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「人生最高のラブレター」は、「チーム3ミニッツ」のブログと統合しました。

チーム3ミニッツのブログはこちらです。






あなたへ まだ読んでもらえないラブレター[2007年02月26日(Mon)]
会えなくなって一年八ヶ月余り、話をしたくても、話を聞いてもらいたくてもいつも一方通行のまま。それならばと手紙を書くことにしました。

一九七四年、十歳の春に私と貴方は出会いました。同期入社、それと生年月日が一緒、こういうのを赤い糸で結ばれていたというのでしょうか? この人と人生を共にするという気持ちはお互いにすぐに持ちましたね。何分若かったし、お金もありません。

結婚までは三年半、でもまだお互い二十二才、それから四年余り共働きをしましたね。 一九八一年、後にも先にも一生の宝物一人娘の「ひとみ」が誕生しました。これからのひとみの人生、良い事も悪い事も自分自身の目(ひとみ)でしっかり見極めて歩んでほしいとなぜならひとみ自身の人生だから。

そんな思いを込めて二人で名付けました。そんな娘の行く末をある程度まで見守ることもできないまま、突然遙か遠くへ旅立ってしまいましたね。娘も十九才の春、大学受験に向けて奮闘中です。貴方と私が出会った同じ時代を今娘が歩み始めている、不思議な気持ちです。

貴方の死を見つめて、最近ようやく受け入れることができるようになりました。そして私自身の生きる力になりました。これも私達をとりまく大勢の方々に支えられながらですが、時はゆっくり確実に過ぎて行く、でも宇宙レベルで考えたらほんのひととき、一点ぐらいなんでしょう。でもそんな中に人それぞれの人生が詰まっている、これからは貴方との思い出も大切にしながら、新しい思い出も作っていこうと思います。貴方の分までひとみを見守り、応援していきますので安心してください。たくさんの愛をありがとう。

人生の黄昏が近づいた時、一通はこんな両親の元に生まれたひとみへ私が持っているコピーは私自身で貴方に届けます。どうかそれまで私とひとみを見守ってくださいね。
おじいちゃんからヘルパーさんへ[2007年02月18日(Sun)]

隠居というそんなのん気なのんびりした生活でなく、家内に先立たれて二十五年。

孤独ながら精一杯働いてどうにか落ち着き、一寸一服という時に風邪引きから呼吸困難の職業病が重なって、冬眠生活を余儀なくしなければならなくなり、精一杯がんばっている時に国の福祉のお陰で、訪問のヘルパーさんが時々来て、お世話して頂くことになり、感謝の気持ちを込めて男のラブソングを綴ってみる事にしました。

母も六才の時に無くし子供の頃から歌が好きだったので、歌で淋しさを。今も同じで、病気になるまではカラオケ愛好会でした。

が、ここ二年目で出歩く事が出来ず、歌のメロディーを想い出し、つなぎ合わせてその時々の時代と自分の人生をたどって、老化を防ぐのに役立てていた。年寄りの冷水とはこの事です。それが貴女との出会いで、テレビのチャンネルが変わった。貴女はダンスが好きだと聞いて、ハタと手を打った。

そうだ、難しい事は別として、夢の中なら、踊る事が出来る。

目を閉じて音楽に合わせていると、「奥様 お手をどうぞ」という曲が流れて来た。私は貴女に手を差しのべると、快く応じてくれ手をとって、タンゴの調べに乗って、夢の円舞曲の輪に加わっていた。なんと素晴らしい手の感触。そして何よりも明るいハシャイだ乙女の様な無邪気さ。そのくせ、セクシーな所が最高だ。私は自分の年齢を忘れ、唯呆然としていた。ふとこんな句を思い出す。

朝顔に 釣瓶とられて もらい水

古井戸のツルベ「私」に、可憐な朝顔に巻きつかれ身動き出来ないさまの様を連想して苦笑せざるを得ない。

時代と共に歌は流れ、戦前戦中戦後、そして平和。軍歌を歌って、特攻隊の真似事をして青春を送り、女性を知らずして散った桜も多く、その中の生き残りに過ぎない。

どうせ残る桜も散る桜。国や福祉、人々のお陰で今の生活がある。勿体ない事です。その上に、天から降ってきたのか、地から湧いて来たのか、貴女は月よりの使者だと思う。長生きはするもんだと、今実感している。

「側にいてくれるだけでいい 黙っていてもいいんだよ」。こんな歌の様に。

でも話をしていると楽しい。あーだこーだとキャッチボール。時には漫才のヤスキヨの様に突っ込みに自然と空気が明るく澄んで、今までの重苦しい空気がフッ飛んで、人間が解放された人生にブラボーと声を出してさけんだ。近頃そんな事が頭をよぎり、眠れない時がある。悪い奴程よく眠るというから、悪い奴になろうと思うがなれない。

そんな時、一寸ドライブに。「辛い恋ならネオンの海へ捨てて来たのーに 忘れて来たに」。第二国道を走り、こんな返事が来ないかな。「一度だけなら許してあげる 好きな貴方の事だもの」。

なんて駄目だ。テネシーワルツ、ケセラセラと吹き飛ばして二人でバカンスに。ローマの休日を楽しんで夢のタンゴ。ダークンパルシータの曲に乗って、風とともに。有り難う、君忘れじのブルースへとつづく。
母さんへ[2007年02月18日(Sun)]

あらためて手紙を書くのはとても恥かしいです。

母さんは機械物には弱いし、メールより手紙の方が気持ちは伝わると思い手紙を書きました。

春になりますが体の方は平気ですか?
もう桜の咲く時期ですよ!
色んな思い出が詰まって咲く花。
出会いも別れも桜の咲く季節。

僕が東京に出てきた時も、桜が咲いていましたね。

機械仕掛けの街「東京」というイメージがあったんですが、そんな東京にも桜は咲いていました。この桜を親父にも見せてあげたかったです。

親父が死んで4年。母さんを置いて東京には行きたくありませんでした。でも母さんが背中を押してくれたからこそ、今の僕があると思うし、東京の桜にも出会えたんです。

今度、親父の墓参りに行きます。最後まで謝ること出来なかったから、せめて親父のお墓を洗おうと思います。その時に桜の盆栽持っていきます。

これからも色々迷惑かけるかもしれないけど、ヨロシクな母さん。


大切な父へ[2007年02月06日(Tue)]
秋桜が風と戯れ心地よさそうにしています。そんな光景を目にすると、ふいにお父さんの顔がパァーッと浮かんできます。

子供の頃、「お父さんは何の花が好き?」と聞いた私に、静かに頭をかしげて「秋桜かな、か細くって今にも倒れそうなのに倒れない、芯の強そうな秋桜」と答えたお父さん。

妙に心に焼き付いていて、秋は特別お父さんに会いたくなります。

大病したことの無いお父さんはずーと働き詰め、85歳になった今もバリバリの現役です。物事に動じる事なく何時も落ち着いていて、静かで穏やかな笑顔は小皺が少なく艶々。色んな事思い出しますけど、印象深いのは福岡から広島に転校した小学校四年生の新学期、教科書がしばらく頂けなかった時の事です。

お父さんは、国語、算数、理科、社会の教科書を友達から借りて来させて、何日分だったのでしょうか、几帳面に写して数枚綴りの教科書を夜鍋して作ってくれました。

翌日「お父さん、今日ローマ字っていうのが全然読めなかったョ」と言った私に「いやあローマ字があったのか、さすが町の学校だねェ、悪かった悪かった」と頭を掻き、また同じ様に作って、「2ページくらい暗記しなさい」と教えてくれました。

お父さんって本当に勉強好きで努力家なんだと子供心に尊敬と感謝で、まぶしく感じたものです。

忙しくて休日はゴロ寝を決め込みたいでしょうに、魚釣りや野球見物に連れていってくれました。日曜大工も得意で勉強机もお父さんの作品、母が良く父さんみたいに優しい人はいないよと言ってましたが、私も一度も怖いお父さんを見た事がなく年を重ねました。

結婚して三十数年、東京と広島では年に何度も会えませんが、出迎え時も、見送りの時も、今だにさっと荷物を持ってくれるお父さん。トレードマークの鰹節の様な腕はさすがに筋肉が落ち細くなって、「あっ大丈夫ョ」と声が出ますが、何時もの艶々の笑顔で「まだまだ」と言うお父さん、本当に大好きです。

去年のお父さんのバースディに帰省した時、私の身体にリボンを巻いて「プレゼント」と言ったように、何事にも動じないお父さんをびっくりさせるような贈り物をしたいと今年も頭を悩ませています。

ちょっと躓いて膝を痛めたお父さん、弱音を吐かずにお風呂上がり湿布を几帳面に貼り替える姿を見ていると、どうしてそんなに強いの? と胸がキュンとします。

だんだん赤ちゃんに返って少しぐらい我が儘言ってもいいのに、それが一番似合わないお父さんって可哀想な気もします。世界一幸せな娘から、お父さんに元気をあげれるように頑張ります。

お父さんの子で本当に幸せ!
心からありがとうって何度も言いたいです。
君想う青春老いて今も尚[2007年02月01日(Thu)]
君想う青春老いて今も尚


暦の上では春とは云え、吹く風は尚冷たく冬を感じさせる今日此の頃、如何お過ごしでいられますか。私の家の紅梅は今花盛りです。もう一ヶ月もすれば桜の花も咲くでしょう。貴方は覚えていらっしゃいますか。

同じ事務所の仲間達と休日には良く遊びに行ったことを……。貴方はスポーツマンタイプで各課の対抗試合には野球もバレーも選手として出ていました。女の子にとって貴方はあこがれの的でした。

田舎者の私はただ遠くの方で貴方を見ているだけでした。ところが奥多摩へキャンプに行った時、Kさんが貴方と二人で並んでいる写真を撮ってくれました。本当に嬉しかった。

景色が美しいからと云ってKさんは引伸ばしまでしてくれたのです。本当に綺麗に撮れていました。私は今でも大切にしています。

貴方の入隊も決まり、私も故郷の讃岐へ帰ることになった或る日、お別れにと貴方は私を映画に誘ってくれましたね。そして、お互いに手紙を書く事を誓って別れました。それから、貴方からのお便りが来ることになったのです。

戦地に発つ事になった時の手紙には「貴方の写真が何時も僕を見守っていてくれる。僕は安心して壮途に発つ」。こんな言葉を書いてくれたのを私は覚えています。私の小さな写真が身を捨てて戦地へ赴く者の支えに少しなりともなれることを、どんなに嬉しく有難く感じたことでしょうか。

貴方はそれから一ヶ月に一度の割合で便りをくれました。私はそれがラブレターのように嬉しかったのです。私もそれにこたえて毎日の出来事を書き送りました。

ところがそれも一年余り続いた時、ふと貴方からのお便りが途絶えました。それからどんなに待つても貴方からのお便りは来ませんでした。

私は若しや……と随分心配しましたが、どうするすべもありませんでした。

その内私も縁談がまとまり結婚することになりました。結婚して一年後、主人も出征しました。その翌年には終戦となりましたが、夫人は仲々帰国しませんでした。

シベリア抑留されて四年後、やつと帰って来たのです。その当時の苦しさは筆舌につくしがたいものでした。私の心の支えとなつたのは、貴方達との楽しかった想い出です。貴方のことを浮かべてはがんばってきたのでした。

その後、ふとした事から貴方が無事帰還されて、ある市役所の重役になられているとのことを聞き、私はほつと胸をなでおろしました。途端に逢いたい気持ちがまた胸を突くのですが、今更どうしようと云うのでしょう。

遠い遠い日の夢でした。

でも時々胸の奥の埋火をかき立てる時もあります。私は六十年振りに貴方に、初めてののラブレターを書いているのです。

貴方に逢えたことが私の心に灯りを点してくれたのです。
ありがとうございました。

君想う青春老いて今も尚
お腹の子供が産まれたら、会いに行きます[2007年01月31日(Wed)]
”家のちびちゃん”。父ちゃんは未だに私をこう呼びますね。その”ちび”も来年には母親になります。先日掛けた誕生日祝いの電話、本当はその報告を兼ねていたんですよ。

照れが入り言い出せなかったけど、一体父ちゃんはどんな言葉を返してくれたのでしょう?

幼い頃は余りに厳しい父ちゃんを疎ましく思っていました。父ちゃんの単身赴任が決まった時、正直もう勉強させられなくてすむのだとホッとしたものです。

それでも海外出張の度に送ってくれた色とりどりの絵葉書。ドキドキしながら見ては、子ども心に父ちゃんの旅する国々に想いを馳せたものです。一枚も残らず保管してあり、今では大切な宝物です。

 高校時代、勉強で苦労していた時には毎週、新聞の英語の慣用句を切り取っては葉書に貼ってメモを添えて送ってくれましたね。慣用句は覚えてないけど、父ちゃんの熱意と優しさだけはちゃんと伝わりましたよ。

 大学に入り、遊び惚けていた私を父ちゃんは随分と心配しましたね。朝帰りの日の行動を報告させられた時は居酒屋の羅列で恥ずかしかったけど、嘘はついてないからね。信じてくれて有り難う。

 四日市の狭い父ちゃんの単身赴任先のアパート、訪ねる度に胸が詰まりましたよ。東京のマンション暮らしの私達家族を養う為に、随分苦労をしてくれましたね。一言も愚痴を言わない父ちゃんの強さ、ひたむきさ、常に感じて育って来ました。

 就職をせずに海外へ行くと言った時には、ちゃんと目的を聞いてくれて有り難う。自分の気持ちを抑えて送り出してくれた心の広さ、決して忘れません。

 国際結婚をすると決めた時はさすがにどうしてもなかなか言い出せなくて困りました。一生懸命自分を犠牲にしてまで育ててくれた父ちゃんへの、最大の親不孝だと何度も自分を責めました。姉の結婚式で多くの人に素晴らしいお嬢さんだとスピーチされ、何の心配もなく娘を送り出す満足気な父ちゃんの表情を見て、同じことが出来ない自分を恥じました。

どうして自分は周りの人のように生きることが出来ないのだろうかと、何度も自問しました。けれどもやはり私は自分の気持ちに素直に生きることしか出来ませんでした。

それが父ちゃんをどれ程悲しませるかが嫌という程分かっていただけに自分も苦しみ、悩みましたが、いくら考えても答えは出ず、最終的に自分の人生だからと言い聞かせて決めました。

今こうして日本から遠く離れた所で新しい命を授かり、よく父ちゃんのことを思います。心配を懸け放しの私ですが、好きな人と地味ではありますが幸せに暮らしています。お腹の中の子供が生まれた際には元気に里帰りをする予定です。

父ちゃんはどんな顔をしてその子を抱いてくれるのでしょう。立派なおじいちゃん振りを発揮してくれるのでしょうか。ちょっと照れながらも嬉しそうな父ちゃんの表情が目に浮かぶようです。

 近くに住んでいない分いろいろと不便だけれども、出来る範囲でゆっくりと今まで父ちゃんがしてくれたことへのお返しが出来たら、と考えています。この歳になってしみじみ父ちゃんの娘であれた幸せを感じられる幸運に感謝します。

これからも末永く宜しくお願いします。
かけがいのない君へ[2007年01月29日(Mon)]
いつもやさしく、笑顔がすてきな君と結婚してから、はや三十八年。

さまざまな苦楽を共にしながら送日してきたこの重みある歳月を回顧するにつけ、時の流れの速さに驚き、万感胸に迫るものがあります。

この間、君はいつも育児、炊事、家事の三じのあなた」として、全力で尽くしてくれました。特に、二人の子どもの良き母親として、他人に迷惑をかけることがない真面目さが取り柄の子に育ててくれました。

仕事が趣味のように、教職に専念するばかりの私であったので、家庭内のことはすべて君だけに任せっきり、その負担の過重であったことを思うにつけ、心が痛みました。遅ればせながら深くお詫びします。

お陰で二人とも立派に成長し、良き社会人、良き家庭人として幸せに独立した生活を送ることができるようになったことに安堵し感謝したい。

君の努力で、大きな成果をおさめるなか、私の四回に及ぶ入院生活(内科、外科各二回)、子どもたちの教育費、住宅ローンの返済、生活費等々は、日増しに困窮をきわめ、その救済のために、自ら病める時も休むことなく、ひたすら「三じ」を遂行したうえ、身を粉にしてアルバイトに必死の力をふりしぼってくれた君の献身的な姿には、頭が下がるばかりでした。いつも、癒しと慰めと励ましを与えてください、と神に祈りました。

君の支えと激励のお陰で、大過なく、結婚後、定年までの三十年間と嘱託勤務の五年間、職務を遂行することができたことは、無情の喜びであり心から感謝しています。また、物心両面にわたり、言語に絶する苦労をかけたことを心からお詫びします。

日本一の良妻賢母である君に深謝します。

やがて迎える終焉にあたり、君に残された人生を、いっそうの自愛のうえ、長男の家族、長女の家族と連携を密にし、悔いのないよう有意義に、そして可愛い孫たちと楽しく過ごしてほしい、と念願しています。

二人だけの生活になってから、いままで楽しませてくれた芸術的な生け花、舌鼓をうつ美味い食事、古家にもかかわらず整理整頓された部屋での爽快な生活、君が奏でるエンジェルハープの音色、数少なかったが楽しんだ二人旅、かつての家族旅行の思い出等々は、愛しい君の姿とともにいつまでも私の心の中に宿ります。

君のようなすばらしい人と結婚できて本当によかった。
多くの迷惑をお詫びしつつ、このささやかな感謝状を贈ります。
今まで本当にありがとう。
Kちゃんへ[2007年01月28日(Sun)]
Kちゃんへ


大好きなKちゃん、何してますか?

と言っても、いま昼の3時前だから営業まわってますね、きっと。車の運転気をつけて、でも避けられない事故もなかにはあるから、そういうニュースを聞くたび無事でありますようにと思うよ。

わたしはこのとおり、ラブレターを書いてるよ。「人生最高のラブレター」を募集しているのをKちゃんの日経から切り取っておいた。いまなら言葉にできるかなと思ってたんだけど、書き始めるとムズカシイ。出さないけど、Kちゃんに向けて書いてみようかなと思った。

わたしがいま、すごく思っていること書いてもいい?出さないから許可をとる必要はないか...ふふ。

最近ね、電話でKちゃんと話してる時とか、そっちに行ったり、うちに来てくれたりすると、ふと思うことがある。ふと思い付いて、ちょっと考えてしまうことがある。正直に言うよ。どうして、わざわざ別々のところに帰ってるんだろう?って思うの。

Kちゃんはどう思ってるのかな?

でもそんなこと言ったってむずかしいよね。もし、同じところに帰ろうとするんだったら、例えばわたしは親にいわなくちゃいけないしとか、現実的なことが山ほどあるし。ラブレターぽくなくなるから、ここでは言わないことにしますね。

Kちゃんは優しい人だね。時々わたしに「自分の時間がないんじゃないか」って言ってくれたりする。

でもねKちゃん、それは違うんですよ。そういうのを尊重してくれようとするのは、うれしいようでうれしくない。わたしは他の人が尊重してくれなくても、やりたいことがあったら、自分だけの時間くらいつくれるよ。

これまで、何回かそういう事を話す機会があったよな気がするけど、わたしの言いたいことは伝わってない気がする。説明するの、下手かなあ?わたしはKちゃんといる時が、どこで何してても一番楽しいの。

だから、いっしょにいる。いられることを前向きに考えて欲しい...っていうとちょっとまわりくどいね。

書き直す。正直に言えばいいんだ。わたしはKちゃんといっしょに暮らしたいんだよね。

ただ、何回か自分から言ってみようかなと考えたんだけど、やっぱり、やっぱり、それはKちゃんの口から聞きたい。もし、このまま時間がすぎるのなら、1日も早くと思います。

もし、わたしのことで考えてもらえるなら1つだけ。わたし、もう若くないヨ。

じゃあKちゃん、これからも仲良くしようね。



拝啓 御主人様[2006年12月19日(Tue)]
拝啓 御主人様

毎日お顔を拝見していながら、「お元気ですか」もないのですが、心身共にお健やかにお過ごしでしょうか。ここのところ毎晩ご機嫌麗しくご帰館のご様子を拝察し、心より嬉しく思っています。

若い頃はあなたの顔色に、すこぶる敏感に反応し一喜一憂し、それでも眉間に深い皺を刻んだニヒルなあなたの横顔を惚れ惚れとながめていたこともありましたっけ。

この頃はこの上なくだらしなく目尻を下げて笑っているあなたのお顔に、より愛着を覚えるようになりました。

せまい家の中で額をつき合わせて暮らしていれば、どちらかが不機嫌でも、それはたちまち家中に蔓延し、家の中の空気まで灰色にしてしまいます。私は一つ屋根の下に住む家族のみんなが、にこにこと機嫌よく暮らしていられるそんな家庭を築きたいと、今日まで手抜きしながらも努力してきたつもりです。私たち夫婦が仲良く手を携えて暮らしてゆくこと。それが家庭円満のもと。ひいては世界平和の基盤だと信じています。ちょっと大げさかしら。

早いもので、あなたと一緒になって三十一年目の春を迎えました。よくぞここまでもったものです。ひとえに私の辛抱強さの賜物と言いたいところですが、どちらかががまんすれば成り立つというものではなく、ここは百歩譲ってお互いの努力の賜物でしょうか。思えばこの三十年、山あり谷あり天国あり地獄ありの波乱に富んだ歳月でしたネ。大きな嵐に吹き飛ばされそうになったときも、奈落の底につき落とされたときも、ののしり合い傷つけ合いながらも決して別れることのなかった私たち。夫婦って一体何なのでしょう。

これからもどんな災難が私たちを待ち受けているのかわかりませんが、こんなに広い地球上の、こんなに多くの人の中から選ばれたたった一人の人であることを大切に、運命の赤い糸で結んで下さった神様に感謝して、いつまでも仲良く、恋人同志のような夫婦でいたいと願っています。



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