陽明学と組織経営
[2022年11月03日(Thu)]
会社を設立をして8年目、福祉的事業で収益を出す経営を行いたくて、
福祉経営学を教えてくれる三浦文夫教授のいる大学院に入学した。
2009年の49歳の時である。
その大学院には、二松学舎大学名誉教授で漢学者の中田勝先生もいた。
陽明学である。
陽明学の代表的な教えが「心即理」と「致良知」と「知行合一」。
今回は「心即理」についてのお話しをしたい。
心は理・知は行と解釈すると、
心のあり方がそのまま思考となり行動になるといえる。
思考と行動が違うと、言う事とやる事が違ってしまい、
周囲の信用を失ってしまう。
心で思った事と頭で考えたことが違うと、思考と行動に矛盾が生じ、
大きな心的ストレスが生じる可能性もあろう。
陽明学では、心・思考・行動の一致が重要だというのだ。
言い換えると「心のあり方」がとても重要なのだ。
陽明学は、心学とも呼ばれ、心を陶冶(トウヤ)することを勧めている。
「心」が理解できないのは、
「欲望」と「雑念」という邪魔者があるからだそうだ。
名声や金銭、権力などの欲望があると、本当の自分を見失ってしまう。
また、雑念が強いと、自分の「心」を頭(屁理屈)で誘導しがちになる。
「競争を繰り広げて利益を確保すれば、市場で生き残れる」と信じて、
苦しみもがく自分を気付かされる。
本当の豊かさを見失ってしまっている自分に気が付くのだ。
心を観察できれば、心を陶冶できる。
恐れ、不安、怒り、ねたみなどのダークな心を打ち払い、
希望、清明、善い思いを満たしていって心を強くすることができるのだ。
心を陶冶することを日常業務の中で意識していると、
心・思考・行動が一致し始め、
「心即理」を実行できるようになるわけだ。
私にとって、陽明学の教えは「自分のあり方」のよりどころとなった。
中田勝先生は、「吉田松陰、西郷隆盛、安岡正篤など、
歴史が変わる時に陽明学者が現れて社会を変えてきた」
「岩崎弥太郎、渋沢栄一、東郷平八郎、三島由紀夫など、
陽明学を信奉する者が社会の実践倫理に影響を与えてきた」
とおっしゃっていた。
陽明学の教えを理解し、心が陶冶された経営者が数多く輩出されれば、
「競争ばかりの殺伐とした社会」が
「勝ちのない(楽しい)ゲームの社会」に変わるのでは…と考えている。
福祉経営学を教えてくれる三浦文夫教授のいる大学院に入学した。
2009年の49歳の時である。
その大学院には、二松学舎大学名誉教授で漢学者の中田勝先生もいた。
陽明学である。
陽明学の代表的な教えが「心即理」と「致良知」と「知行合一」。
今回は「心即理」についてのお話しをしたい。
心は理・知は行と解釈すると、
心のあり方がそのまま思考となり行動になるといえる。
思考と行動が違うと、言う事とやる事が違ってしまい、
周囲の信用を失ってしまう。
心で思った事と頭で考えたことが違うと、思考と行動に矛盾が生じ、
大きな心的ストレスが生じる可能性もあろう。
陽明学では、心・思考・行動の一致が重要だというのだ。
言い換えると「心のあり方」がとても重要なのだ。
陽明学は、心学とも呼ばれ、心を陶冶(トウヤ)することを勧めている。
「心」が理解できないのは、
「欲望」と「雑念」という邪魔者があるからだそうだ。
名声や金銭、権力などの欲望があると、本当の自分を見失ってしまう。
また、雑念が強いと、自分の「心」を頭(屁理屈)で誘導しがちになる。
「競争を繰り広げて利益を確保すれば、市場で生き残れる」と信じて、
苦しみもがく自分を気付かされる。
本当の豊かさを見失ってしまっている自分に気が付くのだ。
心を観察できれば、心を陶冶できる。
恐れ、不安、怒り、ねたみなどのダークな心を打ち払い、
希望、清明、善い思いを満たしていって心を強くすることができるのだ。
心を陶冶することを日常業務の中で意識していると、
心・思考・行動が一致し始め、
「心即理」を実行できるようになるわけだ。
私にとって、陽明学の教えは「自分のあり方」のよりどころとなった。
中田勝先生は、「吉田松陰、西郷隆盛、安岡正篤など、
歴史が変わる時に陽明学者が現れて社会を変えてきた」
「岩崎弥太郎、渋沢栄一、東郷平八郎、三島由紀夫など、
陽明学を信奉する者が社会の実践倫理に影響を与えてきた」
とおっしゃっていた。
陽明学の教えを理解し、心が陶冶された経営者が数多く輩出されれば、
「競争ばかりの殺伐とした社会」が
「勝ちのない(楽しい)ゲームの社会」に変わるのでは…と考えている。