報告者:森山(NPO法人ライフリンク)
2007年11月15日(木)、徳島県徳島市。
透き通るような青空が広がる中、徳島県障害者交流プラザにて、
とくしま自殺対策シンポジウム(自死遺族支援全国キャラバンin徳島)が開催されました。
平日にもかかわらず、会場はほぼ満席で、約100人の方々が参加されました。
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まずはじめに、徳島県保健福祉部長三木さんより、徳島県知事のご挨拶の代読がありました。
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その後、清水康之さん(NPO法人ライフリンク代表)より、自死遺族支援全国キャラバンの主旨説明がありました。自殺対策の中で、自死遺族支援が立ち遅れているものであり、そのためにこのシンポジウムがあるということ、そして今回のシンポジウムも四国では初めてであるということが話されました。そして、1人90人あまりのかけがえのない人生を生きた方々が亡くなっているということで、自殺者は、「減る」ことは無く、毎年3万人以上新たに「増えている」いうことがお話されました。
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基調講演では、「自殺総合対策について」という題で、高橋広幸さん(内閣府自殺対策推進室参事官)がお話下さいました。
高橋さんは、自殺対策大綱のご説明と、現在の自殺対策の現状について、諸外国との比較などを通してご説明下さいました。
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次に、自死遺族の方の体験談として、大学生の竹村彰太郎さんがご自身の体験をお話して下さいました。
竹村さんは、中学3年生の時にお父さんを自死で亡くされ、お父さんが亡くなられた際の警察の対応についてや、ご遺族として経験してきた、その後についての辛い胸のうちを語って下さいました。
竹村さんは、中学3年生の時、学校から帰宅後、自宅で首をつって亡くなっているお父さんを発見。見つけた瞬間は、どうしていいかわからず、お母さんに連絡するのが精一杯で、連絡を受けたお母さんもパニックになっていまい、お母さんの友達に電話するのがやっとで、なんとか救急車を呼んでもらえたということをお話されました。
その時、お母さんがお父さんに付き添って病院に行った後、竹村氏は第一発見者だったがために、早く病院に行きたいのに、警察から現場の横で調書を取られ、それが苦しかったと当時のことを語られました。
そして、お葬式で友達の顔を見たとき、「お父さんが自殺して、それを発見もして、怖かった」と言いたかったのに、何も話せず、ただただ涙が出てきてしかたがなかった、とお話されました。「(自死を)言ってはいけない」と思っていたと当時を振り返り語って下さいました。
竹村さんは、お父さんが亡くなってから、不眠症になってしまい、たまに眠ってしまうと変わり果てたお父さんの姿を夢に見てしまったといいます。
どうしていいかわからず、お金も無いために付属の高校へも行けずに、やむなくいった高校に通っても楽しいと思えなかったという竹村さん。ご遺族となってから、周りの人たちから言われた言葉に傷ついた経験も語ってくださいました。
高校の家庭科の時間には、「父親とは」という課題を出され「高校も父親がいない人のことを考えてくれなかったんだ」と思ったということ、学校の健康診断で再検査になったときに、お母さんが働いていたため保護者同伴が必要な再検査にも一人でしかいけず、係の人に、「(保護者同伴と書かれている書類をさして)あなたはこの書類に書かれている日本語が読めないんですか?」と言われ傷ついたこと…。
そして、その高校も、お母さんが過労で倒れ、辞めざるをえなかったこと。16歳無職という時期を経験し、なんとか新しい高校に通えても、周りからは、「なぜ母子家庭の長男なのに働かないの?」と言われ苦しい思いをしたこと…。
「お父さんがいたら、そう言われないのに」と思ったこともあると言います。なんとか力がほしいと思い、1日十時間勉強して、今の大学を受験をしたといいます。大学生として存在する今の自分。「ここまでくるのはしんどかった」とお話されました。
「自殺率が低い県でも苦しんでいる人がいるのだということを、わかってほしい」
竹村さんは、力を込めて会場に語りかけました。
「お父さんの自殺は、ずっと人には言えなかったんです。でも、そんな中、お母さんを自殺でなくされた方と出会った。そして、話を聞いてくれる人がいれば、支えになるということを知った。学校の先生はそういう生徒がいるということを認識しなければならないし、行政の方には、どんなに自殺率が低いところでもそういった子がいるということを知ってほしい。そして、自分は、その子たちのために声をあげたいと思っています。」とお話されました。
竹村さんがお話されている間、会場は静まり返り、竹村さんのその言葉の一言一言を受け止めているようでした。
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休憩を挟んだ後には、「今 わたしたちにできること」という題で、シンポジウムが行われました。コーディネーターとして清水康之さん(NPO法人ライフリンク代表)、シンポジストとして近藤治郎さん(社会福祉法人徳島県自殺予防協会理事長)、杉本脩子さん(NPO法人ライフリンク自死遺族支援担当)、石元康仁さん(精神保健福祉センター所長)、そしてオブザーバーとして高橋広幸さん(内閣府自殺対策推進室参事官)が参加なさいました。
(左から、清水さん、近藤さん、杉本さん、石元さん、高橋さん)
まず、前述の竹村さんのお話を受けた上で、コーディネーターの清水さんから、お話がありました。
自死遺族の悲しみは、しばしば「サイレントグリーフ」(沈黙の悲しみ)と言われるということ。そのような中で、子ども達が声をあげて自分たちの経験を打ちあけてくれたけれども、まだまだご遺族は苦しんでいるということ。今まで、まわりの人たちが法律を作って、その中で有効な対策を…、と動いてきているので、ぜひ、会場の皆さんにも“参加”してほしい、と会場に呼びかけられました。
そして、シンポジストの方々に対して、徳島県の自殺の現状と、自死遺族支援についてどういったものが必要であり先進的なところはどうでしょうか、と問いかけられました。
このお話を受けて、石元さんから徳島県の精神保健福祉センターの業務内容と、徳島県の自殺の現状についてのお話がありました。徳島県は自殺率は低いけれども、毎年150人以上が亡くなっているわけでまったくいないわけではないということ、徳島県は糖尿病死が多いといわれているがそれよりも自殺の方が多いということ。
そして、自死遺族支援についてはできていないのが課題であるとお話がありました。
その中で、竹村さんのお話を聞いて、ご遺族の気持ちを知ることができ、接点が大切だと思ったということをお話され、「ヒントや情報をいただいたのでこれからゼロからの出発で頑張っていきたい」とお話がありました。
県内で自殺予防運動をなさっている近藤さんからは、まずご自身がなぜこのような支援の活動をはじめたか、というお話がありました。31年前に未遂女性と出会い、こんな哀しいことがあって良いのか?と思ったという近藤さん。30年前は、自殺の問題に耳を貸してくれる人はいなかったといいます。以来、奥様と二人で相談にのる日々を送られたものの、やればやるほど相談は増え、これは生涯をかけて、命をかけてやらねばと思ったとお話下さいました。
また、「困った人を支援することも大切だけれども、困る人を作る社会を変えることが大切で、これは社会運動として発展するべき活動です」とお話になられました。
そして、「3年ほど前に自死遺族の方の分かち合いの会を呼びかけたけれども、0人でした。しかし、これから・・・!」と締めくくられました。
杉本さんからは、ご遺族の分かち合いの会を運営されてきた経験からのお話がありました。ご遺族の悲嘆は、1人で解決するのは難しく、大切な人を亡くした上に周囲の方々の言葉によって二次的な心的外傷をおう場合もあるといいます。理解がないことによって、偏見がうまれ、苦しんでいるご遺族が多くいらっしゃる現実。
また、「悲しみを消す魔法はどこにもないんです」と杉本さんはおっしゃいました。「けれど、まっくらなトンネルにも必ず出口があります」とお話になられました。
現代社会は、充分に涙を流すことなど、ネガティブな感情を外に出すことが難しく、安心することができません。感情は、外に出さない限り変化はしない。社会の自殺に対する偏見もあり、話せない苦しみが遺族の方の孤立感・孤独感を深めてしまう…ということを、ご自身のご経験によりお話になりました。
そして、遺族支援には、3つのことが必要であるとお話になりました。1つめに、既存の人間関係の中での支援、2つめに、医師や臨床心理士などの専門職による支援、3つめに、当事者を含めた総合支援。いままでは、当事者のグループの存在が足りなかったとお話になられました。ご遺族の方同士がお互いの思いを語り合える場で、“仲間”がいることで気づくこともあるとお話になりました。
そして、高橋さんからは、自死遺児の子たちが声をあげたことでこの今の機運に結びついてきた、ということで、自分としては頭の下がる思いであり、敬意を表したいとお話がありました。 自死遺族支援では、行政とご遺族の接点がなかなか見つからないが、先行しているグループを参考にさせていただきながら、まずはそこからはじめたいとのお言葉がありました。
徳島でのこのキャラバンは、最後に、「行政・民間一体となってがんばっていきましょう」という司会者の方の言葉で締めくくられました。
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会場の後方には、「遺族語る」のパネルが設置され、多くの方々がひとつひとつのパネルをじっとご覧になられていました。
なお、徳島県でのキャラバン・キーワードは、『
話を聞いてくれる人がいることが生きる支えとなる』となりました。