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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


ボランティアの能登ノート [2008年04月03日(Thu)]
能登半島地震からちょうど一年。
13年前の神戸で生まれ、新潟中越に引き継がれ、そして能登へ。被災地でのひとつの活動に足湯がある。本ブログでも何度も取り上げたことがある。私たちは被災者の音にならない静かな聞こえにくい声をどのようにして拾い上げ、自分達の活動につなげていけばよいのかが大きな課題でもあった。能登では避難所で活動する足湯隊から得る被災者のつぶやきから昼間の救援活動につなげていったことが思い出される。

その足湯隊が綴った被災地でのノートから生まれた写真とコラム集「いとしの能登 よみがえれ!」(震災がつなぐ全国ネットワーク企画)をご紹介します。未曾有の災害も大きな時間の流れの中で抱擁する度量を感じさせる能登のつよい魂を感じる一冊です。


地震が起きた時、地域のおまつり準備のために多くの人が外に出ていて、被害を最小限にくいとめた。先祖から脈々と伝わってきた地縁血縁の伝統が村人の命を救った。

恵み豊かな半農半漁の能登の暮らし

足湯隊や他のボランティア団体等との昼飯どきの情報交換(門前にて)
<画像:https://blog.canpan.info/makezu/img/635/hiru3.jpg>

能登半島地震における足湯隊の避難所での活動風景
<画像:https://blog.canpan.info/makezu/img/616/dscf1158.jpg>

行政や災害ボランティアセンターには決してあがってくることのない静かな声に耳を傾け、被災地での活動につなげていきたい。

そして、改めて震災がつなく全国ネットワークの活動に対する目線と頼もしい底力を感じています。
能登からの報告 [2008年03月25日(Tue)]
丁度一年前に起きた能登半島地震。その後の被災地はどうなったのか?小千谷の風組さんが一年後の能登を訪ねレポートしています。
https://blog.canpan.info/kizuna/

下の画像は一年前の能登での活動のひとコマです
<画像:https://blog.canpan.info/makezu/img/643/dscf1528.jpg>

<画像:https://blog.canpan.info/makezu/img/635/hiru1.jpg>

<画像:https://blog.canpan.info/makezu/img/633/yama3.jpg>

<画像:https://blog.canpan.info/makezu/img/649/imgp0583.jpg>

能登半島地震はブロック塀の被害が多く、ボランティア活動もブロック処理が多かった。その教訓をいかそうと実施した山古志でのDRT2007の講習会と訓練。そして、いみじくもその翌日が中越沖地震だった。皮肉にも訓練の成果が遺憾なく発揮されてしまった。そしてあのハンマーエンジェルスの誕生になりました。
春真っ盛り [2008年03月23日(Sun)]
能登半島地震から一年を迎え、被災地の輪島市では「ボランティア感謝の集いin能登 」なるイベントが開催されています。
小千谷市の風組さんが現地からのレポートをアップしてくれました。
https://blog.canpan.info/kizuna/

こちらは春真っ盛りの近所の親水公園です

ソメイヨシノとチューリップがきれいに彩る公園です

早咲きの桜はもう開花

梅はこのとおり、どこも満開

今日も、ハックショーン大魔王状態です
一徹の一撃は・・・・ [2008年03月21日(Fri)]
一年前の能登半島地震で本当にあったことを振り返り再現をしていみよう。

被災地にボランティア活動に行った飛雄馬。しかしボランティアセンターではニーズがなく待機が続き、やっといただいた活動は被災者の支援ではなく、地震とは関係の無い海岸清掃だった。悔しい思いをしながら家に帰った飛雄馬を待っていたものは、地震よりこ怖い一徹の一撃だった。

「とうちゃん、俺は赤紙家屋に入りたかったんだ!だけどボボボラセンが・・・」


被災家屋の多くは危険度判定の「危険」を意味する赤紙が貼られ、ボランティアによる支援は原則不可だった。しかし殆どの赤紙家屋では年寄りが弱った腰を労わりながら後片付けをしていていた。そんな光景を見てボランティアに来た若者は何を感じていたのだろうか?そして困った人を手伝ってはいけないという災害ボランティアの矛盾をこれからどのように解決していくのだろうか?

一徹の一撃は飛雄馬ではなく・・・・

能登地震から一年を迎え赤紙問題を考えて見ましょう
https://blog.canpan.info/makezu/archive/1301
13年目の災害ボランティア [2007年06月20日(Wed)]
6月24日(日曜日)に開催されますボランティア活動における安全衛生フォーラムに併せ、日本財団ビル1階ホールにて能登半島地震における被害状況と救援にあたったボランティアの活動状況の写真を展示させていただきました。




輪島市災害ボランティアの会
能登半島地震の写真 [2007年06月07日(Thu)]
ボランティアの安全衛生フォーラムの会場に能登半島地震の被災状況とボランティア活動の画像を展示しようかと・・・・お金をかけずに準備中!




そして、明日から夕張。この夏に子ども達と下る夕張川の試漕調査。カヌーをお借りし運搬をしていただく滝川市の長瀬さん、滝川B&Gの副所長山田さんと池田さん、そして夏も一緒に子ども達をサポートしていただく当麻町のアウトドアガイド「ふぉれすとクリエイトたっく」の横井さんと明後日合流、一緒にコースを試漕する。もちろん札幌HOPの仲間たちも。
さらに、夏の川下りと同日に、夕張を含めた北海道の新たな福祉や街づくりを考えるフォーラムが夕張で開催される。その主催者でもある当別町のNPO「ゆうゆう24」大原さんも夕張入り。夕張の元気を応援する仲間達がまた集結する。再会が楽しみだ。
清水沢学園の皆様、現地側のサポートを宜しくお願いします。
能登の仮設住宅 [2007年05月23日(Wed)]
阪神大震災以降、仮設住宅は災害が起きる毎に改善されてきました。災害救助法という法律によって定められた仮設住宅という枠組には限界もあるのでしょうが、少しずつではありますが改善されているように思います。
今回の能登半島地震での仮設住宅の詳細があかつきボランティアネットワークさんのサイトにあります。その中のブログ「能登の仮設住宅」をどうぞ!。あかつきの小林さんの技術屋さんらしい、仮設の構造や備え付けの機器類を中心に書かれた内容になっています拍手。とてもわかりやすい内容なので紹介させていただきました。

こちらもどうぞ!「報道されない被災地」「便利さが不便さに

中越地震のときの仮設住宅(小千谷市千谷仮設にて)
豪雪地らしく窓に「雪囲い」のための「落とし板」を差す工夫があります

今回の記事は人の褌で相撲をとったような手抜きの内容になってすいません
便利さが不便さに・・・・ [2007年05月08日(Tue)]
能登の仮設住宅はオール電化。夜間電力を使った給湯設備にIHクッキングヒーター。専用の鍋も必要だし、電力消費料も心配されるが、電気代については誰が持つのか住民に質問しても明確な回答はなかったようです。
高齢世帯を考えての安全対策か?初めて見る触る使う器具に危惧してしまう。

屋外に設置されている給湯設備タンク。確かに台所仕事は便利だがお風呂では追い焚きができないので不経済か・・・・

なんとあの京香さんのCMでお馴染みのIHクッキングヒーター

阪神・淡路大震災に比べれば比較にならないほど変化してきた仮設住宅ですが、その便利さが田舎暮らしに慣れた高齢者には不便さにならなければと考えてしまう能登の仮設住宅。
報道されない被災地 [2007年05月07日(Mon)]

この連休を利用して能登半島地震被災地に入っていた「あかつきボランティアネットワーク」の小林さんが報告を兼ねて訪ねてこられました。
活動されていた地域は、ボランティアが全く入っていなかった志賀町富来地区(旧富来町)の仮設住宅。入居された方々は大きく地盤が歪み危険地区となった鵜野屋地区や領家地区の皆さんです。これらの地区は極めて局所的な被害で、そのためかマスコミも入らずニュースになることはほとんどないそうです。
今回の活動は仮設に設置されている器具(オール電化)の使い方や、風除室の加工、その他雑用一般のお手伝とのことです。
仲間のボランティアで「仮設応援隊」を立上げ、富来支所長経由で志賀災対本部長の了解を得て、地元社協了承のもとに活動されたとのこと。多くの人が連休を楽しんでいる中、本当にお疲れ様でした。

神戸からまちコミのぶさんも応援に、鵜野屋地区仮設にて

仮設応援隊には鳥取西部地震や中越地震で活動されたボランティアの皆さんも
鵜野屋地区仮設(三共フロンティア社製)


今回ボランティアによって設置された風除けと雨どい部分
玄人はだしのりっぱな出来ばえに拍手

このちょっとした風除けが出入りの際にとても大切な機能になります。中越地震では豪雪地域であるため仮設住宅の必須機能として行政側の予算でつけていただけないかと、関係先を通じて働きかけをしましたが、残念ながら叶いませんでした。
能登は中越ほどの豪雪地域ではありませんが、やはり仮設住宅として必要な機能ではないかと感じています。輪島・門前では公的予算での設置が検討されているとのことです。
ツバメも被災 [2007年05月05日(Sat)]
中越地震では多くの家屋が地震とその年の豪雪によって倒壊しました。翌春にはいつもの決まった営巣家屋を探しているのか、空き地となってしまったあたりを何度も旋回するすツバメを見かけた。鳥も変わり果てた街並み家並みに戸惑いを感じながら飛んでいたのかもしれない。この季節、能登でもツバメ達はいつもと違った景色を目にしているのだろう。

被災地に帰ってきたツバメ、05年小千谷にて
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