鉄砲隊の誕生
[2008年08月04日(Mon)]
災害年と言われた2004年、それぞれの被災地で活動しながらボランティアの本領である人海戦術と機動力のあるパワーツールや小型重機を組み合わせた活動が出来ないかと考えるようになった。勿論それまでも被災地でのボランティア活動の中で、同じ現場に居合わせた業者さんにお願いして重機の力を借りた例がなかったわけではないが、ボランタリーな活動として意識して重機を導入したことはなかった。
そして2005年、中越地震の翌年の支援活動でレンタル重機を手配し、ボランティアによって操作し処理を行ったりもした。
2006年、長野県諏訪岡谷地区で大規模な水害があった。ある集落の土石流の処理は中越地震被災地の小千谷からボランティアとしてやってきた重機操作のプロ達によって重機が使われ、その救援活動がなされた。その機動力を見せ付けられた。
2007年、能登半島で大きな地震があり、そのプロ達とまた活動を一緒にすることができた。そして重機を使わなくても彼らの持っているプロの技を多く学ばせていただいた。
そんな縁からパワーツールや重機を使えるボランティアの育成に力を貸していただけないかと相談を持ちかけたところ、よい感触を頂いた。そしてトントン拍子に話が進み、07年7月、災害ボランティアを対象とした日本初のパワーツールや重機を使った講習会「DRT2007」が実現したのです。
そしてその重機のプロの皆さんは、今や新潟を代表する災害ボランティア「SVTS風組」として、長野水害以降も様々な被災地で、プロの知識と技を多くの災害ボランティアにご指導いただきながら、救援活動を実施されています。
ボランティアの重機操作の訓練用にと小型重機も購入してくれたり、中越沖地震に携わるボランティアの宿泊場所の無償提供など、ボランティアに対して様々な支援を頂いています。
先の梶金鎮守の杜の支援活動での20台以上のチェーンソーを安全に操るボランティア達を見るに、災害ボランティアの成長が、戦国時代のいくさが槍・弓矢・刀から鉄砲に変わった時のようかなあと、あの時ぼーっと見ていました。
一つの夢が叶った瞬間でもありました。
多くのわがままな夢を叶えてくれた風組さんです
そして2005年、中越地震の翌年の支援活動でレンタル重機を手配し、ボランティアによって操作し処理を行ったりもした。
2006年、長野県諏訪岡谷地区で大規模な水害があった。ある集落の土石流の処理は中越地震被災地の小千谷からボランティアとしてやってきた重機操作のプロ達によって重機が使われ、その救援活動がなされた。その機動力を見せ付けられた。
2007年、能登半島で大きな地震があり、そのプロ達とまた活動を一緒にすることができた。そして重機を使わなくても彼らの持っているプロの技を多く学ばせていただいた。
そんな縁からパワーツールや重機を使えるボランティアの育成に力を貸していただけないかと相談を持ちかけたところ、よい感触を頂いた。そしてトントン拍子に話が進み、07年7月、災害ボランティアを対象とした日本初のパワーツールや重機を使った講習会「DRT2007」が実現したのです。
そしてその重機のプロの皆さんは、今や新潟を代表する災害ボランティア「SVTS風組」として、長野水害以降も様々な被災地で、プロの知識と技を多くの災害ボランティアにご指導いただきながら、救援活動を実施されています。
ボランティアの重機操作の訓練用にと小型重機も購入してくれたり、中越沖地震に携わるボランティアの宿泊場所の無償提供など、ボランティアに対して様々な支援を頂いています。
先の梶金鎮守の杜の支援活動での20台以上のチェーンソーを安全に操るボランティア達を見るに、災害ボランティアの成長が、戦国時代のいくさが槍・弓矢・刀から鉄砲に変わった時のようかなあと、あの時ぼーっと見ていました。
一つの夢が叶った瞬間でもありました。
多くのわがままな夢を叶えてくれた風組さんです