不作為という罪
[2008年04月11日(Fri)]

その法律「らい予防法」は菅直人が厚生大臣の時に漸く廃止となり、元患者の皆さんは晴れて人権の回復が成されました。
その後元患者により国の責任を求める訴訟が熊本で起き、ハンセン病療養所のある各県に広がって行きました。
最初の裁判となった熊本地裁の判決は国が敗訴、時の総理大臣小泉純一郎は上告をせず裁判に決着がつきました。
裁判長はハンセン病問題はハンセン病に関係した者だけではなく、法曹界や報道も含め国民の全てが無関心から生まれた問題で、「立法の不作為」と国の責任を強く問いました。エイズや肝炎などの薬害問題においても同様の判断がなされてきました。
裁判を例にとって書きましたが、普段の生活の中で、例えば道端で倒れている人を助けられる環境にありながら知らんふりをするのも立派な不作為になる。
問題を見て見ないふりをするのは罪なこと。その対極の意味をもった言葉は「義を見てせざるは勇なきなり」だろうか。
被災地に駆けつけるボランティアの多くは「やむにやまれぬ」気持ちから動くことが多い。このようなボランティアの行動を真っ向から否定する人も中にはいる。勿論、ボランティアの玉石混交さは否めないし、必ずしも被災地の復旧・復興においてプラスに働いているかどうかはわからないこともある。
しかし、不作為という「見て知らんふり」が普通である世の中が良いのか、七人の侍のように縁もゆかりもない百姓村を守るために、命をかけるバカなサムライたちがいる世の中が良いのか、誰が考えても答は一つしかないように思う。私はそんなバカになりたいです。