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ずっと忘れない[2022年03月13日(Sun)]

. (朝日新聞 2022・3・12より)

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11年目のあの日[2022年03月13日(Sun)]
決して忘れられない”あの日”
(朝日新聞 2022・3・11より)
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南三陸町の人たち、東北の人たち、すべての被災した人たちの想いは如何に。
合掌。

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2011・03・11・14:46[2021年03月13日(Sat)]


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3・11の1ヶ月後に気仙沼に初めてボランティアに行った時の体験は忘れられない。目で、鼻で、耳で、肌で感じたあの衝撃。
そして10年が今日・・・。14:46 東北に黙とう、落涙ス。
風化させてはいけない。ず〜っと忘れない。(FBより)
(南三陸町の今日、各局のTVから)

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あれから早や10年[2021年01月16日(Sat)]
あっという間の10年か?、まだ10年か?

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 私が外から当事者でない者として感じるのは、”あっという間の10年”のような気がします。
しかしあの大地震やそのあと襲ってきた大津波、そして恐ろしい原発事故などに押しのめされた人たちにとっては、果たしてどう表現されるのでしょうか? 私が軽々に申し上げるのはやはり遠慮するべきでしょう。
 被災直後は、気仙沼や東松島市・南三陸町などにがれきの片付けなどボランティアに伺い、また1〜2年後には南三陸町へ6年間復興支援の物資などお届けしましたが、それらも避難所から仮設住宅、そして復興住宅へ進むにつれ現地の区長さんなどから一先ず区切りがついたからということで、終止符を打ちました。
 被災されたみなさまは、その後お元気にお過ごしでしょうか? 
 
 東日本大震災後も、我が国にはなんども天災や事故、そしてコロナ禍が続き、国民の生活を絶えず脅かせております。国民の知恵やみんなの協力で、是非乗り越えてゆくことを願います。

 
令和2年7月豪雨(九州や岐阜・長野など各地)[2020年07月13日(Mon)]


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2011年の東日本大震災から10年、何度も災害がやってきた。一体いつになったらこのような景色を見なくてすむのだろう?
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
また被災されたみなさま、現地へ駆け付けることもできず、わずかばかりのご協力しかできませんが、心よりお見舞い申し上げます。(朝日新聞より写真と記事を拝借)(FBより)

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新型コロナ人が攻めてきた/緊急事態宣言発出![2020年04月09日(Thu)]
緊急事態宣言、出る!

ーーーーーー 朝日新聞(4/8)より −−−−−−
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沖縄のこころ、首里城(正殿など)が消失[2019年12月01日(Sun)]
悲しいことが多すぎる、沖縄の宝が消失

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 玉城知事が「必ず復元する」と明言。
 あちこちで寄付の活動がたくさん出てきている。
 当然私の元の会社も強力な支援活動をすると思う。
 OB会としてもできることはある。連合会で全国的に寄付やツアーの支援など。
 私もお世話になった関係者の一人として沖縄のため、寄付などの呼び掛けのアクションを起こさねば・・・。再建されるまで寄り添いたい。(写真は10月31日朝日新聞より)(FBより)

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台風19号で佐野市秋山川が氾濫/泥かきボランティアに[2019年11月03日(Sun)]
自然災害には敵わないのか?洪水被災の佐野へボラ活へ
・・ ボランティアを多く募集している被災地:佐野市 ・・

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 自宅から約1.5時間のふるさと佐野へボランティアに行ってきた。
小中高校と、こどもの時にいつも通った海陸橋のそぐそばの秋山川の堤防が決壊。TVや新聞で見るたびに被害が大きくなり、じっとしては居られない。実家も被災したが床下までも行かなかったので、被災したとは言えないくらい。
それよりも、まだまだたくさんの家が床上まで泥水が上がりまったく悲惨な状態。泥かき出しなどのボランティアが少なくて困っている。
8年前の東日本大震災で鍛えた老体にはちょっときつくなった労働だが、泥など土嚢に詰めて運び出す。もう一回体を鍛え直すにはいいチャンスかも。しかも少しは人の為になるなら言うことない。
10/30は並木町のAさん宅、11/1は大橋町のO氏宅、11/2はやはり大橋町のK氏アパートで、ともに庭・敷地の泥を処理した。他のボランティアさんも東京や埼玉・茨城・栃木・群馬・静岡など各地から男女を問わず駆け付けてくれた。ありがたい。
私もしばらく「ふるさとボランティア」を続けます。
(余談:今回は佐野ラーメンを食べそこなった。残念!)

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台風15号の被災地/館山市へボランティア[2019年09月23日(Mon)]
じっとしていられなくて、行ってきました

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 TVや新聞、ネットで現地がどうなっているのか調べたが、欲しい情報がなかなか入らなかった。
 前日いくつかの南房総の自治体へ電話したら、県外からはボランティアは受け入れていないところも。ブルーシートなど支援物資を買い込んで持参するつもりだったが、これもほとんど足りているとのお話。
 結局館山市ならボランティア受入OKとのことで、急いでバックにシュラフやバーナー・コッフェル・着替え・水・シャベル・長靴・軍手・マスク・ゴーグル・食料・地図などぶち込んで、早寝して準備。
 05時起き、05:45に出発。なぜか浦和ICから入って渋滞の京葉道路を抜け、館山道を通り館山市役所へは10:02着。どうも慣れない高速は、ナビなし車なので気が疲れた。
 到着しボランティア登録すると、すぐにちょうど1名追加の活動個所があると言うので、車で向かう。一人暮らしの女性Hさん宅で、屋根はブルーシートを張り、雨漏りで家具や布団などの処分や庭の屋根が吹き飛ばされた丈夫な物置の解体撤去などを、すでに取り掛かっていた4人の方々と行った。
 初日はモーターホテル泊。自炊。
 2日目は、房総半島のほんと先端布良地区のNさん宅へ。やはり一人暮らしで2階の屋根は吹き飛ばされ、2階も1階も雨漏りでやられていて、家財などを運びだす。また裏の墓地まで吹き飛ばされたスレート屋根の一部を運び出したがこれはかなり重かった。男性3と女性3の6人のボランティアで活動したが、今日はたいへん和気あいあいとチームワークがよく、私が一番高齢ということもあり、若い人たちが気をつかったふしはあるが、不謹慎だが楽しく活動できた。
 両日とも同じような被害で同様な活動だった。これからどうされるのか聞くすべもなかったが、お話では”この館山で楽しい生活を過ごしてこられてよかった”という言葉がせめてもの救いだった。
 活動終了後、館山市社協さんに今後何か継続した支援ができることはありますかと相談したが、すぐには回答が出なかったので、名刺を渡しメールでお知らせいただくよう頼み家路についた。

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西日本で広範囲の豪雨災害[2018年07月15日(Sun)]
    1週間後の西日本豪雨

          (朝日新聞記事より

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 毎年のように起きる自然災害、犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
 また、被災者のみなさんに謹んでお見舞い申し上げます。と言葉で言っても実際被災された方々には何の役にも立たない。何ができるのか、どう行動するのか、申し訳ないのですがもう少し考えて動きます。

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