まかせる
[2016年09月27日(Tue)]
先日、「まかせる」ということについて
書かれた詩を目にしました。
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「まかせる」とは 心配をやめることではない、
そのひとに代わって解決できない ということを知ること。
「まかせる」とは 関係をたち切ることではない、
そのひとをコントロールできない ということに気づくこと。
「まかせる」とは そのひとの望みどおりにしてあげること
ではない、自然に起きてくる結果にゆだねること。
「まかせる」とは 自分の力のなさを認めること、すなわち
結果を自らの手で何とかできるものではない と認めること。
「まかせる」とは そのひとを変えようと試みたり、その人を
責めたりすることではない、自分自身を変えること。
「まかせる」とは そのひとの代わりに心配することではない、
そのひとに起きていることを心配すること。
「まかせる」とは 修正してあげることではない、
サポートすること。
「まかせる」とは 良い悪いを評価することではない、
そのひとの人生を認めること。
「まかせる」とは そのひとと誰かの間に入って調整すること
ではない、彼らの関係を彼らの手にゆだねること。
「まかせる」とは 保護してあげることではない、
そのひとが現実と向かい合う機会をうばわない ということ。
「まかせる」とは 否定することではない、
受け入れること。
「まかせる」とは がみがみ小言をいったり叱ったり
言い争うことではない、自分の不十分さやひとを正そうとする
自分自身を吟味すること。
「まかせる」とは 自分の願いをすべてかなえることではない、
一日一日起きてくることを受け止め、それを大切にすること。
「まかせる」とは ひとを批判したり管理したりすること
ではない、自分が望む自分になれるよう試みること。
「まかせる」とは 過去を後悔することではない、
成長すること明日を生きること。
「まかせる」とは 恐れや不安が減り、
愛が増えること。
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とても興味深い部分もあり、何度も読み返しました。
日々 さまざまな場面で
「 まかせる 」という選択をする時、
その選択肢の 多い少ないにかかわらず
悩むことがあると思います。
ここにある
「 まかせる 」ということは、
現実を現実として しっかり受け止めた上で
まかせることに
積極的に 関わる姿勢が
示されているように見えました。
そして、
親が 子のことを
子が 親のことを、
日々の暮らし について
受ける医療 について
受けるサービス について、
さまざまな場面で
肩の力を抜いて 多角的にみることで、
そのひとに合った
「まかせる」ということが 見えてくると思います。
でも、時として
「なるようにしかならないから まかせるしかない」
と 判断するせざるを得ないこともある と思います。
障がいのあるひとや
高齢のひとや こども など
社会的弱者と呼ばれるひとたちは、とくに
これに当てはまることが 多いのではないでしょうか。
そのような時には、どうすればよいのでしょうか。
さまざまな制度や サービスが生まれ、
一見、生きやすくなったかのように見える社会ですが、
それらを選択する
「 眼 」を養うために必要なことを
兼ね備えていなければ、
「 まかせる 」ということに
たどり着きもしない社会だ と。
この「 眼 」を、
障がいのあるひとや
高齢のひとや こどもと その家族が持てるように、
制度や サービスをはじめ
健やかに 生活するために必要な
さまざまな 情報が、
必要なひとへ
ちゃんと 伝えられているだろうか と、
読んでいて思いました。
「 まかせる 」ということ。
それは 今、社会で
考えなければならないことの ひとつであり、
一人ひとりが 意識することで
障がいのあるなしにかかわらず
互いに 暮らしやすくなる
「基(もと)」になるものだと思います。