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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
 地域で役割を担い、ふつうに生きる。。。
 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


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障がい者という言葉を使わなくて済む社会になればいいな [2022年08月31日(Wed)]

先日、こちらの記事を 目にしました。

「 障害者政策、改善勧告へ 国連、初の日本審査終了 」
 (2022年8月23日付け:共同通信)

日本が締結している「障害者権利条約」の
国連による
日本政府に対する2日間の審議が終了し、
改善すべき点について
来月中旬までに「勧告」が出される見通しである
と いうものでした。

改善すべき点 とは、
障がいのある子を他の子どもと分ける特別支援教育や
精神科医療の強制入院など、
国際的に遅れが見られる分野、とありました。

この「障害者権利条約」を
日本が締結したのは2014年。

条約締結後、今回初めて審査が行われた、と。

その初めての審査で「勧告」。

ただ「勧告」に拘束力はなく、
政府は どこまで これを尊重するか、
その対応が問われています。

そして 国連の権利委員会委員からは
特別支援学校・学級に通う子が増えている
日本の状況を
疑問視する声が相次いでいた、とありました。


世界からみた日本への
この「勧告」は、至極真っ当です。

これまで 国内からも
今回の「勧告」に近い提言がありました。

日本がどのような反応をするか、
目が離せません。





2010年9月1日、わたしは
“ 障がい者という言葉を
使わなくて済む社会になればいいな ” という
素朴な思いから 拙ブログを始めました。

記したことを、日々
これほどたくさんのひとに読んでもらえるなんて
思ってもみませんでした。

“ 障がい者という言葉を
使わなくて済む社会になればいいな ” と いう
共感するひとがそれだけいるのかしら と思いながら
記し続けました。

そう遠くない未来に
「日本には、昔、障がい者と呼ばれるひとがいました」
と 書かれた教科書を
学校で子どもたちが手にしながら
「障がい者ってどんなひとたちだったの?」
と いう質問に
車いすを使う教員や全盲の教員が
教壇上で教えている日が来る、と
わたしは 思っています。

思うのではなく
願うのではなく
可能にする
可能になる。

そう 確かめながら、
12年間 記し続けた「きょうの福祉」の幕を
今日で 閉じます。

「きょうの福祉」を読んでくださった皆さん、
ありがとうございました。

最後に、この場をつくってくださった
日本財団 CANPAN FIELDS、
運営事務局の皆さん、
ありがとうございました。


















[2022年08月24日(Wed)]


日々さまざまな制限があるなかで、
「やれること」が減った という声を
耳にしました。

「やれること」。

やれることをやるということは大事なこと
ですが、
やれることをやるをやれるひとは
実は少ない ということを
この3年、思うようになりました。

「やれることは いつでもやれる」。

そんな思いも大きく打ち砕かれたり、
やれることをはじめたところで
やれることを続けることが難しい
と 身に沁みたり。


でも、どんなときも
「やれることをやるだけのこと」なのかも。


「やれること」を「やる」。

これは、何時にも変わらないことだと
あらためて気付き、
もう、本当に「やりたい」なら
それを今すぐに「やる」しかない。

これは、
生きていくうえで
日々暮らしていくうえで
大きな “ コツ(骨)” かもしれません。


「 やれること 」を 思いつくことが、
まず「 やれること 」 です。


















楕円   [2022年08月18日(Thu)]


9年前に掲載された、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムの
こちらの文章を 思い出して。

―― いつごろからだったか、
 楕円のイメージで、
 いろんなことを考えるようになった。
 楕円というものの、数学的な定義はよく知らないが、
 中心軸が2つある円というくらいに思っている。

  (中略)

 中心が2つあると、きれいな楕円になる。
 これは、こどもゴコロに、うれしい発見だったっけ。

 社会に出てから、いろんな場面で、
 人々が、中心1つの円の構造を思い浮かべて
 いろんなことをイメージしていることがわかる。

 モノゴトに、起点となるような原因があって、 
 それが拡大していくと、円がどんどん大きくなる、
 というようなイメージで、
 いろんなことが話されている。
 これ、ややこしい言い方をすれば、
 同心円的拡大ということになる。

 中心がひとつ、というのは、
 まとまりがよくて、確固としていて、安心感がある。
 大きな宗教でも、
 イエスというひとりを中心としてキリスト教があり、
 ゴータマ・シッタルダというひとりを中心に仏教が、
 マホメッドというひとりを中心に、イスラム教がある。
 会社では、創業者がひとりいて、
 それを中心にして成長していく。
 そんなふうに、イメージが形成されているものだ。

 でもね、よくよく調べてみるとわかるのだけれど、
 必ず、「もうひとり」の存在があるんだよね。
 ヒトラーにとってのゲッペルスであるとか、
 井深大にとっての盛田昭夫であるとか、
 ホームズにとってのワトソンとか、
 有名な「ふたつの中心」の例もあるけれど、
 そうでない例もたくさんあるように思われている。
 しかし、一見、たったひとりを
 中心としているように見える場合も、
 知られていない「もうひとり」という中心が、
 うまくいった組織には必ずあったのではないかと、
 ぼくは思っている。

  (中略)

 同心円的な広がりというのは、腐りやすい。
 一気に、大きくなるには、都合がいいのかもしれないが、
 円が閉じやすいために、
 外部の変化と関係なくなってしまうのだ。

 1つの中心でなく、2つの中心を持つ楕円は、
 もともとが、一枚岩でない。
 中心どうしが、別々なのだから、
 ひとつの考えや動機が広がっていくわけではない。

 人間の社会だって、実は楕円構造だ。
 男がいて、女がいる。
 世界という楕円は、もともと男と女という
 2つの中心をもった楕円なのだとも言える。
 男女がひとつになってしまったら、
 おそらく、世界は一気に発展して、腐って死ぬだろう。

 ぼくは、いつも、楕円の構造を意識して動いてきた。
 とにかく、いつも中心をひとつにしないようにしてきた。
 円になったら腐るぞ、と、自分に言い聞かせていた。
 ほんとうは、中心をひとつにして、
 円を描くようにしていたほうが、
 無駄なことをしなくていいのだと思っても、
 もうひとつ、たがいに邪魔になるような中心を、
 探してでも持つようにしてきた。

 京都に自宅を引っ越そうか、ということも、
 地域的な中心点を
 ふたつにしようとしているのかもしれないし、
 家庭と仕事という楕円をイメージしているのかもしれない。

 詳しくはわからないし、
 それぞれに事情もちがうのだろうけれど、
 自宅にひきこもっている人たちというのも、
 もしかしたら、ひきこもる場所を2ヶ所にしたら、
 何かが大きく変わるんじゃないかなぁとも思うのだ。

 会社がおもしろくない人は、
 もうひとつの仕事をタダでもいいからと
 はじめてみると
 もうひとつのいい楕円をつくるきっかけになりそう。
 男女の関係が息苦しくなったりすると、
 犬や猫を飼いはじめるのも、
 無意識で楕円をつくろうとしているのかもしれないよ。

 とにかく、一色はいかん。
 純粋とか、たったひとつの中心を信じるとかはいかん。
 というのは、ぼくのたったひとつでない信念さ。――




「 中心をひとつにしないように 」、うんうん。

「 円になったら腐るぞ 」、ホントそうです。

「 もうひとつ、
たがいに邪魔になるような中心を探して持つ 」、なるほど。

「 会社がおもしろくない人は、
もうひとつの仕事を タダでもいいからはじめてみる 」、
地味に 実践しています。


まあるい円は、一見
見栄えがよくて 良さそうに思われますが、
そうじゃないとうなずくひとが
意外に 多くて。

「 あたりまえ 」や「 きれいごと 」に
流されることを食い止める力も、
楕円には あります。

自分のいる “ 場 ” について
今一度、考えてみてください。

そこは「 楕円 」してますか。

“ 楕円 ” しましょうよ。

















心理的安全性  [2022年08月11日(Thu)]

「心理的安全性」ということばを
先日、耳にしました。

「心理的安全性」とは、
他者からの反応におびえたり
羞恥心を感じたりすることなく、
自然体の自分を
さらけ出せることができる状態を意味します。

「 心理的安全性は成功するチームの構築に
最も重要なものである 」と、
米グーグル社が 2015年に発表したことで注目を集め、
多くの企業が 関心を寄せています。


「心理的安全性」は、
「 チームにおいて、他のメンバーが
自分が発言することを恥じたり
拒絶したり、罰を与えるようなことをしないという
確信をもっている状態であり、
安全な場所であるとメンバー間で共有された状態 」
と、定義されています。

上司に恫喝されたり
同僚に無視されたりなどを
ハラスメントとしてオープンにできる社会へ寄与した、と。

そこから、穏やかな雰囲気がある職場は
「心理的安全性が高い」とされるようになりました。


「心理的安全性」がチームにもたらすメリットとして、
チームメンバーのパフォーマンス向上、
イノベーションや改善の推進、
質の高いエンプロイー・エクスペリエンスの提供、があり。

「心理的安全性」が高い職場をつくるメリットは
情報やアイデアの共有が盛んになる、
ポテンシャルの向上、
目指すビジョンが明確になる、
エンゲージメントの向上、とあり。

「心理的安全性」が高い職場は、
各自が安心して
自分の考えを自由に発言したり行動に移したりでき、
そこから、その場で働くひとびと個々の
パフォーマンスの向上やストレス緩和など、
スキルやメンタルヘルスの面での利点と
エンゲージメントの向上など
多くのメリットを
生み出すことができる、と。


記しながら連想したことがあります、それは
組織風土、安全衛生、福利厚生。

それらは
どの「職場」にも あてはまるもので、
必要なことであり、
悪しきことがあれば 変えなければならないこと。

障がいのあるひとが働く場にも言えることです。


「心理的安全性」を
働く職員に だけなく、
働く障がいのあるひとに 適応させていますか。

無知だと思われる不安、
無能だと思われる不安、
邪魔をしていると思われる不安、
ネガティブだと思われる不安。

「心理的安全性が低い」と起こる
これらの行動特徴が、
もしや そこに 在りませんか。


「穏やかな雰囲気のある職場」も
「心理的安全性の高さを意識した職場づくり」も
障がいのあるなしにかかわらず、存在すべきこと。

このような「あたりまえ」を
知らないひとが周りにいたら、
教えてあげてください。

絶対に。












ケイヨウの写真館 [2022年08月04日(Thu)]

満を持して、今日はこちらの紹介です。

6才になる年に覚えた
「 しゃしんをとること 」。

13才で 初個展、以来
個展や企画展、フォトコンテストなどに多数参加。

現在も
京都市内の福祉事業所に通所するかたわら、
日常の風景を撮る。

そのひとの名は、
中田啓瑛(なかたけいよう)さん。

ダウン症のある という冠の必要がない
アーチストです。

その 中田啓瑛さんの個展が 開催されます。


断片的記憶のあるストーリー.jpg


         ケイヨウの写真館 
         19 to 20 years old
      〜 断片的記憶のあるストーリー 〜

 場 所:同時代ギャラリー
      コラージュプリュス
     京都市中京区三条通御幸町東入弁慶石町56
     1928ビル2階
     https://www.dohjidai.com/gallery/

 会 期:2022年 8月9日(火) 〜 21日(日)
       12時〜19時
       【 最終日は17時まで、月曜休廊 】

 Photographer:中田啓瑛
 Planning producer:中田千代



―― 突然失われた日常
  あるべきはずのものが
  突然無くなってしまった
  それでも残しておいた 
  こんな瞬間や日々もあった ――
   ( 同時代ギャラリーHP内 紹介より )

“ 同時代性をキーワードに、
完成の無い「ギャラリー」という空間で、
同時代を生きる表現者たちとともに、
社会の有り様や生き方を問う ”というコンセプトが光る
同時代ギャラリーでの個展は、
今回が 6回目。

これまでに開催された個展におじゃまするたびに、
温かさと
ゆるやかな時間の流れを感じ、
また「逢いたい」という思いに駆られていました。

これは、
彼の撮った写真 はもちろんのこと、
彼をサポートし続けるお母さまの姿勢、
その時々に彼の周りでサポートするひとびとの思いが
あってのことだと思えてなりません。


二人三脚で歩みながら、
その日常を
なにげない日常を
さりげなく思いのままに切り取った
風景や人物の数々。

個展だけなく、
写真家とのコラボ展も開催されている
啓瑛さんの世界を
ぜひ、自分の目で確かめてみてください。

それはきっと、素敵な時間になると思います。














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