南三陸町へ「お正月のもち」をお届けしてきました[2015年12月29日(Tue)]
今年の仕事納めに、南三陸町へ行って来ました

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天気もよく、東北自動車道はまだ帰省ラッシュ前でスムーズに走れ、無事に南三陸町への「お正月のもち」(180kg)をお届けしてきました。往復走行893kmを日帰りで相棒のK氏と二人、今年の仕事納めを何とか果たしました。
もち募金をお寄せいただいたみなさま、ありがとうございました。現地の仮設に暮らす方々からは、毎年楽しみにしている、ありがとうと感謝の言葉をいただきました。
荒砥や波伝谷の仮設住宅では、今年は段々と復興住宅への退去家族がでて、その分だけもちの数は少なくて済みましたが、残されてお住いの方々は、淋しくなってきたと話していました。現にちょうど昼過ぎに伺いましたが、住宅地は人影がなくガランとしていました。
いよいよ来年暮れにはほとんどの方々が退去されるとのこと。
荒砥第2のW区長さんとの話で、その後の支援について話をしたところ、移転後の復興住宅地での「さくらの記念植樹」を考えているとのこと。2年後からは、また「記念植樹募金事業」を立ち上げ、みなさんへご協力をお願いすることになると思います。その時はよろしくお願いします。
まち中心地のかさ上げ工事はかなり進んできて、例の防災対策庁舎はうず高く積まれた土の山に隠れそうです。あと少しで、以前のまちは完全にかさ上げされた土に埋まってしまうでしょう。これほどまでの大事業も、果たしてまたやってくるだろう大津波を防ぐことができるのでしょうか?
来年3月には、被災して満5年を迎えます。 (FBより)








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天気もよく、東北自動車道はまだ帰省ラッシュ前でスムーズに走れ、無事に南三陸町への「お正月のもち」(180kg)をお届けしてきました。往復走行893kmを日帰りで相棒のK氏と二人、今年の仕事納めを何とか果たしました。
もち募金をお寄せいただいたみなさま、ありがとうございました。現地の仮設に暮らす方々からは、毎年楽しみにしている、ありがとうと感謝の言葉をいただきました。
荒砥や波伝谷の仮設住宅では、今年は段々と復興住宅への退去家族がでて、その分だけもちの数は少なくて済みましたが、残されてお住いの方々は、淋しくなってきたと話していました。現にちょうど昼過ぎに伺いましたが、住宅地は人影がなくガランとしていました。
いよいよ来年暮れにはほとんどの方々が退去されるとのこと。
荒砥第2のW区長さんとの話で、その後の支援について話をしたところ、移転後の復興住宅地での「さくらの記念植樹」を考えているとのこと。2年後からは、また「記念植樹募金事業」を立ち上げ、みなさんへご協力をお願いすることになると思います。その時はよろしくお願いします。
まち中心地のかさ上げ工事はかなり進んできて、例の防災対策庁舎はうず高く積まれた土の山に隠れそうです。あと少しで、以前のまちは完全にかさ上げされた土に埋まってしまうでしょう。これほどまでの大事業も、果たしてまたやってくるだろう大津波を防ぐことができるのでしょうか?
来年3月には、被災して満5年を迎えます。 (FBより)






