関東大震災
[2007年10月11日(Thu)]
大正12年9月1日に関東一円を襲った関東大震災。日本橋三越のコンコースにあった永井保さんのパネルをご紹介します。
宮城(皇居)前には避難小屋が無数にできた。小屋といっても焼トタンを拾いあつめて板にぶつけた形ばかりのもの。釜がないのでバケツで玄米をたいて、ニギリめしをつくった。
私たち一家は、まず江戸橋のたもとに避難。次で橋を渡り四日市河岸から日本橋南詰の国分まえに移動。日暮れとともに火勢の強まるのをみて呉服橋から東京駅前へ。更に夜明けをまって宮城まえの帝室林野局(いまのパレスホテル)の焼跡に避難した。
電化製品にポリバケツ、液状化に高層ビルに大量の帰宅難民。大都市での災害は現代の生活の方が極端に弱いように思う。
宮城(皇居)前には避難小屋が無数にできた。小屋といっても焼トタンを拾いあつめて板にぶつけた形ばかりのもの。釜がないのでバケツで玄米をたいて、ニギリめしをつくった。
私たち一家は、まず江戸橋のたもとに避難。次で橋を渡り四日市河岸から日本橋南詰の国分まえに移動。日暮れとともに火勢の強まるのをみて呉服橋から東京駅前へ。更に夜明けをまって宮城まえの帝室林野局(いまのパレスホテル)の焼跡に避難した。
電化製品にポリバケツ、液状化に高層ビルに大量の帰宅難民。大都市での災害は現代の生活の方が極端に弱いように思う。