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もはや遠くない協同労働法制化 [2011年09月12日(Mon)]

労協連法制化準備・推進部 島村 博さんが談話

 「協同労働の協同組合法」が成るのは、もはや遠くはありません。
 民主党内で法要綱案について合意が得られ、連合やワーカーズ・コレクティブ、日本労協連、市民会議に対するヒアリングも終了しています。最大の懸案は、労協で事業に従事する組合員は労働者なのか事業者であるのかということでしたが、労働者とすることへの異論はどこからも出なかったそうです。
 そして、野田内閣では、民主党内で法制化推進の軸になってこられた小宮山洋子氏が厚生労働大臣に就任しました。
 法案が確実に成立することがみこまれる今、私たちは何をなすべきでしょうか。
 法制化運動は、協同労働法を成立させるだけではなく、協同の思想を普及させることを目的としてきました。
人々に協同労働とは何かを伝え、協同の輪に加わるよう訴える。そのために必要なことは初心に立ち返って学び合い、言葉により説得し、実例により納得していただくことです。
 協同労働の協同組合は、これまでにない協同組合の仕組です。ICA(国際協同組合同盟)のアイデンティティ声明でも、働く組合員は念頭に置かれていません。
 働くこと、生きること、暮らすことに協同の思想を根付かせることを使命とする協同労働の法制化運動は、協同の思想を広める人類の栄光のための運動であると言って差し支えありません。この運動を固い決意をもって誇らかに進めていきましょう。  (9月5日)
(日本労協新聞 9月15日号)
生活保護自給者就労支援を静岡で [2011年08月30日(Tue)]

ワーカーズコープ静岡就労支援事業所は、8月1日から、静岡県からの委託で「生活保護受給者等求職・職業訓練支援事業」を開始しました。この事業は、生保受給者と住宅手当受給者の就労支援事業を一体的に遂行する、全国初の事業になります。
 浜松(西部)、静岡(中部)、沼津(東部)に拠点事務所を置き、全県約2000世帯を対象に、それぞれ4人のスタッフと1人の統括責任者で運営。
 期間は来年3月までですが、ワーカーズコープ静岡就労支援事業所は、事業の継続と同時に、地域での仕事おこしにも挑戦するために5月から基金訓練を開講。静岡では5人、浜松では8人が受講しています。
 自動車産業や製造業が多い静岡での事業所開所に、「就労支援に専門的な力量を持っているワーカーズコープ」(静岡県担当者)「全国規模の協同組合が静岡にもできた。仕事の場を一緒につくっていきたい」(静岡大学)などの期待が。
 また、「全国的に雇用状況が厳しい中での就労支援事業」という点から、7月30日の開所式の様子を地域のメディアでも大きく取り上げられ、注目を集めています。
民主党議員連盟がヒアリング [2011年08月22日(Mon)]

「協同労働の協同組合法」早期制定へ

7月29日に「再立ち上げ総会」を開いた「協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える民主党議員連盟」は、民主党としての法案要綱づくりを進めており、8月4日に連合、5日に日本労働者協同組合連合会とワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパンからの聞き取りを行いました。5日のヒアリングでは、石毛^子議連幹事長が「国会がどう動くかわからないが、会期中に方向性をきっちりと定められるようにしたい」と述べ、藤田憲彦事務局次長から「9月2日に民主党議連総会を開き、要綱案をとりまとめたい」との意向が示されました。

労働者協同組合連合会の永戸祐三理事長は「笹森さんがおられたら、法制化市民会議として一括して話していただくことになるのだろうが、今回はそれぞれの組織で思っていることを」と前置きし、労協連の歩みを紹介した後、次のように訴えました。
 「協同労働の協同組合法に私たちが重きを置くのは、労働を雇用関係の中にずっと閉塞させておくことがいいことなのか、と考えるからだ。
 雇用関係は、企業の中に労働者を巣籠もらせる。
 生活と地域に役立つ労働は雇用形態が一般的ではないはず。
 自由と平等と協力・協同の関係の中でしか、人々の生活と地域の支え合いはないわけだから、そこにある労働を自由な関係に解き放つことが必要だ。
 労使関係というより、協同で出資もし、経営もし、働くということの協同性に着目した労働を法制度でうたいあげてほしい」
 続いて島村博労協連副理事長(市民会議法制・国対幹事)が発言。
 「私たちが求め、実践してきた働き方は、自分たちで労働条件や労働の成果の配分を決め、事業・経営の評価等も決定する、というものだ。
 これを担保する仕組みは、働く者が出資し、同権的な立場で経営に参加することであり、それを可能とする協同組合組織に法人格を与えるべきだ。
 その際、法人である協同組合は、法の形式では使用者に当たる。その使用者と合意して働き、労働の対価を得る者は、労働基準法上の労働者となる」
 ワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパン(WNJ)の藤木千草事務局長はWNJの紹介をし、「法制化で目指す社会」について、「人々が主体的に出資をして働く場を、届け出だけで簡便に創出できるようにすることで、やりがいのある仕事を求める若い世代による起業、子育てや介護と両立しながら働くことなどが促進される。会社再建や農業の継続にも新たな可能性が生まれる。とりわけ、大震災の被災地では新しい働く場をつくっていかなければならない状況にあり、この法律がますます必要になっている」と述べました。
 この後、質問が出され、予定時間をオーバーして意見交換が続きました。
(日本労協新聞8月15日号より)
民主党議連再立ち上げ総会 [2011年08月02日(Tue)]

「協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える」民主党議連再立ち上げ総会が7月29日、衆議院議員会館で開かれました。


 協同労働の協同組合法案は昨年4月、超党派議員連盟(坂口力会長、221人)で要綱案が採択されましたが、各党で様々な意見が出て、作業が中断状態に。まず民主党内で合意しうる要綱案を作り、超党派議連での合意に向かおうと、再立ち上げ総会となりました。
 総会では、小宮山洋子厚生労働副大臣が「期待させながら遅れてしまい、申し訳なかった。大震災からの復興のためにも、今こそこういう働き方が求められている」と挨拶。
 各議員が決意表明。
 「協同労働法は新しい仕組みであり、検討すべき課題も多い。他党との協力も必要であり、議論を重ねて実現していきたい」(大島敦衆議院議員)
 「新しい働き方が多様に広がる中で、社会的な権利性を実現していくことはこの分野で努力を重ねてこられた方への政治からの応答であり、未来の社会を築いていく意味でも大きな意義がある」(石毛^子衆議院議員)
 来賓として日本労働者協同組合連合会の永戸祐三理事長とワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパンの宮野洋子代表が挨拶。永戸理事長は「東北の被災地では雇用する会社がない。働く者自身が自分たちで仕事をおこし、復興と地域再生に貢献する道をつくってほしい。また、若い人が就労経験もないままに生活保護になるような事態を克服するためにも法制化を」と訴えました。
 藤田憲彦衆議院議員が民主党の法案要綱案のポイントを説明。
 役員を決め、大島敦会長代行が「みなさんのご協力で成案を得たい」と挨拶。津田弥太郎副会長(参議院厚生労働委員長)が「協同労働は搾取なき社会をつくっていく意味合いがある。厳しい局面もしっかり見据えた上で理想を追求していきたい」と決意しました。
 役員(敬称略)
顧問 仙谷由人、小宮山洋子、城島光力
会長 空席
会長代行 大島敦
副会長 長浜博行、津田弥太郎、谷博之
幹事長 石毛^子
事務局長 大河原雅子
事務局次長 藤田憲彦
(日本労協新聞8月5日付より)
笹森会長とのお別れ [2011年07月21日(Thu)]

7月19日は、「協同労働の協同組合」法制化をめざす市民会議の笹森清会長のお別れの会と一般献花でした。
私は、お別れの会に報道として入らせていただきました。笹森会長とは、市民会議の会長に就任されてからのお付き合いなので、会場で流された若かりし日の笹森さんに新鮮さを覚えました。
お孫さんとの交流の話などをされるときの、にこやかな笹森さんの顔が忘れられませんが、この人は、小さいもの、弱いものに優しい人なのだなと思いました。

さて、お別れの会では協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える議員連盟の坂口力会長や森英介、田中康夫、阿部知子副会長なども列席されていました。
7月25日号の日本労協新聞には、坂口会長から笹森さんを悼んだメッセージを寄せていただきました。そこには、笹森さんと約束した協同労働法をまとめたい、とあります。

笹森会長の遺志である法制化をぜひともと、気持ちを新たにさせられました。
お別れの会の後、一般献花に並び直して、お別れをしてきました。
笹森さん、必ず力を貸してください。
あのとうふ工房が深谷七ツ梅に出店 [2011年07月12日(Tue)]

生協物流現場をリストラされた女性たちが、一念奮起して地場産の大豆を使った「とうふ工房」をつくって、17年。
こだわりのとうふをつくり、とうふづくりから出たおからをどうにかしたいと始めた配食。配食で地域を回る中で、高齢者支援が必要と感じデイサービスを開所。デイも地域に求められ、3カ所に増えた。
そんな、女性たちの活躍が昨年、多くのメディアを煮木合わせた。「リストラ主婦が年商3億円」という、驚きの見出しも躍った。
年商3億円の一歩となった深谷とうふ工房が、求められて深谷市の造り酒屋七ッ梅跡に出店。

町の活性化をと、立ち上げがった商店街の青年や地域の人たちが、その拠点にと、「七つ梅」の広い跡地を活用。すでに、深谷シネマ(ミニシアター)や地元の創作家たちの小箱ショップ、ウェブ編集部などを常設。毎週土曜日には、熊谷若者サポートステーションも出張相談を行っている。
そして、望まれてとうふ工房が6月27日に出店となった。
とうふ工房は、食育や耕作放棄地を使って菜の花を栽培し菜種油を搾るなどの取り組みを粉って来たが、ここで求められるのは、地域の人たちの交差点となる居場所、たまり場のやくわり。
人が集まるところは情報が集まる。そこに、新しい課題を見つけ、仕事おこしに結びつけていく。
深谷や熊谷などでは生活保護受給者の支援、若者支援なども行っているので、仕事おこしに必要性が増している。
七ッ梅が深谷の新しい絆を紡ぐ場になることを願ってやまない。
つながって支え合う [2011年06月19日(Sun)]

東日本大震災から3カ月が過ぎた。
長野や静岡などでも大きな地震があり、被災された方がいる。また、福島県の浜通を中心に余震が続き、被災されている方や現地に住まわれている方のことを思うと、心が痛む。

さて、協同労働の協同組合でも、岩手県、宮城県にある事業所などが大きな被害があり、また尊いを落とされた組合員もいるし、家族を亡くされた方もいる。福島では、未だ収束しない原発の見えない恐怖に怯えながらの仕事になる。

それでも、被災された地域労協、高齢者生協連合会、労協センター事業団で働く組合員には、支援物資が届けられ、清掃や緑化の仕事をしている組合員や介護職の組合員がボランティアで現地に赴き支援をした。また、仕事がストップされた現場にも給料が渡された。
仕事を失うのではなく、再建するという意気込みのもと取り組む組合員に、全国の仲間が集めた基金(社会連帯寄稿で義援金を集めている)から当座必要な資金や給料が供出されている。

仕事のあること、再建の目標があることが、どれだけ人を支えるか、全国の仲間の温かい声が、崩れ落ちそうになる心をどれほど優しく包むか。
ある組合員は、休職中の息子と2人の生活を、協同労働の協同組合の仕事で支えている。本当に助かっていると語っていた。
九死に一生を得た組合員に対する仲間の抱擁が、どれだけ人の暖かさを伝えるか、目の当たりにした。
仲間に給料を払わなければ、利用者に温かい食事を届けなければと、必死になって新しい注文をとり、ガレキの中お弁当を届け、地域の復興のために地産地消を心がけている仲間たちが、TVに取り上げられた。

多くの組合員が労協で働いていて良かったといっていた。それは、被災した組合員だけでなく、何かしたいがどうすればいいのかともがいていた組合員が、労協を通じてモノを届け、労働を届け、温かいメッセージを届けることができた。「TVで見ているだけで何も出来ない」という思いで一杯だった高齢者、子どもたち、その家族が、労協の組合員に呼びかけられることで、支援することが出来た。

「労協で働いていてよかった」と、多くの人が口にしていた。
協同労働の大切さが、社会に示される震災復興・再生になると思う。
市民会議の笹森会長逝去 [2011年06月16日(Thu)]

2007年から、「協同労働の協同組合」法制化をめざす市民会議の会長に就任し、全国各地の市民集会に参加、協同労働で働く現場の人たちと交流しながら、協同労働の協同組合を深く理解し、必要性や可能性の大きさに揺るぎない思いをもたれていた、笹森清会長(中央労福協会長)が6月4日未明に逝去された。
集会や国会などへ同伴するうちにいろいろとお話をするようになって、とても親しみを感じていた笹森さんの死は、伏流水のような喪失感をもたらしている。個人的には、亡くなる2日前くらいに、笹森さんの夢を見た。いつもの笑顔で「お、いたな」と声を掛けてくれ、いろいろ話した後、姿勢のいい伸びやかな身体で大きく手を振って私とは違う道を進んで行かれた。入院したと聞いていたので、私の中でかすかな予感が働いたのだと思うが、わざわざ私のような者までにも別れの挨拶に来てくれたのだろうと、思うことにしている。
心からご冥福をお祈りしたい。

協同労働法制化運動だけでなく、反貧困の取り組み、大震災での地域の復興への市民の活躍の場を保障する運動にも大きな損失となると思う。残念でならない。


市民会議会長代行の永戸祐三労協連理事長の追悼の言葉を紹介したい。

あ、笹森です。今度の総会にはいつ行けばいいの」
これが携帯で直接お聞きした最後の言葉でした。
「一日目冒頭でお話ししていただきたい」
それから数日して本部事務局に「入院することになったので総会には参加できない」旨、連絡が入ったとのことだった。

なにか今もって現実感を持てないまま笹森さんの死を受け止めている。
いや、受け止めきれないままでいるといっていいかもしれない。
 思い起こせば、法制化市民会議の代表(会長)を受けて欲しいという要請にこたえてくれたのは、2007年の6月だったかと思う。
「受けた以上は2年以内に法律を作りきる」と力強く宣言していただき、全国の仲間はその一言に奮い立ち法制化への取り組みを大きく発展させることになった。

地方議会の法制定促進決議も800議会を超え、国会の超党派議連も200人以上をずっと維持し、議論を深めていただいた。
国会で最終的に法律としていまだ成立させていただいていないが、実際には全国的に協同労働は、協同労働の協同組合はこの社会に必要なものであるとの認知が大きく進み、実体の取り組みが日々大きく発展している。
 これは笹森さんの法制化の取り組みを通じた、全国の仲間への限りない励ましがあってのことだと確信するし、心から感謝してもいる。
笹森さんは法制化市民会議の会長を受けていただいたその時から、全国のどんな小さな集会にも顔を出していただき、現場をまわっていただいた。
その中から、一段と協同労働への思いを深めていかれたように思う。
 こういう姿こそ、大衆運動のトップリーダーのあり方だと、私は心から敬意を感じ続けていた。

法制化へ今一歩という時。
震災からの復興がまだまだ
これからという時。
原発の事故収束がいまだみてないこの時。
何よりも安定しない政治の状況。
心に残ること、いっぱいの中で命の終わりを迎えられたこと。
 「無念」の一言かもしれません。
 「やれることは、やったよ」とおっしゃるかもしれない。

 いずれにせよ、やさしく相手の気持ちを慮りつつ、笑顔で話してくれたあの姿をもう見ることはできない。

 笹森さん。ほんとうに、ありがとうございました。お別れなのですか。ほんとに。

語り合った日本社会の未来への運動のあり方、その一歩を踏み出そうといっていた笹森さんとの話の続きを自問しながら、お別れします。

さようなら。ほんとうに心の底からありがとうございました。
            2011年6月10日
日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会
              理事長 永戸祐三
宮城県大崎市で再生可能エネルギーを [2011年05月13日(Fri)]

宮城県大崎市でJAみどりのとみやぎ生協、協同労働の協同組合のセンター事業団大崎バイオマス事業所あぐりーんみやぎが、協同組合間協同でBDF(バイオディーゼル燃料)事業を7月から始める。
現在、JAみどりのの土地にセンター事業団がBDF精製プラントを農林水産省の補助金を得て建設中。地震で遅れたが、5月中には完成、試験運転にはいる。
みやぎ生協の店舗や組合員の家庭で出た廃食油を集め、それとあぐりーんみやぎが地域と協力して育てた菜種の2番、3番搾りの油を混ぜて、BDFを精製し、販売していく。出来れば、農業機械や漁船など、第一次産業の場にディーゼル燃料を使って欲しい。

写真はあぐりーんみやぎの皆さんとBDFのプラント。ちなみにあぐりーんはアグリカルチャー(農業)とグリーン(緑)をからの造語。

廃食油の利用はゴミの削減に、菜種油の利用はカーボンニュートラルになり、環境保護になる。
東日本大震災の災、ガソリンの供給不足に陥ったが、日本労働者協同組合連合会は成田で精製したBDFで走るトラックを使用し、東北に支援物資を運んだ。
今回オール電化の家が地震で停電になった時や、計画停電で全く使いものにならなかったことが明らかになった。
エネルギーも選択肢がたくさんあった方がいいと言うことを、大震災で学んだ。
車もガソリンだけでなく、BDFなど、多様なエネルギーで走ることが必要だ。それも、電気や水素電池のように、大きな資本や難しい技術が必要なものだけでなく、市民がつくれるエネルギーで走ることが。

協同労働法が出来て、市民が未来を考えたエネルギー産業に足を踏み出せたら、いいと思う。
連休に仲間が石巻でガレキ撤去 [2011年05月06日(Fri)]

協同労働の協同組合のひとつが石巻市にある。石巻中高年事業団は、デイサービスのはまかぜの家以外、事務所も機材も流されてしまった。水が引いた後、事務所にいった仲間が見つけたのは草刈り機の鎌だけ。この鎌を復興の心の支えにしようと、誓ったという。

そのような石巻事業団のもとへ、兵庫県の協同労働労働の協同組合の仲間、神戸労協 、兵庫高齢協 、宝塚事業団の方が、連休中にパッカー車やシャベルカーなどを持って行って、ガレキ撤去作業をボランティアで行った。

持って行ったパッカー車(ゴミ収集車)にゴミをまとめる仲間たち。


こちらは、シャベルカーでヘドロのところを掘り返して、ゴミをとりやすくしているところ。
仲間の皆さんは、最初は被害のひどさにあっけにとられたようですが、少しずつ片付けていって、だいぶきれいになったようです。来てくれること、仲間として一緒にいてくれることが何よりの励みになるようです。
兵庫の仲間も自分たちの被災したときの経験があるから、他の人たちよりも気持ちを理解しながら復興支援ができるかもしれません。

石巻は連休中、たくさんの支援関係の車などで渋滞が発生し、死亡事故も起こったようです。
皆さん、安全第一で支援しましょうね。
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