朝日山復興隊【10】
[2006年06月01日(Thu)]
浦柄の皆さんとボランティアが「朝日山復興春の陣」という一つの目的に向かって歩む事ができるのは、この4人のボランティアがいたからだと私は思っています。勿論、災害でのボランティア活動は多くの名もなき人達の活動があってこそ、その使命が果たせるのも事実です。
しかし中越地震では、いわゆるよそ者のボランティアが被災者である住民といかに信頼関係を築き上げるかがボランティア活動のポイントだったように思います。和南津でのオールとちぎ、田麦山での愛知ネット、塩谷でのHS神戸や中越元気村等等、これ以外でも法末、蓬平、半蔵金など多くの集落において、被災者とボランティアの枠を超えた強い絆が生まれています。
鈴木隆太さん(神戸)と吉椿雅道さん(福岡)は震災がつなぐ全国ネットワークのメンバーとして震災後から中越入り。浦柄の住民が避難した東小千谷小学校にて昼夜を問わず「足湯」を中心に活動しておりました。そしてまだ避難指示の解けない集落に特別に入り、ボランティアの先頭に立ち泥処理にあたりました。鈴木さんは現在も復興のため、住居を構え活動しています。
また、桑原誠さん(栃木)と柳沢直樹さん(東京)は04救援隊として、前述の両名と協働しながら終始現場作業にこだわり続け、04年雪が降り始めても浦柄にとどまらず南荷頃・朝日・寺沢・岩間木・塩谷と東山全域でその活動は続けられていました。いまでも新潟に通う日々です。
来たる朝日山復興春の陣で彼らを紹介させていただきたいと思います。
※下の写真は浦柄の元気の象徴、ほだれ?、いや「伝説の木」
しかし中越地震では、いわゆるよそ者のボランティアが被災者である住民といかに信頼関係を築き上げるかがボランティア活動のポイントだったように思います。和南津でのオールとちぎ、田麦山での愛知ネット、塩谷でのHS神戸や中越元気村等等、これ以外でも法末、蓬平、半蔵金など多くの集落において、被災者とボランティアの枠を超えた強い絆が生まれています。
鈴木隆太さん(神戸)と吉椿雅道さん(福岡)は震災がつなぐ全国ネットワークのメンバーとして震災後から中越入り。浦柄の住民が避難した東小千谷小学校にて昼夜を問わず「足湯」を中心に活動しておりました。そしてまだ避難指示の解けない集落に特別に入り、ボランティアの先頭に立ち泥処理にあたりました。鈴木さんは現在も復興のため、住居を構え活動しています。
また、桑原誠さん(栃木)と柳沢直樹さん(東京)は04救援隊として、前述の両名と協働しながら終始現場作業にこだわり続け、04年雪が降り始めても浦柄にとどまらず南荷頃・朝日・寺沢・岩間木・塩谷と東山全域でその活動は続けられていました。いまでも新潟に通う日々です。
来たる朝日山復興春の陣で彼らを紹介させていただきたいと思います。
※下の写真は浦柄の元気の象徴、ほだれ?、いや「伝説の木」