繰り返さないために
[2008年08月11日(Mon)]
災害に関わるようになって最初に水害を体験したのは、ちょうど今年で10年になる98年の南東北北関東水害(那須・白河エリア)、そして同年の高知98水害。初めて水害の悲惨さを見せ付けられた。地震は火事にならない限り、家の中の物はなんとか探しだせることが多い。しかし、水害は多くのものを失う。たとえ見つかっても泥に埋もれてあまりにも悲しい状態で見つかる。
98年の両水害で救援活動を開始する前に、被災の状況を把握するために地元のボランティア団体の方と被災地を回った。ある家を訪ねた。水害後数日が経過していたにも関わらず、濡れた布団で寝たり起きたりのお年寄りがいた。食事は泥水をかぶった米を洗って食べていた。こんな生活が日本にあっていいのかと悲しくなった。一方、ある家庭では新しい冷蔵庫や洗濯機が早速運び込まれている。災害を機に古い電気製品を買い換えるのだろう。経済的に余裕があれば保険も掛けられる。貧しい人はより貧しく、裕福な人はより裕福になるのが災害なんだなと改めて痛感した。
2005年九州宮崎を襲った台風14号。その規模はアメリカ東部を襲ったカトリーナ級の超大型台風だった。2004年での疲労感もあり、被害の酷かった宮崎市に他のスタッフが入ってVCの支援活動を行った。そしてそれから1ヶ月後、14号の被害を受けた中山間地の映像がニュースで流れた。水害から1ヶ月も経過しているにも関わらず、家のど真ん中に流木が突き刺さった映像や土砂が流れ込んでいる家など、水害当時となんら変わらない映像が流れていた。なぜそんなものがそのままになっているのか不思議でならなかった。地域にチェーンソーぐらい使える人間はいるだろう!しかし、機材や道具も全て流され、水や泥で使えなくなるのも水害。そして何より疲弊しきって身体を動かす元気も気力もなくなっていたのだろうと推察できた。それと画像からもわかる高齢の村。
首都圏ではそれほどニュースにはならなかったが先日、北陸で大規模な水害があった。1ヶ月後台風14号の宮崎の状況になっていないように、いつもの仲間達が戦車に乗り、鉄砲を回してる。
その現地の状況がアップされています。本当にお疲れ様でした。
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