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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


自然学校のスタッフたち [2008年07月05日(Sat)]
未だ避難指示が解けない耕英地区の皆さんが避難しているみちのく伝創館。この避難所での支援活動を担っているのが、地域たすけあいセンター。その中核となる事務局を支えているのが耕英地区を活動拠点にしていたくりこま高原自然学校の若きスタッフたちです。
夏休みを控え心配されていた学校のプログラムも、旧栗駒町の平場に民家を借り、自然学校の分校として夏休みのスケジュールも予定通り実施できるとのことです。
若さと元気と笑顔が溢れた彼ら彼女らが動く姿が被災者への何よりの支えになっているように思えました。
この震災は口では表現できないほどの不幸を彼らに与えていますが、それに立ち向かうことから着実に大きなことを学んでくれているとも実感できました。
素晴らしい笑顔の数々をお見せできないのがとても残念です。
ヘリで一時帰宅 [2008年07月05日(Sat)]
今日、栗原市耕英地区の皆さんは自衛隊大型ヘリコプターでの一時帰宅の許可がおりました。今回はこれまで山にあがることができなかった高齢者を中心に一時帰宅。それぞれの思いが後姿から感じられます。





ちょっとの時間も大切にしたい。これまでの暮らしの中で、1分1秒をこれほど感じながら生きてきたことは多分ないだろう。

栗駒耕英地区への道路が復旧し、ボランティアが普通に被災地区に入れるようになった時、家屋内の片付けや水源や畑の再生などボランティアによる本活的な支援活動が始まるのだろう。
広報くりはらから [2008年07月05日(Sat)]
栗原市の広報誌は今回の地震特集。その中から掲載されている画像をご紹介します。表紙は泥まみれになり駒の湯で救出活動にあたる東京消防庁ハイパーレスキュー隊々員。


栗駒山麓にある第三セクターでスタートした温泉施設も傷みが激しい

土砂崩れはいたるところに

行方不明者の救出にあたる自衛隊第6師団(山形)

沼倉地区の倒壊家屋
支援Pも本格始動 [2008年07月05日(Sat)]
今回の岩手・宮城内陸地震でのボランティアによる支援活動においても、昨年の能登・中越沖同様、「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議(支援P)」が、地元社協へのアドバイザリーとしてサポートに入っています。
支援Pは、中央共同募金会が中心となり、災害年だった2004年の調査検証をする形でスタートしたプロジェクトで、その後、企業・社会福祉協議会・NPO・共同募金会が協働するネットワークに発展改組、昨年の能登半島地震や中越沖地震でも地元社協を支え続けました。
http://www.shien-p-saigai.org/
http://www.shien-p-saigai.org/report/iwate-miyagi_080614/

今回は支援Pからの派遣として宮城入りしている、にいがた災害ボランティアネットワークのLEEさん。カメラを向けたらおどけてくれました。(因みに宮城弁ではおどけることを「オダズ」と言います)。

栗原市ではもうじき仮設住宅の建設が完了し、鍵の引渡しが行われ、地元JCや曹洞宗さんなど、地元のボランティアを中心に引越し支援が始まろうとしています。

栗原市は発災当初はボランティアによる支援活動に対して足踏み状態がありましたが、漸く体制が整い動き始めたようです。
この市は平成の合併で築館・若柳・栗駒・高清水・一迫・瀬峰・鶯沢・金成・志波姫・花山が合併し、人口は約8万人。うち被災した町は栗駒、鴬沢、花山などの一部。今後は、築館にあるVC本部と栗駒と花山にある避難所への支援体制がVCのサテライトとしての位置づけとなり、それらの連携を図りながら支援活動が行われていくと思われます。

栗原のVCサテライト的活動を担う、地域たすけあいセンター。社協派遣スタッフと自然学校の頼もしいスタッフ達がその運営を支えています。

助さんのKOBE1.17号も送迎に大活躍中!
道路等の復旧状況説明会 [2008年07月04日(Fri)]
岩手・宮城内陸地震で被災を受けた栗駒山麓耕英地区の方々が避難している、「みちのく伝創館」(栗原市岩ケ崎)にて栗駒耕英地区に通じる道路等復旧状況の説明会が開かれました。いったいいつになったら山に戻れるのだろうか?という疑問に応えるようなかたちで地震後初めて開催されました。その説明は、
◇国土交通省東北整備局
◇林野庁東北森林管理局
◇宮城県北部土木事務所



日本の自衛隊も頑張っています

みちのく伝創館会議 [2008年06月23日(Mon)]
朝10時に新潟から東京に戻る。越後湯沢から東京駅までノンストップの新幹線があるのに驚いた。
事務所には災害看護支援機構から、四川で昼夜活動する看護師に是非渡して欲しいと、書籍が神戸と福井から数冊届いていた。そして理事長自らもわざわざ事務所に届けにきてくれた。中国では発展途上の災害看護学にとって貴重な資料となるだろう。
8月には現地の医療機関との正式なミッションが予定されている。その根回しと今後のさらなる支援策を検討する目的で明日一番の成田エキスプレスで空港へ行く。夕方にはあの三国志の舞台、成都に着く。

そして、気になる岩手・宮城内陸地震のことについて、現地に入りするスタッフとの打ち合わせ。耕英地区の岩魚・苺救出プロジェクトの大切な会議が明日に予定されている。
神戸から活躍している、震災がつなぐ全国ネットワーク代表栗田さん、中越地震での中山間地の災害問題に真っ向から取り組んできた、中越復興市民会議事務局長の稲垣さん、地元の中間支援セクターで全国的にも活躍しているせんだい・みやぎNPOセンターの方々、県内の災害ボランティアセンターを統括する宮城県社協の北川さん、そして今回の主役くりこま高原自然学校代表の佐々木さんと耕英地区の方々、そして何よりこのプロジェクトの切っ掛けを作ってくれたヒューマンシールド神戸の吉村さんも長野から参加できる予定だ。
全国の災害・復興系NPOが耕英地区の皆さんが避難している岩ケ崎「みちのく伝創館」に集結する。
翌日には全国の自然学校をネットワークし、その支援策を取りまとめておられるホールアース自然学校代表の広瀬さんも栗原市に入る。

いよいよ具体化に向けてさらに一歩前進する会議になるだろう。
くりでん [2008年06月21日(Sat)]
岩手・宮城内陸地震の被災地となった栗原市には、2007年3月まで長閑な田園列車が走っていました。鉄道ファンなら一度は訪ねたいあこがれの私鉄でした。それぞれの駅舎も昭和のに戻ったようなノスタルジアがありました。

2001年、息子と旅をしていた頃に乗った栗原電鉄、通称くりでん。今は昔・・・・




この地震で土石流の被害にあった駒の湯さんに宿泊されていた方に、このくりでんをこよなく愛されていた方がおられ、今後の活用などについての会議に来られていたようです(合掌)
栗駒山耕英の復興へ [2008年06月21日(Sat)]
岩手・宮城内陸地震で被災を受け避難指示が出された栗駒山腹の開拓集落の耕英地区。その地区への陸路は途中がいくつも崩落し、生活の糧である農産物や岩魚が危機に瀕しています。その耕英地区で義捐金の受付を行っております。
耕英地区の復興へ少しだけ力を貸して下さい。

耕英地区振興協議会復興基金
https://blog.canpan.info/master_kkns/archive/57


広葉樹に囲まれた栗駒の秋は本当に素晴らしいです。
三種の神器? [2008年06月19日(Thu)]
岩手・宮城内陸地震において山中に救出に向かうあるレスキュー隊員の個人装備とのこと

チェーンソー、レスキューフォース、スコップ



※レスキューフォース
https://blog.canpan.info/makezu/archive/1266



そして、闇の中を被災現場にチェーンソーやバール、シートを担ぎフル装備で向かう風組の三人衆です。誤解のないように。当然のことながら彼らはあくまでボランタリーな活動であり、そして安全と知識を供えた建築のプロでもあります。そして何より中越地震の被災者でもあるのです。(実は撮影者を入れて四人衆です)
栗駒からの生還劇を [2008年06月18日(Wed)]
岩手・宮城内陸地震で避難指示が出され悔しさを堪え山からヘリコプターで下ろされた栗駒山麓にある耕英地区の方々。丁度3年半前の中越地震を思い出す。山に残されてきた岩魚やイチゴ。やっとの思いで養殖にこぎ付けた大事な大事な岩魚。丁度摘み頃を向かえた美味しいイチゴ。
陸路が閉ざされた耕英地区からの救出作戦を仲間達と考えている。可能性は50%以下かもしれないが、このまま黙ってみているわけにはいかない。
中越地震では生きた鯉の救出も行った経験がある。新潟の鯉師の知恵と力を借りれれば岩魚の救出も夢ではない。牛も大切な家族としてヘリで運んだのは記憶に新しい。農家にしてみれば大切に育ててきたイチゴ。イチゴをヘリで運べないだろうか??などなど・・・・生活の大切な糧をこんなことで無駄にしてなるものか。くそー!

阪神淡路大震災から災害に携わってきた仲間の知恵を栗駒に集めたいと思う。

豊志のくりこま高原物語
https://blog.canpan.info/master_kkns/

山からヘリで降りた人たちが車で不自由しているだろうと、助さんが長野から自分の車をくりこま自然学校のスタッフに届けてくれた。早速彼らはボランティアとして避難所のお年寄りの通院支援に大活躍。助さんいつもありがとうございます。
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