選挙に行くこと、投票するということ 6
[2020年03月28日(Sat)]
選挙が終わるたびに
いつも 聞こえてくる言葉、
投票率。
その投票率の低さが、
選挙のたびに
言われ続いています。
その理由を
有権者の意識の低さのせいにするのではなく、
投票率が上がる方法の議論を
「 選挙で選ばれたひとたち」が 進めていない
という 現実を直視し、
大きく捉えなければなりません。
意識の低さ、だけではなく
天候に左右される投票方法、そう
家からなかなか出れないひとたちの投票についてや
障がいのあるひと
一人ひとりに合った投票方法が
より改善できるという意見に対して、
真摯に 向き合わない
「 選挙で選ばれたひとたち」。
投票は有権者の義務、と言うならば、
その義務を果たせるような
環境に整えてからでないと
その言葉は生きない ということを
理解しようとしていない
「 選挙で選ばれたひとたち」。
このような状態で
政治は 暮らしとつながっている、と
言えるでしょうか。
「 投票という行動」を 誰もが起こせる日本へ。
障がいのあるひとの投票方法について、
地域によって
ばらつきがあったり
投票所によって
ちがいがあることは 事実ですが、
それ以前に
疑問に
不快に
思っていることがあります。
あの投票所の雰囲気は、何とかなりませんか。
あまりにも無機質で 異質にすら感じ、
暮らしの延長とは ほど遠い空気が漂い、
失敗は許されない
ひとを萎縮させ緊張させ
書くことを書いたらサッサと出よ、と
ばかりの投票所。
違和感とともに
不信感をも感じ、
今在る投票所そのものが
投票を遠ざける理由のひとつと
言えるのでは、と。
政治に参加してください、と言うのなら
その前に
誰もが投票できる環境に整えてから
言ってくれ。
いつになく
荒い口調になりましたが、
今回の新型コロナウイルス感染拡大に関する
自治体や行政、政府の対応や
場当たり的な発言や
必要以上の混乱を招いているこの現状は、
市民国民が選挙の投票によって
つくられたものだ、ということなのです。
市民国民一人ひとりの意見が、
高い投票率で
公平に反映されているとは言えない日本で
上記のような状況が起きていることに、
憤りを感じています。
そして、こう思います。
ガラパゴス化していると
他国から呼ばれている
日本独特の 自書式の投票方法を、
世界で主流とされている
投票用紙に印を付ける 記号式の投票方法に
変えようという声があるにもかかわらず、
「 名前を書いてもらえるのが仕事、
政治家冥利に尽きる 」という
時代錯誤の言葉を今も口にする
「 選挙で選ばれたひとたち」に
掻き消されてはならない、と 強く。
他国をみると、
オーストラリアの投票方法は
チェックボックス方式で、
投票は 義務なので
行かない人は 罰金が課されますが、
健康上の事情などの免除もでき、
投票率は 常に90%以上 だそうです。
「 できないこと 」ではないのです。
「 やらない 」だけなのです。
今、このようなときだからこそ、考えたい。
「選挙に行くということ、投票するということ」は
このままで よいのでしょうか。