてをさらけ出して欲しい、それがあなたに残された一つの務めだろう。

私たちの災害ボランティア仲間は、明後日、再びパキスタン北東部地震の被災地に向かいます。奴が彼らと同じ人間であることが信じられない。二人の一路平安をお祈りします。

パキスタン北東部地震で倒壊したマンション
※写真提供:日パ・ウェルフェアー・アソシエーション
ボランティアの輪 [2005年11月20日(Sun)]
04救援隊の桑原隊長(那須野ケ原JC)自ら、代々木公園で催されている「佐渡國鬼太鼓in原宿」にて小千谷塩谷地区の村おこしTシャツの販売活動。天気も良いし陣中見舞いに原宿へ!

伝説の男、桑さんがはるばる上京したということで、8年前のナホトカ重油災害でVCで頑張ってたTちゃん(当時は大学生)が応援に、今は結婚されすっかり大人魅力キラキラ、夜は小千谷の立ち上がれ中越プロジェクトで主要スタッフとして関わったKちゃんキラキラがさらに合流。袋詰め作業を手伝ってもらいながら時間を忘れて災害ボランティア談義に花が咲き終電ぎりぎりに駅にかけ込む。桑さんにはいつもアクティブな活躍、お疲れ様です。Tちゃん、Kちゃん、袋詰め作業と購入ありがとうございました。


桑原さんは震災直後から中越入り、いまでも栃木から新潟に通い続けています。来週は栃木の子どもたちを小千谷・山古志へ案内。いままでのお礼にと地元の養鯉業の方から栃木の子どもたちに鯉の稚魚のプレゼント。緊急救援から交流事業へ、桑さんの活動の内容も大きく変化しています。

その桑さんの悩みは彼が新潟にボランティアに通うようになって自営業の売り上げが上がったこと(笑)、これもある意味CSR効果かも。
足湯の効果 [2005年11月18日(Fri)]
災害によって避難を余儀なくされた方々が身を寄せる場所が避難所といわれる所です。通常は学校の体育館や教室、公民館などです。災害によってライフラインが途絶えることが多いため、季節が夏であれば蒸し暑く、冬であれば寒さの中に置かれてしまいます。中越地震では季節が冬に向かっていたために冷えた体で眠りにつくことが容易ではありませんでした。自衛隊風呂などに行きにくい体の不自由な高齢者ならなおさらのことでしょう。

阪神淡路大震災が起きたのも冬であったために同様も問題がありました。そこで活躍したのが「足湯」です。足をぬるま湯で暖めながらゆっくりと手と足のマッサージを行う。足湯を行いながらボランティアが被災者との会話をすることがまた重要といわれています。ストレスのたまる避難所生活では将来への不安などから自然と無口になりがちで、ボランティアとのはたわいない会話がメンタルケアに思わぬ効果をあらわすと言われています。

中越地震においても多くの避難所で足湯ボランティアが活躍しました。


ボランティアに足湯の指導を行う「震つな」から派遣された
東洋医学の専門家吉椿さん(日本財団ベースにて)

電球イラスト足湯マニュアルはこちらをクリック電球
通常の高齢者への支援活動でもとても参考になります。
 ※イラストはNPO愛知ネットの山田光さん拍手
  ひかる?祝おめでとう!お幸せに!
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