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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
 地域で役割を担い、ふつうに生きる。。。
 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


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「今出来ること」という一人ひとりの小さな道が一緒になって大きな道へ
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コロナ禍からの教訓  [2021年06月28日(Mon)]


福祉の先進国として有名な国に
フィンランドがあります。

「高齢のひとができるだけ長く自宅で暮らせる環境をつくる」

フィンランドが
目標としていることは
これだと聞いたことがあります。

自宅介護も含めた
さまざまな公的サービスを提供し、
自立した高齢のひとの生活を支援。

健康管理はもちろん
趣味などの関心事にも応える
地域アクティビティの充実、
家事や身の周りのサポートに加えて
身近に家族や友人がいないひと向けの
“ お友達制度 ”まであるそうです。

フィンランドでは 子育てが終わったら、
巣立った子も親も
互いに独立した成人同士 という立ち位置で、
互いのファミリーの在り方を
第一に考えます。

障がいのあるひとは、
自分の意思で
暮らし方を選び
独立できる環境が整っています。

子たちは、
自らの生活を第一にでき、
親の介護に縛られるということがない
環境があたりまえ だとか。

国民一人ひとりの暮らしを支える財源は
フィンランド国民が負担する税金です。

ご存知のように
その税率は高いですが、
生活が保障されていると実感できること、
そして、税金がちゃんと使われているかを
納税者がしっかり監視する国であること により
存続できています。

それらの根底には、国民一人ひとりが
「 人権 」「 平等 」を
常に 意識していることが大きい、と。



十数年前から、日本でよく聞かれるようになった
「 まちづくり 」という言葉。

わたしが住むまちでも
「 まちづくり 」を盛んに謳い、
さまざまな取り組みが成されています。

が、そのどれもが
このコロナ禍で「 停滞 」しています。

「コロナ禍で停滞する まちづくりってどうなのよ」。

コロナ禍だからこそ、
これまで積み重ねてきた「まちづくり」が
活きていないと
活きてこないと、と思いませんか。

フィンランドでは、コロナ禍でも
物事の本質を見失わず
自由を束縛されることなく、
不便さがあったとしても
その不便さを超える
満足感や自由をかみしめながら
ひとびとは 生活しているそうです。



コロナ禍からの教訓として
見えてきたことがあると思います。

それぞれの立場で まとめていますか。

それを形へと 考えてみませんか。


「 負を 負で 終わらせない 」と
意気のあるひとが 想像以上に多いんじゃないかな
と 感じる、2021年 水無月 です。













自立ノイミ  [2021年06月22日(Tue)]



自分で 起きて
自分で 着替え
自分で 顔を洗い
朝食を食べて 歯を磨き
支度をして 学校や仕事場へ行き、
帰ってきたら
自分で うがい・手洗いをして
自分で 次の日の準備をする。

これらを「 自立 」と呼ぶことがあります。

小さい頃から
親が繰り返し教えて身につけたことを
自動的にやることを
「 自立 」と呼ぶことがあります。

それが 自立、ん、ちがうなぁ。

「 自分がやりたいことを、自分で見つけてやれる」
ことが「 自立 」ではないか。


障がいのあるひとにとって、
「 自分がやりたいことを、自分で見つけてやる 」
ことは、容易なことではありません。

成人したひとが
その時点から自立する、と聞いた際には
今さらそんなことを言われても、と
思うひとが たくさんいると思います。


以前 聞いた
ある児童精神科医の言葉を 思い出しました。

「 “ 選択の機会 ” が “ 自立 ” につながり、
“ 自由を好む気持ち ” が 自立をもたらします 」。

よく考えてみると、
身辺自立をしていないひとでも
“ 自立した生き方 ” をしているひとはいますね。

「 身辺自立 」と「 自立 」は 本質的には別のこと
だとすれば、身辺自立と同時に
「 自立 」に向けたこと、
「 自分がやりたいことをやる」ために必要なことへ
目を向けることのほうが
はるかに必要で、
充実した日々を送れる、と。

障がいのある子たちは もちろん、
成人した障がいのあるひとも
「 自分がやりたいことを、自分で見つけてやれる 」
という視点で、日々の生活を見直してみると
今まで気付かなかったことが 見えてきます。


何歳であっても、何歳になっても、
ひとは変われる、成長できる。

そう 耳にするたびに言いたい、
「 障がいのあるひとも同じですよ 」。

必要な支援を
年齢を加齢を理由に はぐらかすひとへ
この思いが 届きますように。















あたりまえの公共政策  [2021年06月16日(Wed)]


身体、知的、精神に障がいのあるひとが
各自治体発行の障がい者手帳によって、
JR、私鉄、高速道路、
飛行機、タクシー、高速バスなどの利用料金が
割引になることがあります。

しかし、それらを利用する場合は
その度に 障がい者手帳を見せなければならず、
場合によっては
手帳の中をあらためられることも
少なくありません。

その度に 時間を要することはもちろんのこと、
手帳の中のページを見られることで
障がいや病名などの個人情報を知られることに
抵抗を感じるひとも
少なくありませんでした。

そのような中で、
障がいのあるひとが
公共交通機関などの運賃の割引を
ICカードで受けられるようになるというニュースを
目にしました。


関東地方など69の
鉄道やバスの事業者でつくる協議会は、
Suica や PASMO を使う場合
障がい者手帳を見せなくても割引を受けられる
サービスを 発表、
開始は 来年度後半からで
関東地方では これが初めて、と ありました。

JR東日本と 小田急電鉄の社長が
国土交通省大臣に サービスの内容を説明した際、
「 健常者が受けられるサービスは
障害者も 同じように受けられるよう、
あたりまえの公共政策をやっていただきたい 」と
国土交通省大臣が話した、と ありました。



関西では、すでに 上記のような
交通系のICカードサービスはありますし、
2020東京オリンピックパラリンピックを
予定していたにもかかわらず
このような利便性が
関東で整えられていなかったことに驚きました。

ちなみに、関西では
岡山や静岡を含めた 63の鉄道・バス事業者で
構成されている スルッとKANSAI協議会 が
「 スルッとKANSAI・特別割引用ICカード 」を
発行しています。

身体障がい者手帳、療育手帳の
第1種を持っているひとが利用可で、
本人と介護者、大人用とこども用がありますが、
本人だけの単独利用ができないなどの
注意点も あります。


障がいのあるひとが
健常と呼ばれるひとと同じように
交通機関を利用できる社会とは
まだまだ言えない日本ですが、
困っている現況を
利用しづらい状況を
声に出し続けないことには 変わらない。

きっと、この
「 Suica や PASMO で障害者割引
関東など 来年度後半開始 」に至るには、
多くのひとの声があったその上に
実現へ尽力したひとびとが
あってのこと と思います。

先の ニュースにあった
「 健常者が受けられるサービスは
障害者も同じように受けられるよう、
当たり前の公共政策をやる 」ことが本意ならば、
障がいのあるひとが必要としている
さまざまなことが、
スピード感をもって変わっている と
思えてなりません。




* スルッとKANSAI・特別割引用ICカード
https://www.surutto.com/tkwric/











未来はここから  [2021年06月10日(Thu)]


昨年春、拙ブログ「描き、続ける」 で紹介した
ヘラルボニーさん。

ヘラルボニーさんのホームページを見ると、
まず目に飛び込んでくる言葉が
「 異彩を、放て。」。

そして続く、
「 アソブ、フクシ」。
1. 福祉領域を、拡張しよう。
2. 多者の視点で、思考しよう。
3. クリエイティブに、はみだそう。

と、今まで受けていた福祉のイメージとはちがう
新鮮な思いが詰まっている
“ 株式会社 ” です。

福祉業界の中には
このような取り組みを
ケムタガルひとがいることも事実ですが、
一つひとつを丁寧に進めている
ヘラルボニーさんの姿を知ってもらえば、
これからに期待するひとが増えると思っています。

そのヘラルボニーさんが、
先月下旬、テレビ朝日「報道ステーション」で
特集されました。

“「怒りの矛先は社会」
障害のある作家のアートを「ビジネス」に
双子の兄弟が描く未来 ” と題した 特集映像が、
完全版として 観ることができます。





障がいのあるアーティストの作品のなかには、
今年4月に盛岡市内にオープンした
HERALBONY GALLERYで6月13日迄開催中の
『 木村全彦展 』
アトリエやっほぅ!! 所属 )の様子が冒頭に。

ヘラルボニーさんの今に至る活動の説明、
そして、ヘラルボニーを立ち上げた双子のご兄弟
松田崇弥さん 文登さんの
4歳上の兄 翔太さんの存在。

ビジネスの原点は 兄の翔太さんで、
自閉症のある兄に対しての
無意識な偏見を
幼い頃から感じて生きてきた
崇弥さん 文登さん の思い。


「 障がい者 というものになった途端に
その枠の中でしか 生きていけないとか、
その枠からはみ出した時に
他のひとから手が差し伸べられる環境が
まだまだ少ない 」。

「 生活の中で ひたすら描いた作品。
一人ひとりのアーティストと信頼関係を築き、
創作の場に立ち会う 」。

「 知的に障がいのあるからこそ
描ける世界がある、できる仕事がある」。

「 福祉領域というのは もっと拡張できる」。

「 支援、貢献ということばに 逃げないことが大切」。

と、心に残ることばが 其処此処に。

そして、一番心に響いたことは、
「 ぼくがいつもいやだなぁと思うことがあります。
それは デパートやレストランに行った時に
お兄ちゃんのことをじろじろ見るひとがいます。
小さい子が お兄ちゃんのことを変な人あと言います。
こう言うときに いつも思うことがあります。
「 障がい者だって 同じ人間なのに 」。」と
文登さんが 小学4年生の時に書いた作文。
そして、
22分を過ぎたところから最後にかけて
文登さんが語っていること、
「 社会側に「障がい」=「何もできないひとたち」
というものが当たり前のように存在することによって
そのような(差別する)言葉が生まれている。
アートというリスペクトが生まれてくる世界との出会いを
つくっていくことで、
それを親が知ったのであれば
子どもに対して
障がいのあるひとの伝え方が変わるのかもしれない。
それが伝わった子どもが育っていった時、
友人たちと障がいのあるひとと出会った時に
接し方が変わっていくのかもしれないし、
すべてはつながっていくことだと思っているので、
このヘラルボニーを
ちゃんと認知度を広げていって、
優しい世界になっていったらいいなと思っています」。



思いを そのままで終わらせることなく、
社会の課題をビジネスから解決しようとする
おふたりの思いに、
胸を締めつけられる思いがしました。

「 障がい者ではなく、〇〇さんと呼ばれる未来へ」。

その未来をつくるのは、
まぎれもない
わたしたち一人ひとりです。





*株式会社 ヘラルボニー(HERALBONY Co.,Ltd.)
岩手県花巻市東宮野目1地割2番地
http://www.heralbony.jp












なめられない受け手  [2021年06月04日(Fri)]


過日、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムで
このような文章を 目にしました。


――このところずっと、と言っても
 もう20年以上になるかもしれないが、
 「送り手」以上に「受け手」が大事だと考えている。
 「以上に」とあえて言うのは、ほんとうはちがうのだが
 とにかく「受け手=受信力」が大事だと言いたいのだ。
 どんな表現であれ、どんなことばであれ、
 どんな気持ちであれ、どんな教えであれ、
 どんなサインであれ、どんな情報であれ、
 「受け手(キャッチャー)」がいなかったら、
 なんにもなかったことになって消えてしまう。
 千年にひとつというほどの研ぎ澄まされた発信でも、
 だれにも受けとめられなければ、意味も価値もない。
 なにかのかたちで残っていれば「受け手」が見つかるが
 見つけた者がそれをクズだと思って捨ててしまえば、
 結局は、なににもならなかったことになる。 

 いまの時代、人びとは精一杯に口を達者にして、
 正しそうなことをしゃべろうとしている。
 しかし、口の前に育てるべきは、ほんとうは、
 聴くための耳であり、じっと見るための目なのだ。
 どちらも、「受け手」としての力の元になるからだ。
 なめられない「受け手」がたくさん育つことで、
 そこから「送り手」が生まれ出てくる。
 さらに、「送り手」の「送りもの」が理解されて、
 もっといいものが豊かに増えていくことになる。
 「受け手」のいないところには、なにも育たない。
 土も水のないところで種は芽を出せないように。

 たとえば「教える」は「学ぶ」が育てるものだろう。

 「いい歌だねぇ」とたくさんの人が聴けば、
 つまり「いい歌」をわかる人がたくさんいれば、
 それを「歌ってみたい」と思う人が現れてくるし、
 「いい歌を歌う人」が育っていくことになるだろう。
 すごく深く理解している必要はないのだと思う。
 「受け手」には、資格や試験はたぶんいらないわけで、
 できるだけでいいから「人を敬おうとする」ことと、 
 「うれしくなりたい」気持ちがあればたぶんオッケー。
 「受け手」が、地に満ちますように。 ――




対面で話すことが少なくなった今、
画面を介して
ここにいないひとの話を受けることが
増えました、会社でも学校でも。

一方的に話されても、
聴く側によってその話は
0にも100にもなります。

聴くための耳を育て、
じっと見るための目を育てることによって
送り手と受け手は活きる。

聴く、見る、そして考える。

そんな当たり前に思えることの “ 質 ” が
コロナ禍の社会になって
落ちてきているように思えてなりません。

じゃあ どうすればよいのでしょうか。

思うにそれは
「 聴く力 」を付けること、
「 なめられない受け手 」がたくさん育つこと、かと。

「 受け手 」がいなかったら、
何にもなかったことになって消えてしまうし、
研ぎ澄まされた発信でも
誰にも受けとめられなければ意味も価値もないし、
見つけたひとがいたとしても
そのひとが「 受け手 」として機能しないひとならば
何もないことに なかったことに
なってしまうのだから。

皆さんは 自身が
「 なめられない受け手 」だと思いますか。














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