昨年12月、拙ブログ「
伝える 」で記した
“ 人生会議 ”。
万が一のときに備え、
最後に受けたい医療やケアについて
話し合う “ 人生会議 ” 。
本人、その家族、医師だけでなく、
関係するひと皆で
本人の死に対する思いを共有し納得できるように、
人生会議=ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の
重要性を 知るひとが増えています。
しかし、
ACPの認知が広がる と同時に
ACPの誤解も増えている、と知りました。
患者側では、
エンディングノートの作成とACPを混同したり、
ACPは家族らに迷惑をかけないための
義務だと思ったり。
医療側では、
ACPを終末期を対象とした死に方の選択と考えたり
DNAR(蘇生のための処置をしない)の
確認と同一視したり、
患者が希望する医療措置を決める手段であり
ACPは医療者だけで行う、という誤解があったり。
「 本人の意思の尊重と意思決定の支援にある」という
一番大切なことを置き去りにしているケースがあります。
本人や家族は
人生や死生観を考え、
医療者は
人生の最終段階の具体的な医療措置を考えることが
ACPではないのです。
DNAR(蘇生のための処置をしない)を取るACPも、
延命治療を希望するACPも、あってよいのです。
ACPの正しい理解が進みつつある中で、今
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて
ACPの指針や運用に変化が起きているという
記事を目にしました。
「 医療の意思決定、ACP(人生会議)を考えるE」
( 2020年5月27日付け:読売新聞 )
新型コロナウイルスに感染するなど
急激に重症化する患者の意思を
どう尊重できるか という
重い課題に直面する 医療現場。
欧州各国の医療現場では、
重症化や死亡リスクがある患者と
医療の選択について
事前に話し合うことの重要性を説く一方、
患者が緊急時に聞いてもらいたい価値観などを
記す書式を公開し、「 重症化した患者と
コミュニケーションが取れない状況への備えを
強調した 」とありました。
今回の新型コロナでは、感染した患者の一部が重症化し
数%のひとは 肺炎を発症してから
10日程度で 死に至ることがわかってきました。
重症化した時、人工呼吸器を装着するかどうか、
呼吸器を装着しても 回復できないことが分かった場合
呼吸器を外すかどうか、
短期間での決断が 迫られるなか、
十分に 話し合う時間的余裕が
患者だけでなく 家族らにも 医療者らにも
与えられない状況が 明らかになっています。
これまで、ACPの主な対象は
がんなど 慢性疾患の患者でしたが、
今回の新型コロナ感染拡大において
対象者が 患者だけでよいのか、という問いと
厳しい状況だからといって
ACPや事前の意思決定を強制することは
あってはならない、という思いも。
このような状況の今だからこそ、
死や死にゆくことを
自分や大切なひとのACPの話し合いで育み進める
という 提案もありました。
そして。ACPは、
障がいのあるひとに必要であることは
言うまでもないことです。
障がいのあるひとのACPを 有効にするために、
そのひとの思いが伝わる
コミュニケーションが取れる環境が
一人ひとりに在る 社会でなければなりません。
そして、どのような状況下でも
何時でも コミュニケーションが取れる社会環境を
整えなければなりません。
例えば、医療現場のひっ迫した状況で
会話ができないすべてのひとに対して
〇、×、いたい、あつい、さむい、などが記載された
コミュニケーションボードがあれば、
それを指差す、視線を送ることで
本人の意思を 確認することができます。
このような措置を
すでに取っている医療現場が日本であるかもしれませんが
全国 どの医療現場でも 可能になってほしい。
もしも 自分がそうなったら、と 想像してください。
病院で治療中に、話せない状態になり
意思表示をする方法が 全くなかったら、
意思表示したくても できなかったら。
悔いが残る、という思いで 終わりたくありませんよね。
それは 障がいのあるひとも 同じです。