バリアフリー
[2019年07月28日(Sun)]
まちを歩くと、
歩道に 点字ブロックがあったり
駐車場には 車椅子専用のスペースがあったり
足の不自由なひとや
ベビーカーを利用しているひとの
優先エレベーターがあったり、と
障がいや病気のあるひとや高齢のひとなどが
暮らしやすい場面が 増えました。
皆さんは、
「 バリアフリー 」という言葉を耳にした時に
イメージすることは
何でしょうか。
多くのひとは、
上記のような場面を
想像されるのでは ないでしょうか。
しかし、バリアフリーとは、
ご存知のひとも多いと思いますが
移動が困難な障壁をなくすこと
だけではありません。
知的に障がいのあるひとや
精神に障がいのあるひとにとっての
バリアフリーが、
今も尚、置き去りになっています。
知的に障がいのあるひとの
精神に障がいのあるひとの
「 バリアフリー 」を進めるには、
何を 改善すればいいのか、そして
そもそも 何が バリアなのか、を
考察し、ハイそうですと言える専門家が
どれだけいるのだろう、とも思いました。
障がいのあるひと= 身体に障がいのあるひと と
連想するひとが まだ多い現状を、
変えるには
理解してもらうには
何が 足りないのでしょうか、
何が 必要なのでしょうか。
ちょうど1年後には、日本で
東京オリンピックが 開催されます。
東京パラリンピックも 開催されます。
今、思います。
オリンピックパラリンピックの開催が決まり、
「 バリアフリー 」という言葉が
それまで以上に使われても、それが
どれだけの理解につながっているのでしょうか。
「 バリアフリー 」という言葉が、
社会が指すソレを
掌握しきれていないから。
「 バリアフリー 」という言葉が、
社会が指すソレと
合致していないから。
「 バリアフリー 」という言葉は、
社会が指すソレを
表現する言葉になっていないから。
建築用語として使用されていた
「 バリアフリー 」という言葉を使っているから
「 物理的な障壁 」がイメージされて当然
なのでしょうか。
「 バリアフリー 」という言葉を
現状のように使われていること自体が、
社会に障壁があるという事実を
あやふやにさせている と
わたしは思います。
「 バリアフリー 」という言葉があるから、
社会の方にある障壁へ
スポットが当てられなくなっているのでは、と。
「 バリアフリー 」という言葉は、要りません。
バリアフリーとは、
「 バリアフリー 」という言葉がないところで
生まれ 育つ と思います。