• もっと見る

雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


パキスタン地震情報【1】 [2005年10月11日(Tue)]
◆パキスタン在住の督永忠子さん(旅行会社を現地で経営)から日本のNGOオープンジャパンに入った情報を転用させていただいてます。
------------------------------------------------------
バウさん。ご無沙汰いたしております。
えらいことになりました!
イスラマから北100kmは文字通り壊滅です。

10月09日(日)
震源地へ行った事務所のスタッフが予定時間より遥かに早くイスラマへ戻って来た。「早かったじゃない?!」と驚くオバハンに、「山間部で生き埋めになるのは怖いから!と平野部の知り合いや親戚のところへ逃げた人が多く、きょうは道路がガラ空きだったのです。」「で、震源地はどうだったの??」

政府が救援隊を送ってくれないし、被災していない人は平野部へ逃げてしまったし、被災者は自分の家族を助けるのが精一杯で他人を手伝う余裕はないし、救助活動と言えるようなものは一切なく、今から政府が救助隊を送って来ても間に合わない・・・。来ても石を投げて村中には入れないといきまいていた人もいました。「何でこんな神の罰を受けねばならないのか・・・」って泣いてお祈りをしている人もいました、と。

ムシャラフ大統領をはじめ、多くの閣僚が非常に素早い対応をしたにもかかわらず、一部閣僚の心無い発言に怒りを覚えている被災者も多いと聞く。

最大規模の被害を受けたとして、TVで放映され続けているカシミールの州都ムザッファラバードは、長年インドとの領有を争っている特別地域で普段から軍隊も駐屯しているため、孤立したとは言え救助活動の開始は非常に早かったとオバハンは思う。しかし、同じような被害を受けながらも、インダス河に沿ったカラコルム・ハイウエー沿線の山村は未だに被害状況すら把握できていない。急峻な斜面ばかりで平地が一切ないコヒスターンはパーキスターンで一番遅れている地域でもあって、道路が開通するまでに(オバハンの長年の経験から)3週間以上はかかるであろう。「救助」「恩恵」にもっとも遠いコヒスターンや北方地域にも目配りが必要だ。

幸い首都イスラマバードでは、電気や水、ガスなどのライフラインは確保されており生活に支障はないので、北方地域への救援活動に力を入れねばと改めて考えている。救援というと、日本では「古着」が送り出されるが、日本や欧米からの古着が当地では超格安で買える。それこそ日本からの送料や洗濯代と称するもの、送り出しの手間暇を考えれば当地で国産品や欧米・日本からの中古品を集める方がどれほど無駄がないか!

オバハンの支援活動・モットーは「出来る者が出来ることをすれば良い」というもの。各自、出来ることをして頂きたいと念じている。
-----------------------------------------------------

◆ヒューマンシールド神戸の吉村誠司さんからの情報です

■パキスタン・インド地震へ支援を開始しました!■

昨年の今頃、ちょうど滞在していたのが、パキスタン北部のイスラマバードだ。アフガニスタン選挙のNGO選挙監視団として、数カ国の方々と打合せしたのがこのイスラマバードだったからだ。その時に、下記の新聞記事にも出ている督永忠子さんとお会いして食事をして、話したことがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051008-00000104-mai-soci

地震後、イスラマバードの督永さんに国際電話をしてみると、「本当に怖かったわー!神戸の地震よりは小さいようだけど、自分の家もヒビが入ったわ。日本からは電話がかかるみたいね、市内は電話がかかりにくい状態よ、町も交通規制がしかれているので、市内からスタッフが帰宅するのにも2時間以上もかかった。
北部の山間部では、壊滅状態の村もあるので、あと30分で現地に向かうところです。今は、待機させられている」という。

督永さんたちは、日・パ旅行社を経営し、山岳部へのトレックなど案内しているが、アフガニスタン戦争後に現地への支援も行っているのだ。そして、この地震でも支援をはじめた。下記のHPをぜひチェックしてほしい。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/

「吉村さん電話ありがとうね。神戸の方々は、もっと怖い思いをしたようですね・・・」とこちらを気遣う言葉をもらった。
「これから厳しい冬を迎えるので、山岳部への支援を急がないと手遅れになってしまう、国際電話ありがとうね!これからも応援してね。」

私は、これから情報を集めようと思う。3日以内に救助しないと、生存率はぐっと下がってしまう。そして大切なのは、緊急援助隊が登場し、去っていった後の息の長い支援だ。アフガニスタン戦争直後には、支援も集まったが、今は関心は低くなっている。その間にも、細く長く支援を続けてきた督永さん達の活動は、さすがである。

今回の地震支援について、日本からの長期支援の窓口として、私はこの団体の活動をサポートしてゆきたい。中越地震の1周年の後に、スタッフが現地に入る事を視野に入れて、情報交換をしてゆく予定だ。

2005年10月9日
ヒューマンシールド神戸
代表 吉村誠司
william_seiji@hotmail.com
吉村誠司の地球日記ブログ
http://spaces.msn.com/members/chikyunikki/
Posted by KURO/TNF at 10:38 | 災害情報 | この記事のURL