たのしみが待っている
[2018年12月29日(Sat)]
過日、目にした
ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』のコラムを読んでの
ひとりごとです。
―― <未来にどういう楽しみが待っているのか、
それを想像しながら過ごしている時間は、
すべて、そのたのしみに含まれていると思うんです。
週末に、ひさしぶりに恋人に会う人は、
そのときまでの間、
がまんしているとも言えるけれど、
助走のように週日を
たのしく過ごしているとも言えます。
うれしい予定があるということは、
希望があるということです。
いまじぶんのしていることが、
先のうれしいことにつながっていると思うと、
いまの歩みがそのまま、たのしみにもなります。>
これを書いた気持ちというのは、よく憶えている。
かなり昔から思っていることで、
「ハワイに行く日には、家のベッドからおりて、
ドアをでて最寄りの駅に向かう道まで、
ぜんぶハワイへの旅なんだよ」ということと同じだ。
それって、地理的な切り口だけじゃなく、
時間的なとらえ方もできるなと思ったのだった。
そして、それを、いま読んだら、
また、いちばん原点になるようなことだ。
「たのしみが待っている」ということ、
それこそが、
いちばんはじめの一歩なんじゃないか、と。
「たのしみ」の場所への道のりも
「たのしみ」だし、
「たのしみ」の時へのじかんも
「たのしみ」なんだけど、
「たのしみ」を見つけたら、それがまずすばらしい。
そういう「たのしみ」の見つけ方、
ありふれたことを
「たのしみ」に化けさせる方法、
そういうこと、
ひとりひとりが上手になればいいし、
ぼくらは、やっぱり、
「たのしみ」の上手な会社に、
もっとなっていけたらいいなぁと、思ったよ。――
今年あった
あんなとこやこんなことを振りかえる。
日々の思いや行動のなかには
うれしいことだけでなく、
かなしいこと、理不尽なこともあったなぁと。
日本の、世界の情勢や、
今までに経験したことのない
天変地異が 次々と起こるなかで、
下を向いて暮らすのではなく、
上を向いて 少しでも笑顔で暮らしたいと
思う気持ちが 増すばかりです。
「 たのしみが 待っている 」。
自身や家族のことだけでなく、
日々 暮らす場においても
「 たのしみが待っている 」と思えるように。
障がいのあるひとも、そこやここが
「 たのしみが待っている 」
と思える場で ありますように。
高齢のひとも、そこやここが
「 たのしみが待っている 」
と思える場で ありますように。
「 たのしみが待っている 」と思える場が
地域の、日本の、世界の、
あちこちに点在する
2019年に なりますように。
「 たのしみが待っている 」が
あふれる年に なりますように。